<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?><rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
	>

<channel>
	<title>荒川 英二 - LIQUL - リカル -</title>
	<atom:link href="https://liqul.com/entry/author/arakawa/feed" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>https://liqul.com</link>
	<description>お酒を楽しむ人のカルチャーマガジン</description>
	<lastBuildDate>Wed, 21 Jan 2026 23:25:34 +0000</lastBuildDate>
	<language>ja</language>
	<sy:updatePeriod>
	hourly	</sy:updatePeriod>
	<sy:updateFrequency>
	1	</sy:updateFrequency>
	<generator>https://wordpress.org/?v=6.9.4</generator>
	<item>
		<title>カクテル・ヒストリア第35回『レシピは揺れても、生き残った 「ブルー・ムーン」』</title>
		<link>https://liqul.com/entry/7145</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[荒川 英二]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 15 Jan 2026 09:37:57 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[カクテルコラム]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://liqul.com/?p=7145</guid>

					<description><![CDATA[<p>「ブルー・ムーン（Blue Moon）」は、1910年代の米国のカクテルブックにはすでに登場する長い歴史を持つカクテル。現代の日本のオーセンティック・バーでも根強い人気を持つ。だが、誕生の経緯を巡る信憑性のあるストーリー [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://liqul.com/entry/7145">カクテル・ヒストリア第35回『レシピは揺れても、生き残った 「ブルー・ムーン」』</a> first appeared on <a href="https://liqul.com">LIQUL - リカル -</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>「ブルー・ムーン（Blue Moon）」は、1910年代の米国のカクテルブックにはすでに登場する長い歴史を持つカクテル。現代の日本のオーセンティック・バーでも根強い人気を持つ。だが、誕生の経緯を巡る信憑性のあるストーリーはほとんど伝わっていない。</p>



<figure class="wp-block-image size-full is-resized"><img fetchpriority="high" decoding="async" width="681" height="971" src="https://liqul.com/upimg/2026/01/IMG_4204（Blue-Moon）.jpg" alt="" class="wp-image-7147" style="width:300px" srcset="https://liqul.com/upimg/2026/01/IMG_4204（Blue-Moon）.jpg 681w, https://liqul.com/upimg/2026/01/IMG_4204（Blue-Moon）-210x300.jpg 210w, https://liqul.com/upimg/2026/01/IMG_4204（Blue-Moon）-295x420.jpg 295w, https://liqul.com/upimg/2026/01/IMG_4204（Blue-Moon）-589x840.jpg 589w" sizes="(max-width: 681px) 100vw, 681px" /></figure>



<p>欧米の専門サイトでは、「欧州でのヴァイオレット・リキュール人気に目をつけて、1890年代、米国のメーカーが新たに、ニオイスミレを使った＜クレーム・イヴェット（Crème Yvette）＞という名のリキュールを発売。このリキュールを使った創作カクテルとして考案された」、あるいは「マンハッタンのレストラン・バー（あるいはホテル内のバー）で誕生した」などという説を紹介しているが、残念ながら裏付け資料は示されておらず、決定的なものではない。</p>



<p>「Blue Moon」とは、大気の状態で「ごく稀に月が青く見えること」を指し、転じて、英語では、「めったに起こらない」「きわめて稀な」ことの例えとして使われる。しかし、これが直接カクテル名の由来になったのかはよく分からない。</p>



<p>現在、日本での標準的なレシピは、「ジン（40ml）、ヴァイオレット・リキュール（15ml）、レモン・ジュース（15ml）、シェイク」と紹介されることが多いが、欧米のレシピは、誕生時から今日に至るまで揺れ続け、今なお様々なバージョンが登場している（※ヴァイオレット・リキュールは「クレーム・ド・ヴァイオレット、クレーム・イヴェットまたはパルフェ・タムール」という名で商品化されている）。</p>



<p>「ブルー・ムーン」のレシピが確認できる一番初期のものは、米国で1916年に出版された『Recipes for Mixed Drinks』（ヒューゴ・エンスリン＝Hugo Ensslin著）というカクテルブック。そのレシピは「ジン（40）、フレンチ（ドライ）・ベルモット（20）、オレンジ・ビターズ1dash、クレーム・イヴェット1dash」で、ベルモットを使っている点など現代のレシピとは微妙に違う。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="607" height="812" src="https://liqul.com/upimg/2026/01/IMG_4244（Recipes-for-Mixed-Drinks）.jpg" alt="" class="wp-image-7150" srcset="https://liqul.com/upimg/2026/01/IMG_4244（Recipes-for-Mixed-Drinks）.jpg 607w, https://liqul.com/upimg/2026/01/IMG_4244（Recipes-for-Mixed-Drinks）-224x300.jpg 224w, https://liqul.com/upimg/2026/01/IMG_4244（Recipes-for-Mixed-Drinks）-314x420.jpg 314w" sizes="(max-width: 607px) 100vw, 607px" /><figcaption class="wp-element-caption">Recipes for Mixed-Drinks</figcaption></figure>



<p>欧米では、このエンスリンのレシピが一定の割合で受け継がれ、今なお採用するカクテルブックも少なくない。しかし一方で、以下のような様々なバージョンが、「現れては消え、消えては現れ」を繰り返している（単位はml）。</p>



<p><strong>1.ジン、アニゼット（ハーブ系リキュール）、ペパーミント・リキュール（1920年代から）</strong><br>【例】ジン（30）、アニゼット・リキュール（5）、ペパーミント・リキュール（5）（William Boothby著『World Drinks and How To Mix Them』　1934年刊）</p>



<p><strong>2.ジン、ヴァイオレット・リキュール、レモン・ピール（1930年代から）</strong><br>【例】ジン（45）、クレーム・イヴェット（23）、レモン・ピールしてそのまま沈める（『Mr. Boston Bartender&#8217;s Guide』　1935年刊）</p>



<p><strong>3.ジン、マラスキーノ（サクランボのリキュール）、卵白（1940年代から）</strong><br>【例】ジン（45）、マラスキーノ（15）、卵白（1個分）（Patrick G. Duffy著『The Official Mixer&#8217;s Manual』　1948年刊）</p>



<p><strong>4.ジン、ブルー・キュラソー、レモン・ピール（1970年代後半から）</strong><br>【例】ジン（45）、ブルー・キュラソー（23）、レモン・ピール（『Mr. Boston Bartender’s Guide』　1978年版）</p>



<p><strong>5.ブルー・キュラソー、テキーラ、ウオッカ、レモネード（1980年代から）</strong><br>【例】ブルー・キュラソー（40）、テキーラ（30）、ウオッカ（30）、レモネード適量（Hilary Walden著『Cocktails』　1983年刊）</p>



<p>日本での標準的なレシピとほぼ同じものが欧米のカクテルブックに登場するのは、確認した限りでは、1948年に出た『The Fine Art of Mixing Drinks』（デヴィッド・エンベリー＜David Embury＞著）が最初だ。同著でのレシピは分量比表記なので、「ml換算」してみると、「ジン80ml、ヴァイオレット・リキュール10ml、レモン・ジュース20ml」というもの（なお、エンベリーは「卵白を加えることもある」と付記している）。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="618" height="923" src="https://liqul.com/upimg/2026/01/IMG_4237（Fine-Art-of-Mixing-Drinks）.jpg" alt="" class="wp-image-7149" srcset="https://liqul.com/upimg/2026/01/IMG_4237（Fine-Art-of-Mixing-Drinks）.jpg 618w, https://liqul.com/upimg/2026/01/IMG_4237（Fine-Art-of-Mixing-Drinks）-201x300.jpg 201w, https://liqul.com/upimg/2026/01/IMG_4237（Fine-Art-of-Mixing-Drinks）-281x420.jpg 281w, https://liqul.com/upimg/2026/01/IMG_4237（Fine-Art-of-Mixing-Drinks）-562x840.jpg 562w" sizes="(max-width: 618px) 100vw, 618px" /><figcaption class="wp-element-caption">Fine Art of Mixing Drinks</figcaption></figure>



<p>しかし、このエンベリーのレシピは日本とは違って、その後の欧米では「主流派」とはなり得ていない。1950年代以降のカクテルブックを見ても、採用されているのは数少ない（近年では、カクテル研究家のテッド・ヘイ氏の著書『Vintage Spirits and Forgotten Cocktails』＝2009年刊＝くらい）。現代の欧米では、「エンスリン・レシピ」「エンベリー・レシピ」「それ以外」の３種が群雄割拠している状態だ。</p>



<p>ちなみに、「それ以外」のレシピでは、</p>



<p>「テキーラ（20）、ブルー・キュラソー（10）、ガリアーノ（数dash）、生クリーム（40ml）」（Charles Schumann著 『American Bar』　2002年刊）、</p>



<p>「ウオッカ（20）、ブルー・キュラソー（15）、生クリーム（15）、ヴァニラ・シロップ（10）、オレンジ・ジュース（10）、コアントロー1tsp」（欧米の専門サイト「My Recipes.com」 2010年）などのように、奇抜で独創的なものが目立っている。</p>



<p>「ブルー・ムーン」は、日本には1920年代半ばに伝わったと考えられていて、1929年（昭和４年）に出版された秋山徳蔵氏（「天皇の料理番」として著名だった方）の２冊目の著書、『コクテール（混合酒調合法）』に初めて収録された。</p>



<p>しかし、そのレシピは初版では「ジン5分の3、ペパーミント・リキュール5分の2」、改訂版では「ジン10分の7、ヴァイオレット・リキュール10分の2、ペパーミント・リキュール10分の1」となっており、現代のものとは様相を異にしている（秋山氏が、欧米のどのカクテルブックを下敷きにしたのか、それとも自ら考案したのかは分かっていない）。</p>



<p>25年後の1954年、『世界コクテール飲物辞典』（佐藤紅霞著）という本に再び「ブルー・ムーン」は登場したが、レシピはベルモットを使う「エンスリン・レシピ」だった。</p>



<p>現代の標準的なレシピがお目見えしたのは、1959年、間庭辰蔵氏が出版した『カクテルの本』が最初だ。そのレシピは「ドライジン2分の1、クレーム・ド・ヴァイオレット4分の1、レモン汁4分の1」と現代のレシピに近い。間庭氏がエンベリーの著書（1948年）を参考にしたことは間違いないだろう。 その後、このレシピは、木村与三男、今井清、福島勇三、浜田昌吾、福西英三ら日本カクテル界のそうそうたる重鎮たちの本でほぼ継承されてゆき、結果的に、日本では、この「エンベリー・レシピ」が定着することになった。</p><p>The post <a href="https://liqul.com/entry/7145">カクテル・ヒストリア第35回『レシピは揺れても、生き残った 「ブルー・ムーン」』</a> first appeared on <a href="https://liqul.com">LIQUL - リカル -</a>.</p>]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>カクテル・ヒストリア第34回『謎多き「カクテルの貴婦人」ホワイト・レディ』</title>
		<link>https://liqul.com/entry/7067</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[荒川 英二]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 21 Oct 2025 04:25:04 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[カクテルコラム]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://liqul.com/?p=7067</guid>

					<description><![CDATA[<p>「ホワイト・レディ（White Lady）と言えば、1920年代に登場した代表的なクラシック・カクテルの一つ。このカクテルについては、二つの大きな謎が今も残されている。 一つは誰によって考案されたのか？　もう一つは、二つ [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://liqul.com/entry/7067">カクテル・ヒストリア第34回『謎多き「カクテルの貴婦人」ホワイト・レディ』</a> first appeared on <a href="https://liqul.com">LIQUL - リカル -</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>「ホワイト・レディ（White Lady）と言えば、1920年代に登場した代表的なクラシック・カクテルの一つ。このカクテルについては、二つの大きな謎が今も残されている。</p>



