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	<title>ウォッカ - LIQUL - リカル -</title>
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		<title>カクテル・ヒストリア第7回『＜ブラディー・メアリー後編＞名前を消され、ベースも変えた過去』</title>
		<link>https://liqul.com/entry/1003</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[荒川 英二]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 01 Sep 2019 06:50:52 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[カクテルコラム]]></category>
		<category><![CDATA[カクテル]]></category>
		<category><![CDATA[ウォッカ]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>「ブラディー・メアリー」の考案者、フェルナンド・プティオ（1900～1974）は、「1920～21年頃考案した」と証言したが、1920～30年代の欧米のカクテルブックでの収録例は、なぜか見当たらない。 プティオが当時働い [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<ul class="wp-block-gallery columns-2 is-cropped wp-block-gallery-1 is-layout-flex wp-block-gallery-is-layout-flex"><li class="blocks-gallery-item"><figure><img fetchpriority="high" decoding="async" width="600" height="800" src="https://liqul.com/upimg/2019/10/arakawa_21-1.jpg" alt="" data-id="1004" data-link="https://liqul.com/?attachment_id=1004" class="wp-image-1004" srcset="https://liqul.com/upimg/2019/10/arakawa_21-1.jpg 600w, https://liqul.com/upimg/2019/10/arakawa_21-1-225x300.jpg 225w" sizes="(max-width: 600px) 100vw, 600px" /></figure></li><li class="blocks-gallery-item"><figure><img decoding="async" width="674" height="1004" src="https://liqul.com/upimg/2019/10/arakawa_21-2.jpg" alt="" data-id="1005" data-link="https://liqul.com/?attachment_id=1005" class="wp-image-1005" srcset="https://liqul.com/upimg/2019/10/arakawa_21-2.jpg 674w, https://liqul.com/upimg/2019/10/arakawa_21-2-201x300.jpg 201w" sizes="(max-width: 674px) 100vw, 674px" /></figure></li></ul>



<p>「ブラディー・メアリー」の考案者、フェルナンド・プティオ（1900～1974）は、「1920～21年頃考案した」と証言したが、1920～30年代の欧米のカクテルブックでの収録例は、なぜか見当たらない。</p>



<p>プティオが当時働いていたパリのハリーズ・バーではそれなりに飲まれていたはずだが、20年代の欧州ではさほど普及しなかった（米国はこの時期は禁酒法時代なので当然だけれど……）。個人的にはこれが不思議で、その理由をずっと探ってきた。</p>



<p>調べていくうちに、その理由がいくつか見えてきた。まず、20年代前半のパリでは、カクテルに使える手軽な缶入りのトマトジュースはまだなかった（米国から輸入され始めたのは25年前後なので、生トマトを濾してジュースを得るしかなかったろう）。</p>



<p>ウオッカも、ロシア革命（1917年）のあと西側へ亡命した蒸留業者がポーランドなどで生産を再開していたが、西欧地域での供給量はまだ十分ではなかった。なので、ハリーズ・バーで提供できた「ブラディー・メアリー」の量も限定的だったろう。</p>



<p>1934年、プティオはハリーズ・バーを辞めて、禁酒法が廃止された米国へ渡る。ニューヨークのセントレジス・ホテルのチーフ・バーテンダーに迎えられたが、オーナーから、「ブラディーという名は印象が良くない」と言われ、仕方なく、「レッド・スナッパー（Red Snapper）」という名に変えた。おまけに米国では当時ウオッカがほとんど出回ってなかったことから、ベースもジンに変えざるを得なかった。</p>



<p>加えて、「レッド・スナッパー」は当初、米国では「味が平凡だ」と不評だった。そこでプティオは塩、胡椒、レモンジュース、ウスターソースなどを加えて、味を複雑にする工夫を加えた。これが逆に、「最新の流行りもの好きな」ニューヨーカーに受けたという。</p>



<p>1939年、米国のヒューブライン社がスミノフの製造・販売権を取得。米国への本格輸入も始まった第二次大戦後には、スミノフ・ウオッカの販促カクテルの一つに「ブラディー・メアリー」が採用されたこともあって、その名が復活する。

そして1948年、米国の著名なカクテルブック「The
Official Mixer&#8217;s Manual」（パトリック・ダフィー著）の改訂版で、「ブラディー・メアリー」は初めて活字で紹介された。プティオの米国流アレンジも程なくして欧州に伝わり、再び注目されるようになったのである。