<p>一つは誰によって考案されたのか？　もう一つは、二つの代表的なレシピのうち、卵白を入れるレシピはいつ頃、誰が始めたのか？</p>



<p>ホワイト・レディには、ジン・ベースにコアントロー（オレンジ・リキュール）、レモン・ジュースという基本レシピに加えて、卵白を加えるというレシピ（※味わいがなめらか、まろやかになる）がある。日本は前者が一般的だが、欧米では後者も珍しくない。</p>



<p>誕生の経緯については、従来は以下の３つの説が伝わっていて、（１）と（２）が有力な説だった。</p>



<p>（１）パリの「ハリーズ・ニューヨーク・バー（Harry’s New York Bar）」のオーナー・バーテンダー、ハリー・マッケルホーン（Harry MacElhone）が1919年頃、ロンドンのシローズ・クラブ（The Ciro’s Club）で働いていた時期に考案した。</p>



<p>（当初のベースはジンではなく、ブランデー、コアントロー、ペパーミント・リキュールというレシピだったが、マッケルホーン自身は、「1929年に（現在も伝わる）ジン・ベースへ変えた」と自著に記している）。</p>



<p>（２）ロンドンのサヴォイホテル（The Savoy Hotel）「アメリカン・バー」のチーフ・バーテンダー、ハリー・クラドック（Harry Craddock）が1920年代に考案した。</p>



<p>（３）フランス・カンヌのカールトン・ホテル（The Carlton Hotel）のバーで考案されたという説（WEB上で紹介されているが、時期や裏付け資料は示されていない）。</p>



<p>ところが、2020年以降になって、欧米のカクテル専門サイトでは、4番目、5番目の説が散見されるようになった。</p>



<p>（４）ロンドンのクアリーノ（Quaglino）・レストランのバーで誕生したという説（出典：2021年刊の『Oxford Companion to Spirits and Cocktail』＝裏付け資料の明示はない）。</p>



<p>（５）ロンドンのグロブナーハウス（Grosvenor House）・ホテル内、ビクターズ・バーのチーフ・バーテンダー、ビクター・キャブリン（Victor Cabrin）が1929年に考案したという説（出典：英国の著名なカクテル専門サイト「ディフォーズ・ガイド（Difford’s Guide）」）。</p>



<p>クラドックは、1930年刊の「サヴォイ・カクテルブック」にホワイト・レディを収録していることからして、少なくとも1920年代後半には同ホテルのバーで提供していたと考えるのが自然だろう。1929年にベースをジンに変えたマッケルホーンはおそらく、クラドックのレシピが主流になった現状を知って、そのレシピに倣ったのだろう（ただし、分量比は少し変えているが……）。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img loading="lazy" decoding="async" width="1280" height="908" src="https://liqul.com/upimg/2025/10/white.jpg" alt="" class="wp-image-7073" srcset="https://liqul.com/upimg/2025/10/white.jpg 1280w, https://liqul.com/upimg/2025/10/white-300x213.jpg 300w, https://liqul.com/upimg/2025/10/white-1024x726.jpg 1024w, https://liqul.com/upimg/2025/10/white-768x545.jpg 768w, https://liqul.com/upimg/2025/10/white-592x420.jpg 592w, https://liqul.com/upimg/2025/10/white-1184x840.jpg 1184w, https://liqul.com/upimg/2025/10/white-696x494.jpg 696w, https://liqul.com/upimg/2025/10/white-1068x758.jpg 1068w, https://liqul.com/upimg/2025/10/white-100x70.jpg 100w" sizes="auto, (max-width: 1280px) 100vw, 1280px" /><figcaption class="wp-element-caption">卵白なしのホワイト・レディを初めて紹介したサヴォイ・ホテル（The Savoy Hotel）は、現在では卵白入りを基本にしている（写真は、1931年頃のサヴォイ・ホテル「アメリカン・バー」＝同ホテルのHPから）</figcaption></figure>



<p>「キャブリン説」を示した「ディフォーズ・ガイド」はその根拠として、彼自身が登場した1934年５月の英国の新聞広告で、ホワイト・レディを「His White Lady being perhaps the most famous」と、あたかもオリジナルのように紹介していることや、キャブリンのホワイト・レディへの関与を示唆する別の２つの新聞記事（1935年10月と1946年11月）を紹介しているが、いずれも「1929年考案」を裏付ける証拠にはならない。</p>



<p>他にも、ここ数年、「キャブリン説」を紹介している専門サイトもいくつか登場しているが、残念ながら、それを裏付ける「一次資料」を示したサイトはない。</p>



<p>そのため、現時点ではキャブリンという人物が何らかの形でホワイト・レディの発展に関わったことはあり得るとしても、クラドックやマッケルホーンを差し置いて、最初の考案者であるとはとても言えないと私は思う。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img loading="lazy" decoding="async" width="750" height="1099" src="https://liqul.com/upimg/2025/10/近年になって、ビクター・キャブリン考案説を紹介した英国のカクテル専門サイト「ディフォーズ・ガイド（Diffords-Guide）」.jpg" alt="" class="wp-image-7071" srcset="https://liqul.com/upimg/2025/10/近年になって、ビクター・キャブリン考案説を紹介した英国のカクテル専門サイト「ディフォーズ・ガイド（Diffords-Guide）」.jpg 750w, https://liqul.com/upimg/2025/10/近年になって、ビクター・キャブリン考案説を紹介した英国のカクテル専門サイト「ディフォーズ・ガイド（Diffords-Guide）」-205x300.jpg 205w, https://liqul.com/upimg/2025/10/近年になって、ビクター・キャブリン考案説を紹介した英国のカクテル専門サイト「ディフォーズ・ガイド（Diffords-Guide）」-699x1024.jpg 699w, https://liqul.com/upimg/2025/10/近年になって、ビクター・キャブリン考案説を紹介した英国のカクテル専門サイト「ディフォーズ・ガイド（Diffords-Guide）」-287x420.jpg 287w, https://liqul.com/upimg/2025/10/近年になって、ビクター・キャブリン考案説を紹介した英国のカクテル専門サイト「ディフォーズ・ガイド（Diffords-Guide）」-573x840.jpg 573w, https://liqul.com/upimg/2025/10/近年になって、ビクター・キャブリン考案説を紹介した英国のカクテル専門サイト「ディフォーズ・ガイド（Diffords-Guide）」-696x1020.jpg 696w" sizes="auto, (max-width: 750px) 100vw, 750px" /><figcaption class="wp-element-caption">近年になって、ビクター・キャブリン考案説を紹介した英国のカクテル専門サイト「ディフォーズ・ガイド（Difford’s Guide）」</figcaption></figure>



<p>さて、クラドックやマッケルホーンは、卵白を使わないレシピでホワイト・レディを提供していたが、一方でキャブリンは基本、卵白を使うレシピだったという。</p>



<p>では欧米で、卵白を使うホワイト・レディはいつ頃から普及し始めたのか？　初めて「卵白入り」を紹介したのは、1935年に米国で出版された「ミスターボストン・バーテンダーズガイド（Old Mr. Boston Official Bartender’s Guide）」であるが、このホワイト・レディには生クリームも入っており、「卵白だけ」という意味で言えば、1946年刊の「ストーククラブ・バーブック（The Stork Club Bar Book）」が最初である（レシピは以下に）。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img loading="lazy" decoding="async" width="1024" height="768" src="https://liqul.com/upimg/2025/10/卵白入りのホワイト・レディが初めて活字になった「ミスターボストン・バーテンダーズガイド（Old-Mr.-Boston-Bartenders-Guide）」（1935年刊）.jpg" alt="" class="wp-image-7070" srcset="https://liqul.com/upimg/2025/10/卵白入りのホワイト・レディが初めて活字になった「ミスターボストン・バーテンダーズガイド（Old-Mr.-Boston-Bartenders-Guide）」（1935年刊）.jpg 1024w, https://liqul.com/upimg/2025/10/卵白入りのホワイト・レディが初めて活字になった「ミスターボストン・バーテンダーズガイド（Old-Mr.-Boston-Bartenders-Guide）」（1935年刊）-300x225.jpg 300w, https://liqul.com/upimg/2025/10/卵白入りのホワイト・レディが初めて活字になった「ミスターボストン・バーテンダーズガイド（Old-Mr.-Boston-Bartenders-Guide）」（1935年刊）-768x576.jpg 768w, https://liqul.com/upimg/2025/10/卵白入りのホワイト・レディが初めて活字になった「ミスターボストン・バーテンダーズガイド（Old-Mr.-Boston-Bartenders-Guide）」（1935年刊）-560x420.jpg 560w, https://liqul.com/upimg/2025/10/卵白入りのホワイト・レディが初めて活字になった「ミスターボストン・バーテンダーズガイド（Old-Mr.-Boston-Bartenders-Guide）」（1935年刊）-80x60.jpg 80w, https://liqul.com/upimg/2025/10/卵白入りのホワイト・レディが初めて活字になった「ミスターボストン・バーテンダーズガイド（Old-Mr.-Boston-Bartenders-Guide）」（1935年刊）-160x120.jpg 160w, https://liqul.com/upimg/2025/10/卵白入りのホワイト・レディが初めて活字になった「ミスターボストン・バーテンダーズガイド（Old-Mr.-Boston-Bartenders-Guide）」（1935年刊）-696x522.jpg 696w, https://liqul.com/upimg/2025/10/卵白入りのホワイト・レディが初めて活字になった「ミスターボストン・バーテンダーズガイド（Old-Mr.-Boston-Bartenders-Guide）」（1935年刊）-265x198.jpg 265w" sizes="auto, (max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /><figcaption class="wp-element-caption">卵白入りのホワイト・レディが初めて活字になった「ミスターボストン・バーテンダーズガイド（Old-Mr.-Boston-Bartenders-Guide）」（1935年刊）</figcaption></figure>



<p>ご参考までに、1930年代～60年代の欧米の主なカクテルブックで「ホワイト・レディ」がどのように紹介されているか、ざっと見ておこう。</p>



<p>・「The Savoy Cocktail Book」（Harry Craddock著、1930年刊）英<br>ドライ・ジン2分の1、コアントロー4分の1、レモン・ジュース4分の1</p>



<p>・「Old Mr. Boston Official Bartender&#8217;s Guide」（1935年刊）米<br>ジン1.5オンス、生クリーム1tsp（ティースプーン）、パウダー・シュガー1tsp、卵白1個分</p>



<p>・「The Stork Club Bar Book」（Lucius Beebe著、1946年刊）米<br>ジン1.5オンス、コアントロー4分の3オンス、レモン・ジュース半個分、卵白1個分</p>



<p>・「Esquire Drink Book」（Frederic Birmingham著、1956年刊）米<br>ジン3分の2、レモン・ジュース6分の1、コアントロー12分の1、卵白1個分</p>



<p>・「Booth’s Handbook of Cocktails &amp; Mixed Drinks」（John Doxat著、1966年刊）英<br>ジン2分の1、レモン・ジュース2分の1、コアントロー2分の1、卵白1tsp</p>



<p>ちなみに、サヴォイホテルの「アメリカン・バー」では1970年代以降、基本、卵白入りのレシピでホワイト・レディを提供しているほか、現代の代表的なバーテンダー、チャールズ・シューマン氏も、その著書「シューマンズ　バー・ブック（原題：Charles Schumann American Bar）」＝2002年刊＝では卵白入りのレシピを採用している。</p>



<p>欧米のバーでは昔から、クラシック・カクテルに卵白や卵黄を使用するものが少なくなかった。それは、氷が貴重品であった時代、カクテルの味わいをなめらかにし、飲みやすくするための工夫の一つだったが、1906年、米国の食品医薬品局がサルモネラ菌による生卵の食中毒を指摘したことで、一時的に使用にブレーキがかかった。</p>



<p>だが、1920年代の後半には、殺菌処理された生卵が流通するようになり、再び「卵白入り」のカクテルのバリエーションも増えていった。</p>



<p>ホワイト・レディは日本には1930年代に伝わったが、カクテルブックで紹介されたのは50年代半ばになってから。日本のバーでは21世紀の現在でも、おそらく、卵白なしのホワイト・レディを提供しているところがほとんどだろう。</p>



<p>しかし、私のバー（Bar UK）では、クラシック・スタイルの味わいを再発見してもらうことを願って、ホワイト・レディは、お客様が卵白あり、卵白なしを選択できるようにしている。ぜひ、皆さんも機会があれば、「絹のように滑らかな」卵白入りホワイト・レディをぜひ楽しんでいただきたい。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img loading="lazy" decoding="async" width="1024" height="768" src="https://liqul.com/upimg/2025/10/卵白入り、卵白なし、２つの代表的レシピが共存しているホワイト・レディ（White-Lady）（写真右側が「卵白入り」）.jpg" alt="" class="wp-image-7069" srcset="https://liqul.com/upimg/2025/10/卵白入り、卵白なし、２つの代表的レシピが共存しているホワイト・レディ（White-Lady）（写真右側が「卵白入り」）.jpg 1024w, https://liqul.com/upimg/2025/10/卵白入り、卵白なし、２つの代表的レシピが共存しているホワイト・レディ（White-Lady）（写真右側が「卵白入り」）-300x225.jpg 300w, https://liqul.com/upimg/2025/10/卵白入り、卵白なし、２つの代表的レシピが共存しているホワイト・レディ（White-Lady）（写真右側が「卵白入り」）-768x576.jpg 768w, https://liqul.com/upimg/2025/10/卵白入り、卵白なし、２つの代表的レシピが共存しているホワイト・レディ（White-Lady）（写真右側が「卵白入り」）-560x420.jpg 560w, https://liqul.com/upimg/2025/10/卵白入り、卵白なし、２つの代表的レシピが共存しているホワイト・レディ（White-Lady）（写真右側が「卵白入り」）-80x60.jpg 80w, https://liqul.com/upimg/2025/10/卵白入り、卵白なし、２つの代表的レシピが共存しているホワイト・レディ（White-Lady）（写真右側が「卵白入り」）-160x120.jpg 160w, https://liqul.com/upimg/2025/10/卵白入り、卵白なし、２つの代表的レシピが共存しているホワイト・レディ（White-Lady）（写真右側が「卵白入り」）-696x522.jpg 696w, https://liqul.com/upimg/2025/10/卵白入り、卵白なし、２つの代表的レシピが共存しているホワイト・レディ（White-Lady）（写真右側が「卵白入り」）-265x198.jpg 265w" sizes="auto, (max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /><figcaption class="wp-element-caption">卵白入り、卵白なし、２つの代表的レシピが共存しているホワイト・レディ（White-Lady）（写真右側が「卵白入り」）</figcaption></figure><p>The post <a href="https://liqul.com/entry/7067">カクテル・ヒストリア第34回『謎多き「カクテルの貴婦人」ホワイト・レディ』</a> first appeared on <a href="https://liqul.com">LIQUL - リカル -</a>.</p>]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>カクテル・ヒストリア第33回『「ブラッドセルという天才バーテンダーがいた』</title>
		<link>https://liqul.com/entry/7008</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[荒川 英二]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 25 Jul 2025 00:17:50 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[カクテルコラム]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://liqul.com/?p=7008</guid>

					<description><![CDATA[<p>「スタンダード・カクテル」という言葉を聞けば、半世紀以上前に誕生して、長い歳月を飲み継がれてきたドリンクというイメージがある。しかし近年は1970年代以降に考案されたカクテルの中にでも、「スタンダード」として定着し、そう [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://liqul.com/entry/7008">カクテル・ヒストリア第33回『「ブラッドセルという天才バーテンダーがいた』</a> first appeared on <a href="https://liqul.com">LIQUL - リカル -</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>「スタンダード・カクテル」という言葉を聞けば、半世紀以上前に誕生して、長い歳月を飲み継がれてきたドリンクというイメージがある。しかし近年は1970年代以降に考案されたカクテルの中にでも、「スタンダード」として定着し、そうしたカクテルの中には「モダン・クラシック」と呼ばれる逸品もある。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「モダン・クラシック」の革命児とも</h2>



<p>長年、クラシック・カクテルの発展の歴史を研究してきた私は、そうした「モダン・クラシック」を知るうち、ディック・ブラッドセル（Dick Bradsell、1959～2016＜本名は、リチャード・アーサー・ブラッドセル。しかし愛称の「ディック」の方が定着した＞）というバーテンダーの名をよく目にするようになった。</p>



<p>「モダン・クラシック」をテーマにしたカクテルブックには、ブラッドセルの名と彼が考案したカクテルが、必ずと言ってよいほど登場する。2016年に彼が亡くなった際、多くのメディアは、ブラッドセルについて、「1980～90年代のロンドンのカクテルシーンを変えた革命児」「モダン・クラシックの先駆者」という賛辞を贈っている。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img loading="lazy" decoding="async" width="590" height="679" src="https://liqul.com/upimg/2025/07/「モダン・クラシック革命児」と呼ばれたディック・ブラッドセル（Dick-Bradsell-1959～2016）.jpg" alt="" class="wp-image-7009" srcset="https://liqul.com/upimg/2025/07/「モダン・クラシック革命児」と呼ばれたディック・ブラッドセル（Dick-Bradsell-1959～2016）.jpg 590w, https://liqul.com/upimg/2025/07/「モダン・クラシック革命児」と呼ばれたディック・ブラッドセル（Dick-Bradsell-1959～2016）-261x300.jpg 261w, https://liqul.com/upimg/2025/07/「モダン・クラシック革命児」と呼ばれたディック・ブラッドセル（Dick-Bradsell-1959～2016）-365x420.jpg 365w" sizes="auto, (max-width: 590px) 100vw, 590px" /><figcaption class="wp-element-caption">「モダン・クラシック革命児」と呼ばれたディック・ブラッドセル（Dick Bradsell 1959～2016）<br><strong>（Ｃ）Jared Brown &amp; Anistatia Miller</strong></figcaption></figure>



<h2 class="wp-block-heading">不動の人気を得た「エスプレッソ・マティーニ」</h2>



<p>1980～90年代を通じて数多くの「モダン・クラシック」を生み出したブラッドセルだが、その人気と評価を一番高めたのは、何と言っても、「エスプレッソ・マティーニ（Espresso Martini） 」だろう。</p>



<figure class="wp-block-image size-full is-resized"><img loading="lazy" decoding="async" width="768" height="1024" src="https://liqul.com/upimg/2025/07/ブラッドセルの名を不朽にした「エスプレッソ・マティーニ（Espresso-Martini）.jpg" alt="" class="wp-image-7010" style="width:401px;height:auto" srcset="https://liqul.com/upimg/2025/07/ブラッドセルの名を不朽にした「エスプレッソ・マティーニ（Espresso-Martini）.jpg 768w, https://liqul.com/upimg/2025/07/ブラッドセルの名を不朽にした「エスプレッソ・マティーニ（Espresso-Martini）-225x300.jpg 225w, https://liqul.com/upimg/2025/07/ブラッドセルの名を不朽にした「エスプレッソ・マティーニ（Espresso-Martini）-315x420.jpg 315w, https://liqul.com/upimg/2025/07/ブラッドセルの名を不朽にした「エスプレッソ・マティーニ（Espresso-Martini）-630x840.jpg 630w, https://liqul.com/upimg/2025/07/ブラッドセルの名を不朽にした「エスプレッソ・マティーニ（Espresso-Martini）-696x928.jpg 696w" sizes="auto, (max-width: 768px) 100vw, 768px" /><figcaption class="wp-element-caption">ブラッドセルの名を不朽にした「エスプレッソ・マティーニ（Espresso Martini）」</figcaption></figure>



<p>1983年に考案されたこのカクテルは、ウオッカをベースに、エスプレッソ・コーヒー、コーヒー・リキュール、シロップを加えてシェイク。カクテルグラスに注いだ後、表面にコーヒー豆２～３粒を浮かべるというもの。お酒とコーヒーを融合させるという、当時としてはとても斬新なアイデアだった。</p>



<p>ブラッドセルは、当時ロンドン「ソーホー・ブラッセリ―（Soho Brasserie）」に勤めていたが、当初は、裏メニューとして「ウオッカ・エスプレッソ」の名前で提供されていただけだった。</p>



<p>しかし、90年代末、彼が移籍した「マッチ（Match）」というバーで初めて「エスプレッソ・マティーニ」の名でオン・メニューとなり、客の人気を集め、幅広く知られるようになった。近年では、世界的な人気カクテル・ランキングで常に上位にランキングされるようになり、日本の大都市のカクテル・バーでも、よく注文される光景を見かける。</p>



<h2 class="wp-block-heading">学校生活には馴染めず中退</h2>



<p>ブラッドセルは、英国イングランド南部にあるワイト島で生まれ育った。しかし学校生活には馴染めず高校を中退。1977年、18歳の時に家を出て、翌年、叔父の紹介で、ロンドンのピカデリー・サーカス近くにある「将校クラブ」で給仕として働き始めた。</p>



<p>彼は当初、フロアや調理の補助のような仕事をしていたが、やがてお酒をつくり、提供する仕事の方に興味が沸き、バー部門で働くようになる。しかし、頼りにした叔父が独立するため将校クラブを離れたのを機に、ブラッドセルも友人の紹介でロンドン市内のバー「ザンジバール・クラブ（Zanzibar Club）」へ移ることになった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">数多くの「モダン・クラシック」を生み出す</h2>



<p>まもなく彼は、独創的なカクテルづくりに才能を発揮し始める。1980年代半ばに考案した「ブランブル（Bramble）」という彼のオリジナルも、今や「モダン・クラシック」の定番となっている。</p>



<p>ジンをベースにして、レモンジュース、シロップ、ブラックベリー・リキュール（クレーム・ド・ミュール）をシェイクして、クラッシュド・アイスを入れたロック・グラスで提供する。1980年代半ば、ブラッドセルが、故郷・ワイト島の香ばしいブラックベリー畑にインスピレーションを得て考案し、客の人気を集め、ロンドンのバー・シーンで広がったと伝わる。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img loading="lazy" decoding="async" width="600" height="800" src="https://liqul.com/upimg/2025/07/今も世界各地で愛されるオリジナル・カクテル「ブランブル（Bramble）.jpg" alt="" class="wp-image-7011" srcset="https://liqul.com/upimg/2025/07/今も世界各地で愛されるオリジナル・カクテル「ブランブル（Bramble）.jpg 600w, https://liqul.com/upimg/2025/07/今も世界各地で愛されるオリジナル・カクテル「ブランブル（Bramble）-225x300.jpg 225w, https://liqul.com/upimg/2025/07/今も世界各地で愛されるオリジナル・カクテル「ブランブル（Bramble）-315x420.jpg 315w" sizes="auto, (max-width: 600px) 100vw, 600px" /><figcaption class="wp-element-caption">今も世界各地で愛されるオリジナル・カクテル「ブランブル（Bramble）」</figcaption></figure>