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			</item>
		<item>
		<title>カクテル・ヒストリア第6回 『ブラディー・メアリー＜前編＞』</title>
		<link>https://liqul.com/entry/178</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[荒川 英二]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 01 Jul 2019 04:40:21 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[カクテルコラム]]></category>
		<category><![CDATA[カクテル]]></category>
		<category><![CDATA[ウォッカ]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>その名は「女王」ではなかった？ 「ブラディー・メアリー」は現代のバーでも、かなり知名度のあるウオッカとトマトジュースの人気カクテル。この「血みどろのメアリー」について、意外な「裏話」を２回に分けて紹介したい。 「ブラディ [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<ul class="wp-block-gallery columns-2 is-cropped wp-block-gallery-2 is-layout-flex wp-block-gallery-is-layout-flex"><li class="blocks-gallery-item"><figure><img decoding="async" src="https://liqul.com/upimg/2019/08/arakawa_20-1-768x1024.jpg" alt="" data-id="179" data-link="https://liqul.com/?attachment_id=179" class="wp-image-179"/></figure></li><li class="blocks-gallery-item"><figure><img decoding="async" src="https://liqul.com/upimg/2019/08/arakawa_20-2-1024x768.jpg" alt="" data-id="180" data-link="https://liqul.com/?attachment_id=180" class="wp-image-180"/></figure></li></ul>



<h2 class="wp-block-heading">その名は「女王」ではなかった？</h2>



<p>「ブラディー・メアリー」は現代のバーでも、かなり知名度のあるウオッカとトマトジュースの人気カクテル。この「血みどろのメアリー」について、意外な「裏話」を２回に分けて紹介したい。</p>



<p>「ブラディー・メアリー」については、多くのカクテルブックで「パリのハリーズ・ニューヨーク・バーのバーテンダーだったフェルナンド・プティオ（Fernand Petiot）氏が1920～21年頃に考案した」と紹介されており、本人も後年、概ねそう証言している。</p>



<p>また、「ブラディー（血にまみれた、無慈悲な）・メアリー」という恐ろしそうな名前の由来については、16世紀半ば、宗教弾圧で多数のプロテスタント教徒を処刑した英女王メアリー１世に由来するというのが定説となってきた（珍説としては、ベースであるウオッカの創業者「ウラジミール・スミルノフ」の名前が欧米人には発音しにくく、「ウラジミール」が転じて「ブラディー・メアリー」になったという話も
→ 出典：Wikipedia英語版）。</p>



<p>しかし、1999年に出版された「Vintage
Cocktails」や、2002年に米国の著名なカクテル研究家デイル・デグロフが著した「The Craft of the Cocktail」などは少し違う説を紹介している。</p>



<p>曰く、「当初は『Bucket of Blood』（「バケツ一杯の血」の意）という名だった。しかし、その後常連客だったメアリーという女性の名にちなんで、『ブラディー・メアリー』に変わった。その客は相手の男性にいつも待ちぼうけを食わされ、寂しそうにプティオのつくるトマト・カクテルを飲んでいた。その様子がまるで、長期間幽閉されていた女王メアリーの孤独に相通じるものがあった」という。
えっ？ 残酷な女王の「無慈悲」というイメージ由来ではなかったの？</p>



<p>そして極めつけが、2012年に出版されたハリーズ・ニューヨーク・バーの「100周年記念本（原題：HARRY’S BAR THE ORIGINAL）」。1967年発行の雑誌「News Week」の記事を引用する形で、プティオ氏の驚くべき証言を紹介している。プティオ氏は1934年に米国へ渡り、シカゴの有名ホテルのバーテンダーとなっていた（67年当時は66歳）。</p>



<p>プティオ氏は言う。「（カクテル名は）ハリーズ・バーにいた若いスタッフが提案してきたんだ。（禁酒法時代、シカゴにあったナイトクラブ）『Bucket of Blood Club』を思い起こさせるって。そして当時、彼にはメアリーという名前の恋人がいたんだ」。本当なのかと思いたくなる証言。今まで信じていた「メアリー１世」説は何だったのか…。</p><p>The post <a href="https://liqul.com/entry/178">カクテル・ヒストリア第6回 『ブラディー・メアリー＜前編＞』</a> first appeared on <a href="https://liqul.com">LIQUL - リカル -</a>.</p>]]></content:encoded>
					
		
		
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