<p>この頃、ブラッドセルは、前妻のヴィッキーと出会い結婚。一女（Bea）を授かるなど私生活でも充実していた時期だった（しかし、2000年に離婚）。</p>



<p>1986～87年頃に生み出した「ロシアン・スプリング・パンチ（Russian Spring Punch）」 は、ブラッドセルが、当時バーテンダーとして働いていた「ザンジバー（Zanzibar）」で友人のために考案した「モダン・クラシック」の一つで、多くのカクテルブックで紹介されている。</p>



<p>ウオッカをベースに、クレーム・ド・フランボワーズ、カシス・リキュール、レモンジュース、シロップ、生ラズベリー6～7個。シェイクした後、氷を入れたタンブラーに注ぎ、シャンパンで満たす。華やかな味わいのカクテルだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">奇をてらわず、「再現性」を重視</h2>



<p>ブラッドセルは、残念ながら2016年、脳腫瘍のため、57歳の若さで亡くなった。彼は様々なバーを渡り歩き、その生涯のほとんどを後進の育成に捧げた。公の場に出てくることはあまり好まず、「半ば隠者のような」後半生を送った。</p>



<p>彼が生み出した「モダン・クラシック」には、奇をてらったものは少ない。どちらかと言えば、それまでのスタンダードなクラシック・カクテルを再評価し、再解釈して考案したものが多い。材料も多くても４種類程度にとどめ、入手が難しいものは使わず、他のバーテンダーによる「再現性」を重視した。</p>



<p>彼が残したと伝わる代表的なオリジナルも、その多くが「スタンダードの良さを生かして、アレンジしたもの」が多い。ブラッドセルの名前とその功績は、現代のバーテンダーが忘れてはならないものだと思う。</p>



<p>現代のバー・シーンで毎年生み出されるオリジナル・カクテルは、星の数ほどあるが、10年後、20年後ですら生き残っているのは稀だ。近年のコンペを目指すバーテンダーは、その時限りの創作には力を注ぐが、自分の創作カクテルが末永く飲み継がれていくことにはあまり興味を示さない人が多い。個人的には、ブラッドセルのように、次世代へ残す情熱を持ち、カクテルを生み出す才能が出てきてほしいと強く願う。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img loading="lazy" decoding="async" width="681" height="975" src="https://liqul.com/upimg/2025/07/残された膨大な資料からブラッドセルの生涯と創作の裏側に迫った伝記「Dicktales」.jpg" alt="" class="wp-image-7012" srcset="https://liqul.com/upimg/2025/07/残された膨大な資料からブラッドセルの生涯と創作の裏側に迫った伝記「Dicktales」.jpg 681w, https://liqul.com/upimg/2025/07/残された膨大な資料からブラッドセルの生涯と創作の裏側に迫った伝記「Dicktales」-210x300.jpg 210w, https://liqul.com/upimg/2025/07/残された膨大な資料からブラッドセルの生涯と創作の裏側に迫った伝記「Dicktales」-293x420.jpg 293w, https://liqul.com/upimg/2025/07/残された膨大な資料からブラッドセルの生涯と創作の裏側に迫った伝記「Dicktales」-587x840.jpg 587w" sizes="auto, (max-width: 681px) 100vw, 681px" /><figcaption class="wp-element-caption">残された膨大な資料からブラッドセルの生涯と創作の裏側に迫った伝記「Dicktales」（Jared Brown &amp; Anistatia Miller 編）</figcaption></figure><p>The post <a href="https://liqul.com/entry/7008">カクテル・ヒストリア第33回『「ブラッドセルという天才バーテンダーがいた』</a> first appeared on <a href="https://liqul.com">LIQUL - リカル -</a>.</p>]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>カクテル・ヒストリア第32回『「聖地」ハリーズ・ニューヨークバーは今』</title>
		<link>https://liqul.com/entry/6959</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[荒川 英二]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 07 May 2025 10:39:03 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[カクテルコラム]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://liqul.com/?p=6959</guid>

					<description><![CDATA[<p>パリの「ハリーズ・ニューヨークバー」は、カクテルの歴史を体現した「聖地」のような酒場である。1911年の創業。当初の店名は「ニューヨーク・バー」で、オーナーは元騎手の米国人だった。しかし1923年、ハリー・マッケルホーン [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://liqul.com/entry/6959">カクテル・ヒストリア第32回『「聖地」ハリーズ・ニューヨークバーは今』</a> first appeared on <a href="https://liqul.com">LIQUL - リカル -</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>パリの「ハリーズ・ニューヨークバー」は、カクテルの歴史を体現した「聖地」のような酒場である。1911年の創業。当初の店名は「ニューヨーク・バー」で、オーナーは元騎手の米国人だった。しかし1923年、ハリー・マッケルホーン（Harry MacElhone、1890～1958）という英国人がこの店を買い取り、店名を現在のものに変えたことから、その素晴らしい歴史が始まった。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img loading="lazy" decoding="async" width="800" height="600" src="https://liqul.com/upimg/2025/05/ハリーズ・ニューヨークバーの店内風景。様々な国の人が訪れる。.jpg" alt="" class="wp-image-6965" srcset="https://liqul.com/upimg/2025/05/ハリーズ・ニューヨークバーの店内風景。様々な国の人が訪れる。.jpg 800w, https://liqul.com/upimg/2025/05/ハリーズ・ニューヨークバーの店内風景。様々な国の人が訪れる。-300x225.jpg 300w, https://liqul.com/upimg/2025/05/ハリーズ・ニューヨークバーの店内風景。様々な国の人が訪れる。-768x576.jpg 768w, https://liqul.com/upimg/2025/05/ハリーズ・ニューヨークバーの店内風景。様々な国の人が訪れる。-696x522.jpg 696w, https://liqul.com/upimg/2025/05/ハリーズ・ニューヨークバーの店内風景。様々な国の人が訪れる。-560x420.jpg 560w, https://liqul.com/upimg/2025/05/ハリーズ・ニューヨークバーの店内風景。様々な国の人が訪れる。-80x60.jpg 80w, https://liqul.com/upimg/2025/05/ハリーズ・ニューヨークバーの店内風景。様々な国の人が訪れる。-160x120.jpg 160w, https://liqul.com/upimg/2025/05/ハリーズ・ニューヨークバーの店内風景。様々な国の人が訪れる。-265x198.jpg 265w" sizes="auto, (max-width: 800px) 100vw, 800px" /><figcaption class="wp-element-caption">ハリーズ・ニューヨークバーの店内風景。様々な国の人が訪れる。</figcaption></figure>



<h2 class="wp-block-heading">数多くの「スタンダード」誕生・発展に関わる</h2>



<p>マッケルホーンは、カクテルの歴史を語るうえで欠かせない人物である。バーテンダーの先駆者であり、サイドカーやホワイトレディ（【注】ご参照）」、ブラッディ・メアリー、フレンチ75など、今日でも不動の人気を誇るスタンダード・カクテルの誕生・発展に関わったほか、1919年には、世界で初めての実用的カクテルブックとして歴史に残る「ABC of Mixing Cocktails」も著した。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img loading="lazy" decoding="async" width="956" height="503" src="https://liqul.com/upimg/2025/05/ハリーズ・ニューヨークバーを代表するカクテルたち。100年後の今も多くの人に愛される（左から）フレンチ75、ブラッディ・メアリー、サイドカー。.jpg" alt="" class="wp-image-6966" srcset="https://liqul.com/upimg/2025/05/ハリーズ・ニューヨークバーを代表するカクテルたち。100年後の今も多くの人に愛される（左から）フレンチ75、ブラッディ・メアリー、サイドカー。.jpg 956w, https://liqul.com/upimg/2025/05/ハリーズ・ニューヨークバーを代表するカクテルたち。100年後の今も多くの人に愛される（左から）フレンチ75、ブラッディ・メアリー、サイドカー。-300x158.jpg 300w, https://liqul.com/upimg/2025/05/ハリーズ・ニューヨークバーを代表するカクテルたち。100年後の今も多くの人に愛される（左から）フレンチ75、ブラッディ・メアリー、サイドカー。-768x404.jpg 768w, https://liqul.com/upimg/2025/05/ハリーズ・ニューヨークバーを代表するカクテルたち。100年後の今も多くの人に愛される（左から）フレンチ75、ブラッディ・メアリー、サイドカー。-696x366.jpg 696w, https://liqul.com/upimg/2025/05/ハリーズ・ニューヨークバーを代表するカクテルたち。100年後の今も多くの人に愛される（左から）フレンチ75、ブラッディ・メアリー、サイドカー。-798x420.jpg 798w" sizes="auto, (max-width: 956px) 100vw, 956px" /><figcaption class="wp-element-caption">ハリーズ・ニューヨークバーを代表するカクテルたち。100年後の今も多くの人に愛される（左から）フレンチ75、ブラッディ・メアリー、サイドカー。</figcaption></figure>



<p>店は第二次世界大戦中、閉店を余儀なくされ一家はロンドンへ避難。大戦終結２年後の1947年、ハリーは次男アンドリューとともにパリに戻り、営業を再開した。そして、1950年代半ばには、店の経営を徐々にアンドリューに任せるようになった。</p>



<p>創業者のハリーは1958年、68歳で激動の生涯を終えたが、店の歴史と経営は、アンドリューから長男ダンカンへ、そしてダンカンの妻イザベルに継承され、さらに2020年代以降は、ダンカンの長男フランツ・アーサー（2025年現在37歳）へと、「マッケルホーン・ファミリー」４世代でバトンが受け継がれている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">何が変わって、何が変わっていないのか</h2>



<p>一つのバーが100年続くというのは、稀有なこと。それがカクテル史に名を残すバーであればなおさらだ。カクテル史を追究してきた筆者が一番興味を抱くのは、この100年間で「ハリーズ・ニューヨークバー」はどう変わったのか、何が変わって、何が変わっていないのか、である。現在のドリンク・メニューはどうなっているのかも、とても気になっていた。</p>



<p>そこで、筆者の親しい友人で、ここ数年、パリで年間３～４カ月は暮らしているという方に先般、滞在中この酒場へ何度も足を運んでもらい、写真も含めた定期的なレポートをお願いした。具体的には、有名なカクテルを実際に味わい、写真を撮ってもらうこと、そして可能であれば、店のドリンク・メニューを一部もらってきてほしいと頼んだ。</p>



<p>友人は、そんな私のややこしい依頼を快く引き受けてくれた。店に通い詰めて、Ｄさんというバーテンダーとも親しくなってくれた（笑）。私のバーや私の顔写真を友人から見せられたＤさんは、「そんなに興味をもってくれる人なら、ぜひ差し上げて」と快く、店のメニューの実物をくれた。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" decoding="async" width="1024" height="720" src="https://liqul.com/upimg/2025/05/カクテル・メニューの「表紙」には初代マッケルホーンの写真が。-1024x720.jpg" alt="" class="wp-image-6961" srcset="https://liqul.com/upimg/2025/05/カクテル・メニューの「表紙」には初代マッケルホーンの写真が。-1024x720.jpg 1024w, https://liqul.com/upimg/2025/05/カクテル・メニューの「表紙」には初代マッケルホーンの写真が。-300x211.jpg 300w, https://liqul.com/upimg/2025/05/カクテル・メニューの「表紙」には初代マッケルホーンの写真が。-768x540.jpg 768w, https://liqul.com/upimg/2025/05/カクテル・メニューの「表紙」には初代マッケルホーンの写真が。-696x489.jpg 696w, https://liqul.com/upimg/2025/05/カクテル・メニューの「表紙」には初代マッケルホーンの写真が。-1068x751.jpg 1068w, https://liqul.com/upimg/2025/05/カクテル・メニューの「表紙」には初代マッケルホーンの写真が。-597x420.jpg 597w, https://liqul.com/upimg/2025/05/カクテル・メニューの「表紙」には初代マッケルホーンの写真が。-1195x840.jpg 1195w, https://liqul.com/upimg/2025/05/カクテル・メニューの「表紙」には初代マッケルホーンの写真が。-100x70.jpg 100w, https://liqul.com/upimg/2025/05/カクテル・メニューの「表紙」には初代マッケルホーンの写真が。-200x140.jpg 200w, https://liqul.com/upimg/2025/05/カクテル・メニューの「表紙」には初代マッケルホーンの写真が。.jpg 1280w" sizes="auto, (max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /><figcaption class="wp-element-caption">カクテル・メニューの「表紙」には初代マッケルホーンの写真が。</figcaption></figure>



<figure class="wp-block-image size-full"><img loading="lazy" decoding="async" width="543" height="764" src="https://liqul.com/upimg/2025/05/カクテル・メニューの中頁には、バーの歴史を紡いできたカクテルの数々が紹介されている。.jpg" alt="" class="wp-image-6962" srcset="https://liqul.com/upimg/2025/05/カクテル・メニューの中頁には、バーの歴史を紡いできたカクテルの数々が紹介されている。.jpg 543w, https://liqul.com/upimg/2025/05/カクテル・メニューの中頁には、バーの歴史を紡いできたカクテルの数々が紹介されている。-213x300.jpg 213w, https://liqul.com/upimg/2025/05/カクテル・メニューの中頁には、バーの歴史を紡いできたカクテルの数々が紹介されている。-299x420.jpg 299w" sizes="auto, (max-width: 543px) 100vw, 543px" /><figcaption class="wp-element-caption">
カクテル・メニューの中頁には、バーの歴史を紡いできたカクテルの数々が紹介されている。</figcaption></figure>



<p>メニューはA4横長サイズで４頁。1頁目は店の歴史を、創業者ハリーの写真とともに簡単に紹介。２～３頁目で、店の「レジェンド・カクテル」やウオッカベース、シャンパンベースのカクテルなどを紹介。４頁目では、ジンやラム、テキーラ、ウイスキーをベースにした店の最近のオリジナルらしきカクテルを載せている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">現在のメニューにみる「レジェンド・カクテル」は？</h2>



<p>ちなみに店が「レジェンド・カクテル」としているのは、ブラッディ・メアリー、フレンチ75、ブールヴァルディエ、サイドカー、コロネーション、ジェームズ・ボンド、アポテーケ・カクテルの７つ。なぜかホワイトレディは入っていない（ちなみに、お値段は1杯15～16.5ユーロ）。</p>



<p>このうち、「ジェームズ・ボンド」というカクテルのレシピは、007映画で有名な「ヴェスパー（ボンド・マティーニ）」とはまったく違い、「ビターズを振りかけた角砂糖をシャンパン・グラスの底に置き、ウオッカを注ぎ、シャンパンで満たす。最後にレモンピールを」というもの。「フレンチ75のウオッカ版」という感じだろうか。</p>



<p>また、ドイツ語で「薬局」という意味を持つ「アポテーケ・カクテル」は、「フェルネット・ブランカ、スイート・ベルモット、ホワイトミント・リキュール」というレシピで、かなりハーブ系の薬っぽい味わいのカクテルなのだろうが、私は正直、初めて聞く名前だった。</p>



<p>友人には、「とりあえず、最低限、サイドカー、ホワイトレディ、ブラッディ・メアリーは飲んできてくれ」と頼んだ。友人の感想は、「味は普通に美味しかったが、グラスが大き過ぎて（分量が約200ccも！）、1杯だけで酔ってしまいそうだった」というものだった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">100周年を記念して豪華な写真集</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img loading="lazy" decoding="async" width="374" height="522" src="https://liqul.com/upimg/2025/05/創業100年を祝って2011年に刊行された豪華な写真集。.jpg" alt="" class="wp-image-6967" srcset="https://liqul.com/upimg/2025/05/創業100年を祝って2011年に刊行された豪華な写真集。.jpg 374w, https://liqul.com/upimg/2025/05/創業100年を祝って2011年に刊行された豪華な写真集。-215x300.jpg 215w, https://liqul.com/upimg/2025/05/創業100年を祝って2011年に刊行された豪華な写真集。-301x420.jpg 301w" sizes="auto, (max-width: 374px) 100vw, 374px" /><figcaption class="wp-element-caption">創業100年を祝って2011年に刊行された豪華な写真集。</figcaption></figure>



<p>店は、2011年に創業100年を迎えた。それを祝って同年、「Harry’s Bar：The Original」という豪華な写真集もつくった。この本の中では、1920～30年代にハリーズ・バーで働いていて、「ブラッディ・メアリー」の考案者とも伝わる、ピート・プティオ氏の誕生秘話（1967年のインタビュー内容）も収録されていて、とても興味深い。</p>



<p>欧米のパブには、200年～300年続く店は少なくない。しかし店は長く続いていても経営者はその時代、時代で代わってゆく例が多い。そんな中、「ハリーズ・ニューヨークバー」がファミリー経営を維持しながら、100年以上、その歴史と伝統とバー文化を守ってくれている。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img loading="lazy" decoding="async" width="800" height="600" src="https://liqul.com/upimg/2025/05/歴史の重みを感じるバックバー。.jpg" alt="" class="wp-image-6968" srcset="https://liqul.com/upimg/2025/05/歴史の重みを感じるバックバー。.jpg 800w, https://liqul.com/upimg/2025/05/歴史の重みを感じるバックバー。-300x225.jpg 300w, https://liqul.com/upimg/2025/05/歴史の重みを感じるバックバー。-768x576.jpg 768w, https://liqul.com/upimg/2025/05/歴史の重みを感じるバックバー。-696x522.jpg 696w, https://liqul.com/upimg/2025/05/歴史の重みを感じるバックバー。-560x420.jpg 560w, https://liqul.com/upimg/2025/05/歴史の重みを感じるバックバー。-80x60.jpg 80w, https://liqul.com/upimg/2025/05/歴史の重みを感じるバックバー。-160x120.jpg 160w, https://liqul.com/upimg/2025/05/歴史の重みを感じるバックバー。-265x198.jpg 265w" sizes="auto, (max-width: 800px) 100vw, 800px" /><figcaption class="wp-element-caption">歴史の重みを感じるバックバー。</figcaption></figure>



<p>個人的には、世界中のカクテル・ファン、バー・ファンに愛されているこの酒場が末永く続き、カクテル史に新たな足跡を残してくれることを心から願っている。</p>



<p>【注】ホワイトレディは、当初マッケルホーンが1919年に考案した際はミント・リキュールがベースだったが、10年後、現在の「スタンダード」であるジン・ベースに変更された。一方、サヴォイ・ホテルの名バーテンダー、ハリー・クラドックが同時期に考案したという説もあるが、現在では両者とも考案者とみる見方が主流だ。</p>



<p>【追記】掲載写真のうち、店内外やカクテルの写真はKohsuke Usukura氏撮影（写真の著作権も同氏）。なお、Usukura氏が撮ってきてくれた他の沢山の写真は、Bar UK HP &amp; Blog＜ <a href="https://plaza.rakuten.co.jp/pianobarez/">https://plaza.rakuten.co.jp/pianobarez/</a> ＞で見ることができます）</p><p>The post <a href="https://liqul.com/entry/6959">カクテル・ヒストリア第32回『「聖地」ハリーズ・ニューヨークバーは今』</a> first appeared on <a href="https://liqul.com">LIQUL - リカル -</a>.</p>]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>カクテル・ヒストリア第31回『３つの世紀をまたぎ 愛されるジャック・ローズ』</title>
		<link>https://liqul.com/entry/6940</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[荒川 英二]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 22 Mar 2025 02:25:16 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[カクテルコラム]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://liqul.com/?p=6940</guid>

					<description><![CDATA[<p>ジャック・ローズと言えば、現代のバーでも不動の人気を誇るクラシック・カクテルの一つ。カルバドス（アップル・ブランデー）、ライム・ジュース、グレナディン・シロップという極めてシンプルな組み合わせだが、酸味と甘味のバランス、 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://liqul.com/entry/6940">カクテル・ヒストリア第31回『３つの世紀をまたぎ 愛されるジャック・ローズ』</a> first appeared on <a href="https://liqul.com">LIQUL - リカル -</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>ジャック・ローズと言えば、現代のバーでも不動の人気を誇るクラシック・カクテルの一つ。カルバドス（アップル・ブランデー）、ライム・ジュース、グレナディン・シロップという極めてシンプルな組み合わせだが、酸味と甘味のバランス、美しい色合いなどどこをとっても、ほぼ完成されたドリンクである。</p>



<figure class="wp-block-image size-full is-resized"><img loading="lazy" decoding="async" width="600" height="800" src="https://liqul.com/upimg/2025/03/100年以上も愛され続けるカクテル「ジャック・ローズ（Jack-Rose）」.jpg" alt="" class="wp-image-6943" style="width:400px" srcset="https://liqul.com/upimg/2025/03/100年以上も愛され続けるカクテル「ジャック・ローズ（Jack-Rose）」.jpg 600w, https://liqul.com/upimg/2025/03/100年以上も愛され続けるカクテル「ジャック・ローズ（Jack-Rose）」-225x300.jpg 225w, https://liqul.com/upimg/2025/03/100年以上も愛され続けるカクテル「ジャック・ローズ（Jack-Rose）」-315x420.jpg 315w" sizes="auto, (max-width: 600px) 100vw, 600px" /><figcaption class="wp-element-caption">100年以上も愛され続けるカクテル「ジャック・ローズ（Jack-Rose）」</figcaption></figure>



<h2 class="wp-block-heading">諸説入り乱れる誕生の逸話</h2>



<p>ジャック・ローズが誕生したのは19世紀末～20世紀初頭と言われ、1900年代後半の米国のカクテルブックにすでに登場していることから、この頃には欧米・大都市のバーでは、かなり認知されていたことは間違いない。しかし、誕生や経緯・由来については、これまで以下のような諸説が入り乱れてきた。</p>



<p>（１）18世紀半ばからニュージャージー州で造られていたアップル・ブランデー「レアード・アップルジャック（Laird Apple Jack）」を使ったドリンクが発展し、その後19世紀末頃、そのバラ色の色合いから「ジャック・ローズ」と呼ばれるようになった。（なお、「Jack」は人名ではなく、「アルコール度数を増す」という意味のスラング（動詞）に由来する）（出典：Mainespirits.com＜2019年＞ほか）。</p>



<figure class="wp-block-image size-full is-resized"><img loading="lazy" decoding="async" width="659" height="1024" src="https://liqul.com/upimg/2025/03/ジャック・ローズ誕生のきっかけとなったと言われるアップル・ブランデーの銘柄「Apple-Jack」.jpg" alt="" class="wp-image-6945" style="width:400px" srcset="https://liqul.com/upimg/2025/03/ジャック・ローズ誕生のきっかけとなったと言われるアップル・ブランデーの銘柄「Apple-Jack」.jpg 659w, https://liqul.com/upimg/2025/03/ジャック・ローズ誕生のきっかけとなったと言われるアップル・ブランデーの銘柄「Apple-Jack」-193x300.jpg 193w, https://liqul.com/upimg/2025/03/ジャック・ローズ誕生のきっかけとなったと言われるアップル・ブランデーの銘柄「Apple-Jack」-270x420.jpg 270w, https://liqul.com/upimg/2025/03/ジャック・ローズ誕生のきっかけとなったと言われるアップル・ブランデーの銘柄「Apple-Jack」-541x840.jpg 541w" sizes="auto, (max-width: 659px) 100vw, 659px" /><figcaption class="wp-element-caption">ジャック・ローズ誕生のきっかけとなったと言われるアップル・ブランデーの銘柄「Apple-Jack」</figcaption></figure>



<p>（２）1899年4月28日付の「New York Press」という新聞記事では、「ニューヨークのエバーリンズ・バー（Eberlin’s Bar）で働いていたフランク・ハース（Frank Haas）というバーテンダーが、オーナーのために（「アップルジャック」を使った）このカクテルを考案し、店で提供して人気を集めている」という話題が紹介されている（出典：「Americanprohibitionmuseum」「Oxford Companion to Spirits and Cocktails」など複数のカクテル専門サイト）。<br>※ちなみに、このハースが提供していた「ジャック・ローズ」は、グレナディン・シロップではなくラズベリー・シロップを、ライム・ジュースの代わりにレモン・ジュースを使うレシピ（残念ながら、「ジャック・ローズ」の名の由来については触れていない）。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img loading="lazy" decoding="async" width="292" height="487" src="https://liqul.com/upimg/2025/03/近年、考案者として最も有力視されているフランク・ハースの似顔絵.jpg" alt="" class="wp-image-6946" srcset="https://liqul.com/upimg/2025/03/近年、考案者として最も有力視されているフランク・ハースの似顔絵.jpg 292w, https://liqul.com/upimg/2025/03/近年、考案者として最も有力視されているフランク・ハースの似顔絵-180x300.jpg 180w, https://liqul.com/upimg/2025/03/近年、考案者として最も有力視されているフランク・ハースの似顔絵-252x420.jpg 252w" sizes="auto, (max-width: 292px) 100vw, 292px" /><figcaption class="wp-element-caption">近年、考案者として最も有力視されているフランク・ハースの似顔絵</figcaption></figure>



<p>　（３）1905年4月22日付の「National Police Gazette」という新聞記事では、「ニュージャージーのバーテンダー、フランク・メイ（Frank J. May）が考案した。カクテル名は、彼自身のニックネームだった」と紹介するが、なぜメイがジャック・ローズと呼ばれていたのか、その根拠については触れていない（Wikipedia英語版ほか）。</p>



<p>（４）1900年代の後半に、ニューヨークで誕生した（考案者は不詳）。カクテル名は、当時の著名な暗黒街のボス、ジェイコブ・ローゼンワイヒ（Jacob Rosenzweig　1876～1947）のニックネーム「ボールド・ジャック・ローズ（Bald＜ハゲの＞ Jack Rose）」にちなんで、名付けられた（同上）。<br>※この「ローゼンワイヒ説」は以前、多くの人から支持されていた。しかし、彼が暗黒街に登場する以前から「ジャック・ローズ」は普及していたことから、現在、その信憑性は否定されている。</p>



<p>（５）ウォルドルフアストリア・ホテルの著名なバーテンダー、アルバート・クロケットは、1931年に出版された著書で、「このカクテルの名前は、ジャック・ミノ（Jacque　Minot）という名のバラの花の色がローズピンクだったことに由来する（考案者や誕生の時期には触れず）」と書いている（出典：アルバート・クロケットの回想録「Waldorf Bar Days」から, 1931年刊）。</p>



<p>（６）ニュージャージー州のレストラン経営者、ジョセフ・ローズ（Joseph Rose）が1910～20年代に考案し、自らの名前から名付けた（出典：Wikipedia英語版ほか）。</p>



<p>（７）ワシントンDCの「ハーヴェイズ（Harvey’s Famous Restaurant）」＝営業期間1858～1991年＝は、ジャック・ローズは自らの店のオリジナルだと主張している（同上）。</p>



<h2 class="wp-block-heading">近年の研究や発見で「ハース説」が有力に</h2>



<p>以上のように、ジャック・ローズの起源を巡ってはこれまで定説はなかった。しかし、この５年ほどの間に、「２」に挙げた「フランク・ハース説」が、その根拠を裏付ける一次資料が明らかになったこともあり、専門家・研究者の間では主流になりつつある。</p>



<p>ちなみに、　「ジャック・ローズ」が欧米のカクテルブックで初めて活字になったのは、現時点で確認できた限りでは、1908年に米国で出版されたジャック・グロフスコ（Jack Grohusko）の「Jack’s Manual」と、ウィリアム・Ｔ・ブースビー（William T. Boothby）の「World Drinks and How To Mix Them」の２冊。</p>



<p>前者は「アップルジャックをベースに、ライム・ジュース、ラズベリー・シロップ、レモン・ジュース、オレンジ・ジュースを使う」レシピ、後者は「アップルジャック（またはブランデー）をベースに、グレナディン・シロップ、レモン・ジュースでつくる」シンプルなレシピとなっている。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img loading="lazy" decoding="async" width="859" height="632" src="https://liqul.com/upimg/2025/03/ジャック・ローズが初めて活字となったJack-Grohuskoの「Jacks-Manual」（1908年刊）とWilliam-Boothbyの「World-Drinks」（同）.jpg" alt="" class="wp-image-6944" srcset="https://liqul.com/upimg/2025/03/ジャック・ローズが初めて活字となったJack-Grohuskoの「Jacks-Manual」（1908年刊）とWilliam-Boothbyの「World-Drinks」（同）.jpg 859w, https://liqul.com/upimg/2025/03/ジャック・ローズが初めて活字となったJack-Grohuskoの「Jacks-Manual」（1908年刊）とWilliam-Boothbyの「World-Drinks」（同）-300x221.jpg 300w, https://liqul.com/upimg/2025/03/ジャック・ローズが初めて活字となったJack-Grohuskoの「Jacks-Manual」（1908年刊）とWilliam-Boothbyの「World-Drinks」（同）-768x565.jpg 768w, https://liqul.com/upimg/2025/03/ジャック・ローズが初めて活字となったJack-Grohuskoの「Jacks-Manual」（1908年刊）とWilliam-Boothbyの「World-Drinks」（同）-696x512.jpg 696w, https://liqul.com/upimg/2025/03/ジャック・ローズが初めて活字となったJack-Grohuskoの「Jacks-Manual」（1908年刊）とWilliam-Boothbyの「World-Drinks」（同）-571x420.jpg 571w, https://liqul.com/upimg/2025/03/ジャック・ローズが初めて活字となったJack-Grohuskoの「Jacks-Manual」（1908年刊）とWilliam-Boothbyの「World-Drinks」（同）-80x60.jpg 80w" sizes="auto, (max-width: 859px) 100vw, 859px" /><figcaption class="wp-element-caption">ジャック・ローズが初めて活字となったJack-Grohuskoの「Jacks-Manual」（1908年刊）とWilliam-Boothbyの「World-Drinks」（同）</figcaption></figure>



<h2 class="wp-block-heading">「クラシック・カクテル再評価」の流れで再び</h2>



<p>これまで書いてきたように、ジャック・ローズは100年以上の歴史を持つカクテルだが、米国内では２度の不幸に見舞われた。一つは、1912年に前述の暗黒街のボス、ローゼンライヒが世間を騒がせた抗争事件。４人のギャングが射殺されたという暗いイメージもあって、一時はカクテル名を「ロイヤル・スマイル」に変えられたことも。</p>



<p>もう一つの不幸は、米国の禁酒法（1920年～33年）だ。アップル・ブランデーを造る蒸留所はほとんどが解体、縮小を余儀なくさせられ、この影響は禁酒法廃止後も1970年代くらいまで残り、バーでジャック・ローズを頼む人は大幅に減少したという。</p>



<p>ジャック・ローズが再び注目されるようになるのは1990年代以降に起こった「クラフト・カクテル」ブームだった。2000年以降には、「クラシック・カクテル」を再評価しようというトレンドを受けて、「アップルジャック」の製造元「レアード」社も息を吹き返し、ジャック・ローズは再び脚光を浴びるようになった。</p>



<p>ちなみに、「ジャック・ローズ」は、日本には1920年代にいち早く伝わり、1924年に前田米吉が著した日本初の実用的カクテルブック『コクテール』にも登場。日本でも今なお、バーの人気カクテルの一つとなっている。</p><p>The post <a href="https://liqul.com/entry/6940">カクテル・ヒストリア第31回『３つの世紀をまたぎ 愛されるジャック・ローズ』</a> first appeared on <a href="https://liqul.com">LIQUL - リカル -</a>.</p>]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>カクテル・ヒストリア第30回『「幻のカクテルブック」と念願の出会い』</title>
		<link>https://liqul.com/entry/6919</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[荒川 英二]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 31 Oct 2024 02:00:46 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[カクテルコラム]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://liqul.com/?p=6919</guid>

					<description><![CDATA[<p>「日本初」は実用性であまり評価されず 「天皇の料理番」として知られた元宮内庁料理長、秋山徳蔵氏（1888～1974）は、大正13年（1924年）10月に、日本で初めてのカクテルブック『カクテル　混合酒調合法』を出版した人 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://liqul.com/entry/6919">カクテル・ヒストリア第30回『「幻のカクテルブック」と念願の出会い』</a> first appeared on <a href="https://liqul.com">LIQUL - リカル -</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2 class="wp-block-heading">「日本初」は実用性であまり評価されず</h2>



<p>「天皇の料理番」として知られた元宮内庁料理長、秋山徳蔵氏（1888～1974）は、大正13年（1924年）10月に、日本で初めてのカクテルブック『カクテル　混合酒調合法』を出版した人物としても歴史にその名を残している。</p>



<figure class="wp-block-image size-large is-resized"><img loading="lazy" decoding="async" width="646" height="1024" src="https://liqul.com/upimg/2024/10/秋山徳蔵（1932年、44歳時の肖像）＝国立国会図書館「近代日本人の肖像」から-646x1024.jpg" alt="秋山徳蔵（1932年、44歳時の肖像）＝国立国会図書館「近代日本人の肖像」から" class="wp-image-6924" style="width:400px" srcset="https://liqul.com/upimg/2024/10/秋山徳蔵（1932年、44歳時の肖像）＝国立国会図書館「近代日本人の肖像」から-646x1024.jpg 646w, https://liqul.com/upimg/2024/10/秋山徳蔵（1932年、44歳時の肖像）＝国立国会図書館「近代日本人の肖像」から-189x300.jpg 189w, https://liqul.com/upimg/2024/10/秋山徳蔵（1932年、44歳時の肖像）＝国立国会図書館「近代日本人の肖像」から-768x1218.jpg 768w, https://liqul.com/upimg/2024/10/秋山徳蔵（1932年、44歳時の肖像）＝国立国会図書館「近代日本人の肖像」から-968x1536.jpg 968w, https://liqul.com/upimg/2024/10/秋山徳蔵（1932年、44歳時の肖像）＝国立国会図書館「近代日本人の肖像」から-1291x2048.jpg 1291w, https://liqul.com/upimg/2024/10/秋山徳蔵（1932年、44歳時の肖像）＝国立国会図書館「近代日本人の肖像」から-696x1104.jpg 696w, https://liqul.com/upimg/2024/10/秋山徳蔵（1932年、44歳時の肖像）＝国立国会図書館「近代日本人の肖像」から-1392x2208.jpg 1392w, https://liqul.com/upimg/2024/10/秋山徳蔵（1932年、44歳時の肖像）＝国立国会図書館「近代日本人の肖像」から-1068x1694.jpg 1068w, https://liqul.com/upimg/2024/10/秋山徳蔵（1932年、44歳時の肖像）＝国立国会図書館「近代日本人の肖像」から-265x420.jpg 265w, https://liqul.com/upimg/2024/10/秋山徳蔵（1932年、44歳時の肖像）＝国立国会図書館「近代日本人の肖像」から-530x840.jpg 530w, https://liqul.com/upimg/2024/10/秋山徳蔵（1932年、44歳時の肖像）＝国立国会図書館「近代日本人の肖像」から.jpg 1455w" sizes="auto, (max-width: 646px) 100vw, 646px" /><figcaption class="wp-element-caption">秋山徳蔵（1932年、44歳時の肖像）＝国立国会図書館「近代日本人の肖像」から</figcaption></figure>



<p>秋山氏は元々バーテンダーではなく、西洋料理のシェフだったが、海外からの賓客を招く宮中晩さん会を取り仕切る立場から、必要に迫られて洋酒やカクテルの勉強にも打ち込んだ。そして著したのが前掲の本である。</p>



<figure class="wp-block-image size-large is-resized"><img loading="lazy" decoding="async" width="766" height="1024" src="https://liqul.com/upimg/2024/10/日本初のカクテルとされる秋山徳蔵著『カクテル　混合酒調合法』（1924年刊）-766x1024.jpg" alt="" class="wp-image-6926" style="width:400px" srcset="https://liqul.com/upimg/2024/10/日本初のカクテルとされる秋山徳蔵著『カクテル　混合酒調合法』（1924年刊）-766x1024.jpg 766w, https://liqul.com/upimg/2024/10/日本初のカクテルとされる秋山徳蔵著『カクテル　混合酒調合法』（1924年刊）-224x300.jpg 224w, https://liqul.com/upimg/2024/10/日本初のカクテルとされる秋山徳蔵著『カクテル　混合酒調合法』（1924年刊）-768x1027.jpg 768w, https://liqul.com/upimg/2024/10/日本初のカクテルとされる秋山徳蔵著『カクテル　混合酒調合法』（1924年刊）-696x931.jpg 696w, https://liqul.com/upimg/2024/10/日本初のカクテルとされる秋山徳蔵著『カクテル　混合酒調合法』（1924年刊）-314x420.jpg 314w, https://liqul.com/upimg/2024/10/日本初のカクテルとされる秋山徳蔵著『カクテル　混合酒調合法』（1924年刊）-628x840.jpg 628w, https://liqul.com/upimg/2024/10/日本初のカクテルとされる秋山徳蔵著『カクテル　混合酒調合法』（1924年刊）.jpg 957w" sizes="auto, (max-width: 766px) 100vw, 766px" /><figcaption class="wp-element-caption">日本初のカクテルとされる秋山徳蔵著『カクテル　混合酒調合法』（1924年刊）</figcaption></figure>



<p>この日本初のカクテルブックには、約200種類のカクテルが収録されているが、残念ながら、個々のカクテルの作り方やレシピについては「文章のみの説明しかなく、あまり実用的ではない」という評判もあって、一般にはあまり普及しなかった。</p>



<p>一方で、同年の1カ月後に出版された前田米吉氏の『コクテール』には、レシピが現代のカクテルブックと同じような「分量や割合で」表記されていて、実用性という点では、前田氏の本の方が高く評価されたことは疑いない。　</p>



<h2 class="wp-block-heading">わずか５年後に改訂版を出した秋山氏</h2>



<p>日本生まれのカクテルブックとしては、その後、1926年（昭和元年）に『カクテル製法秘訣』（中田政三著）、1929年（同４年）に『カクテル』（安土禮夫著）、1931年（同６年）に『世界コクテル百科辞典』（佐藤紅霞著）などの本が出版されたが、当時のバー業界で話題になったという記録はない。戦前に出た本格的かつ実用的な文献としては、1936年（同11年）の『スタンダード・カクテルブック』（JBA編、村井洋著）が最も高く評価された（いまだ復刻版が実現しないことは個人的にはとても残念である）。</p>



<p>しかし私は先般、洋酒評論家として著名な福西英三氏（故人、1930～2022）が2008年に出版された『読むカクテル百科』（河出書房新社・刊）という著書を読んでいて、驚くべき一文を見つけた。</p>



<p>曰く、「一番古い『ブルームーン』収録書は、なんと1929年（昭和4年）に東京・赤坂の秋山料理研究所から発行された秋山徳蔵著『コクテール　混合酒調合法』というカクテルブックだった。」（137頁）と。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img loading="lazy" decoding="async" width="358" height="676" src="https://liqul.com/upimg/2024/10/初版から５年後、タイトルも少し変えて大幅改訂された秋山徳蔵の『コクテール　混合酒調合法』（1929年刊）.jpg" alt="" class="wp-image-6925" srcset="https://liqul.com/upimg/2024/10/初版から５年後、タイトルも少し変えて大幅改訂された秋山徳蔵の『コクテール　混合酒調合法』（1929年刊）.jpg 358w, https://liqul.com/upimg/2024/10/初版から５年後、タイトルも少し変えて大幅改訂された秋山徳蔵の『コクテール　混合酒調合法』（1929年刊）-159x300.jpg 159w, https://liqul.com/upimg/2024/10/初版から５年後、タイトルも少し変えて大幅改訂された秋山徳蔵の『コクテール　混合酒調合法』（1929年刊）-222x420.jpg 222w" sizes="auto, (max-width: 358px) 100vw, 358px" /><figcaption class="wp-element-caption">初版から５年後、タイトルも少し変えて大幅改訂された秋山徳蔵の『コクテール　混合酒調合法』（1929年刊）</figcaption></figure>



<p>私はそれまで、秋山氏の著書については前述の『カクテル　混合酒調合法』しか知らなかった。彼が「日本初」の本から５年後に、自ら改訂版とも言えるカクテルブックを出していたことは、少々驚きだった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">国会図書館にも蔵書はない「幻」の本</h2>



<p>早速、国会図書館のデータベースで調べたが、同館では所蔵していなかった。代わりに東京都内にある民間の図書館が、なぜか1冊所蔵しており、著作権法に違反しない範囲でコピーを入手することも可能だと分かり、依頼した。</p>



<p>その結果、以下に紹介する興味深い事実がいくつか分かった。</p>



<ol class="wp-block-list">
<li>内容は、1924年初版の焼き直しだろうと想像していたが、1929年改訂版では、秋山氏はまったく新しいスタイルで書き直していた。</li>



<li>初版にはなかった、箇条書きでのレシピの分量表示を実現させている。</li>



<li>タイトルも1924年の初版は『カクテル　混合酒調合法』だが、1929年改訂版では『コクテール　混合酒調合法』と変えている。</li>



<li>本の判型も、初版ではA5判くらいのサイズだったのが、改訂版では、持ち運びしやすく、現場でも使いやすいポケットサイズ（縦約15cm、横約9cm）に変更している。</li>



<li>改訂版での収録カクテルは120種類。初版の208種類と比べるとかなり少なくなっているが、約半数は新しいカクテルを収録している。</li>



<li>新収録されたカクテルには、バカルディ・カクテル、バンブー、ブルームーン、ブロンクス、ギブソン、ミリオンダラー（※かの『サヴォイ・カクテルブック』＝1930年刊＝よりも1年早く！）、ニューヨーク、パラダイスなど現在でもよく知られるカクテルも多いが、同じく知名度はあったはずのエッグノッグ、ウイスキー・ハイボール、ホーセズ・ネック、サゼラック、ジン・フィズ、ジャンディ・ガフなどは改訂版でなぜか外されていた。</li>
</ol>



<figure class="wp-block-image size-full is-resized"><img loading="lazy" decoding="async" width="768" height="1024" src="https://liqul.com/upimg/2024/10/『コクテール　混合酒調合法』で初めて活字で紹介された「ミリオンダラー（Million-Dallar）」.jpg" alt="" class="wp-image-6923" style="width:400px" srcset="https://liqul.com/upimg/2024/10/『コクテール　混合酒調合法』で初めて活字で紹介された「ミリオンダラー（Million-Dallar）」.jpg 768w, https://liqul.com/upimg/2024/10/『コクテール　混合酒調合法』で初めて活字で紹介された「ミリオンダラー（Million-Dallar）」-225x300.jpg 225w, https://liqul.com/upimg/2024/10/『コクテール　混合酒調合法』で初めて活字で紹介された「ミリオンダラー（Million-Dallar）」-696x928.jpg 696w, https://liqul.com/upimg/2024/10/『コクテール　混合酒調合法』で初めて活字で紹介された「ミリオンダラー（Million-Dallar）」-315x420.jpg 315w, https://liqul.com/upimg/2024/10/『コクテール　混合酒調合法』で初めて活字で紹介された「ミリオンダラー（Million-Dallar）」-630x840.jpg 630w" sizes="auto, (max-width: 768px) 100vw, 768px" /><figcaption class="wp-element-caption">『コクテール　混合酒調合法』で初めて活字で紹介された「ミリオンダラー（Million Dallar）」</figcaption></figure>



<h2 class="wp-block-heading">「前田本」をかなり意識した大幅改訂</h2>



<p>秋山氏は、この改訂版を出そうと思った動機について、序文（自序）で以下のように記している。</p>



<p>「國を料理する政治家も、経済界に活躍する実業家も、世界の檜舞台に立つ外交家も、日々事務室に働く俸給生活者も、工場に勤務する人々も、朝には思うが儘（まま）に奮闘せんとする溌剌（はつらつ）たる精神を振り興さんため、愉快なるアルコールを要求し、夕には、終日の勤労を癒し明日の力を培養するに強烈なるスピリットを愛好するは、自然の歌であらねばならぬ。（中 略）　</p>



<p>近来我國に、一杯良く陶然たる快味をかちうるコクテールの、著しく流行を見るに至りたるは元より故なしとしない。著者は百忙一閑を愉しみ、嘗て『カクテル　混合酒調合法』なる小著を公にしたが、近来の傾向に鑑み、更に稿を更め、註解を加へ実際を基とし、酒場に働く人並びに社交界に活躍する紳士淑女、好酒豪の為めに新たに本書を刊行する所以である。」</p>



<p>行間には初版『カクテル』が、前田氏の『コクテール』と比べて、「読みにくい」「使いにくい」と指摘された点を真摯に受け止め、より実用的な本にしようと思った気持ちがにじむ。タイトルもあえて「カクテル」から「コクテール」に変え、収録カクテルも半数を入れ替えたのは、明らかに前田氏への“対抗意識”の表れだろう。</p>



<p>この改訂版出の刊行時、秋山氏は41歳。25歳の若さで宮内省大膳寮厨司長に招かれて以来16年のキャリアを積み、すでに揺るぎない地位を築いていた。別にこの本が売れなくても生活に困る訳ではない。</p>



<p>しかし、やはり、「日本初」のカクテルブックを出したというプライドが許さず、再び、現場で役に立つ改訂版を出そうと挑んだのかと思うと、秋山氏の人間らしい一面が見られて、微笑ましいとまで思ってしまうのは私だけだろうか。</p><p>The post <a href="https://liqul.com/entry/6919">カクテル・ヒストリア第30回『「幻のカクテルブック」と念願の出会い』</a> first appeared on <a href="https://liqul.com">LIQUL - リカル -</a>.</p>]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>カクテル・ヒストリア第29回『「レッド・アイ」は何処の生まれか？』</title>
		<link>https://liqul.com/entry/6876</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[荒川 英二]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 03 Jul 2024 05:53:25 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[カクテルコラム]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://liqul.com/?p=6876</guid>

					<description><![CDATA[<p>映画「カクテル」から広がった誤解 「レッド･アイ」は、ビールとトマト・ジュース、スパイス類でつくる、とてもシンプルなカクテル。欧米発祥と誤解されることも多いが、実は1970年代に日本国内で誕生したドリンクである。カクテル [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://liqul.com/entry/6876">カクテル・ヒストリア第29回『「レッド・アイ」は何処の生まれか？』</a> first appeared on <a href="https://liqul.com">LIQUL - リカル -</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2 class="wp-block-heading">映画「カクテル」から広がった誤解</h2>



<p>「レッド･アイ」は、ビールとトマト・ジュース、スパイス類でつくる、とてもシンプルなカクテル。欧米発祥と誤解されることも多いが、実は1970年代に日本国内で誕生したドリンクである。カクテル名（「赤い眼」）は、「二日酔いのような血走った眼」に由来するという説が一般的だが、誕生の経緯はほとんど伝わっていない。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img loading="lazy" decoding="async" width="600" height="800" src="https://liqul.com/upimg/2024/07/ビール・ベースの人気カクテル「レッド・アイ（Red-Eye）.jpg" alt="" class="wp-image-6878" srcset="https://liqul.com/upimg/2024/07/ビール・ベースの人気カクテル「レッド・アイ（Red-Eye）.jpg 600w, https://liqul.com/upimg/2024/07/ビール・ベースの人気カクテル「レッド・アイ（Red-Eye）-225x300.jpg 225w, https://liqul.com/upimg/2024/07/ビール・ベースの人気カクテル「レッド・アイ（Red-Eye）-315x420.jpg 315w" sizes="auto, (max-width: 600px) 100vw, 600px" /><figcaption class="wp-element-caption">ビール・ベースの人気カクテル「レッド・アイ（Red Eye）</figcaption></figure>



<p>日本のカクテルブック等では、「レッド・アイは、トム・クルーズ主演の映画『カクテル』（1988年公開）で登場してブレークし、その後、日本国内に広がった」と紹介されることが少なくない。</p>



<p>映画「カクテル」と原作者ヘイウッド・グールド（Heywood Gould）の小説では、トムが演じる主人公フラナガンの友人で、バー・マスターのダグが、フラナガンのためにレッド・アイをつくる有名なシーンがある。だが、このレッド・アイは、現代の標準的なレシピに生卵を加えるという驚くべきカクテルとして描かれていた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">映画公開以前から、日本のバーでは飲まれていた</h2>



<p>しかし、映画「カクテル」が起源という説は、まったくの事実誤認と言うしかない。グールドの小説が出版（1984年）される以前の1970年代後半～80年代前半、日本国内ではすでに、レッド・アイ（生卵はなし）は街場のバーにお目見えしていた。1982年に、日本で出版されたカクテルブック（福西英三著『カクテル入門』）にも紹介されている。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img loading="lazy" decoding="async" width="657" height="939" src="https://liqul.com/upimg/2024/07/日本で初めてレッド・アイが紹介された福西英三氏著の「カクテル入門」（1982年刊）.jpg" alt="" class="wp-image-6881" srcset="https://liqul.com/upimg/2024/07/日本で初めてレッド・アイが紹介された福西英三氏著の「カクテル入門」（1982年刊）.jpg 657w, https://liqul.com/upimg/2024/07/日本で初めてレッド・アイが紹介された福西英三氏著の「カクテル入門」（1982年刊）-210x300.jpg 210w, https://liqul.com/upimg/2024/07/日本で初めてレッド・アイが紹介された福西英三氏著の「カクテル入門」（1982年刊）-294x420.jpg 294w, https://liqul.com/upimg/2024/07/日本で初めてレッド・アイが紹介された福西英三氏著の「カクテル入門」（1982年刊）-588x840.jpg 588w" sizes="auto, (max-width: 657px) 100vw, 657px" /><figcaption class="wp-element-caption">日本で初めてレッド・アイが紹介された福西英三氏著の「カクテル入門」（1982年刊）</figcaption></figure>



<p>ビールとトマト・ジュースのカクテルは、本土返還（1973年）前の沖縄ではポピュラーなドリンクだった。。沖縄では当初、「トマト・ビア（Tomato Beer）」または「レッド・ビア（Red Beer）」という名前で飲まれてたという証言もあるが、これがいつしか「レッド・アイ」という名前に変わり、観光客や米軍関係者らを通じて日本本土に伝わったと考えられている。</p>



<p>その後、本土に伝わった段階では、「レッド・アイ」という名でほぼ定着していた。そして首都圏から広がり、その他の国内大都市のバーでも、普通に飲めるようになった。私自身、バーで初めてレッド・アイを飲んだのは、1970年代末だったような記憶がある。</p>



<p>困ったことに、そういう事実を知らない一部のバー業界関係者や出版関係者が、映画「カクテル」が話題になったことで、「レッド・アイは米国発祥で、本来は生卵を入れるスタイルだった」などという作り話を広めてしまった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">生き残らなかった映画版「生卵入りレッド・アイ」</h2>



<p>映画＆小説のために考案された「生卵入りのレッド・アイ」は、日本で普通に飲まれていた（生卵なしの）レッド・アイが、何らかのルートで原作者のグールドに伝わり、話題づくりのためにアレンジされたものなのだ。「グールドのオリジナル」であり、今日私たちが味わっているレッド･アイとは基本的に別物だということ（ちなみに、グールドは作家になる前、バーテンダーの職歴もあった）。</p>



<p>残念ながら、映画「カクテル」自体は専門家から酷評され、加えて米国では元々、生卵を食べるような習慣がなかったこともあり、映画版レッド・アイはその後、米国内ではほとんど忘れ去られてしまった（代わりに、同じ映画に登場した「オーガズム」や「セッックス・オン・ザ・ビーチ」のというカクテルは、その奇抜な名前が話題になったこともあり、今なお生き残っている）。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img loading="lazy" decoding="async" width="630" height="930" src="https://liqul.com/upimg/2024/07/映画「カクテル」はそれなりにヒットしたが、映画版の生卵入りレッド・アイは生き残らなかった（写真は原作となった小説の翻訳版文庫本）.jpg" alt="" class="wp-image-6880" srcset="https://liqul.com/upimg/2024/07/映画「カクテル」はそれなりにヒットしたが、映画版の生卵入りレッド・アイは生き残らなかった（写真は原作となった小説の翻訳版文庫本）.jpg 630w, https://liqul.com/upimg/2024/07/映画「カクテル」はそれなりにヒットしたが、映画版の生卵入りレッド・アイは生き残らなかった（写真は原作となった小説の翻訳版文庫本）-203x300.jpg 203w, https://liqul.com/upimg/2024/07/映画「カクテル」はそれなりにヒットしたが、映画版の生卵入りレッド・アイは生き残らなかった（写真は原作となった小説の翻訳版文庫本）-285x420.jpg 285w, https://liqul.com/upimg/2024/07/映画「カクテル」はそれなりにヒットしたが、映画版の生卵入りレッド・アイは生き残らなかった（写真は原作となった小説の翻訳版文庫本）-569x840.jpg 569w" sizes="auto, (max-width: 630px) 100vw, 630px" /><figcaption class="wp-element-caption">映画「カクテル」はそれなりにヒットしたが、映画版の生卵入りレッド・アイは生き残らなかった（写真は原作となった小説の翻訳版文庫本）</figcaption></figure>



<p>現在、欧米のバーでは「レッド・アイをください」と言っても、99％通じない。「それって何？」と怪訝な顔をされるだけだろう。70年代以降に出版された欧米のカクテルブックでも、この（生卵なしの）レッド・アイというカクテルを紹介している文献は、調べた限りでは皆無である。</p>



<p>ただし、IT時代のグローバルな現代、日本国内のレッド・アイが逆に欧米へ発信されているためなのか、５年ほど前は「Red Eye Cocktail」でグーグル検索しても、ほとんどヒットしなかったのに、現在では「日本発のカクテル」として紹介する欧米の専門サイトもいくつか現れるようになっている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">欧米では「レッド・ビア」の方がまだ通じる？</h2>



<p>ちなみに、欧米などでは現在、ビールとトマト・ジュース、スパイス類を使ったカクテルは存在しないのかと言えば、そうではなく、様々な「違う名前」で飲まれている。</p>



<p>米国では例えば、「レッド・ビア（Red Beer）」「トマト･ビア(Tomato Beer)」「スパイシー・ビア（Spicy Beer）」「レッド・ルースター（Red Rooster）」「ブラッディ・ビア（Bloody Beer）」等々。カナダでは「シーザー（Caesar）」または「カルガリー・レッド・アイ（Calgary Red Eye）」、メキシコでは「ミチェラーダ（Michelada）」または「チェラーダ（ Chelada）」と呼ばれることが多いという（調べた限りでは、世界的には「レッド・ビア」が一番多数派のようだ）。</p>



<p>それぞれいつ頃発祥したのかについては、レッド・ビアについては1950～60年代、ミチェラーダについては1980年代と紹介するサイトもあったが、その裏付け（根拠資料）は示されていない。いずれにしても、単純なレシピなので、名前は違っても、世界各地でほぼ同時多発的に同じようなカクテルが誕生していても不思議ではない。 　レッド・アイは、アルコール度数は低めで、ビタミン類も豊富なことから、一晩のバー巡りの締めとして、あるいは飲み過ぎた翌朝の「迎え酒」として（笑）、ぴったりの一杯だ。私もバー巡りをする時には、最後の一杯によく注文する。すると、翌日は二日酔いもなく、すっきりとした頭で起きられるのだ。</p><p>The post <a href="https://liqul.com/entry/6876">カクテル・ヒストリア第29回『「レッド・アイ」は何処の生まれか？』</a> first appeared on <a href="https://liqul.com">LIQUL - リカル -</a>.</p>]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>カクテル・ヒストリア第28回『もし、クラドックが米国に居続けていたら……』</title>
		<link>https://liqul.com/entry/6782</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[荒川 英二]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 09 Mar 2024 06:07:28 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[カクテルコラム]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://liqul.com/?p=6782</guid>

					<description><![CDATA[<p>プライベートな部分に光を当てた『The DEANS Of DRINK』 『サヴォイ・カクテルブック（The Savoy Cocktail Book）』（1930年刊）と言えば、サヴォイ・ホテルのチーフ・バーテンダーだった [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://liqul.com/entry/6782">カクテル・ヒストリア第28回『もし、クラドックが米国に居続けていたら……』</a> first appeared on <a href="https://liqul.com">LIQUL - リカル -</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2 class="wp-block-heading">プライベートな部分に光を当てた『The DEANS Of DRINK』</h2>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full is-resized"><img loading="lazy" decoding="async" width="621" height="958" src="https://liqul.com/upimg/2024/03/クラドックの知られざる人生や私生活に光を当てた名著『The-Dean-Of-Drink』.jpg" alt="" class="wp-image-6785" style="width:400px" srcset="https://liqul.com/upimg/2024/03/クラドックの知られざる人生や私生活に光を当てた名著『The-Dean-Of-Drink』.jpg 621w, https://liqul.com/upimg/2024/03/クラドックの知られざる人生や私生活に光を当てた名著『The-Dean-Of-Drink』-194x300.jpg 194w, https://liqul.com/upimg/2024/03/クラドックの知られざる人生や私生活に光を当てた名著『The-Dean-Of-Drink』-272x420.jpg 272w, https://liqul.com/upimg/2024/03/クラドックの知られざる人生や私生活に光を当てた名著『The-Dean-Of-Drink』-545x840.jpg 545w" sizes="auto, (max-width: 621px) 100vw, 621px" /><figcaption class="wp-element-caption">クラドックの知られざる人生や私生活に光を当てた名著『The Dean Of Drink』</figcaption></figure>
</div>


<p>『サヴォイ・カクテルブック（The Savoy Cocktail Book）』（1930年刊）と言えば、サヴォイ・ホテルのチーフ・バーテンダーだったハリー・クラドックが著した歴史的名著で、約90年経った現在でも、「歴史上、最高のカクテルブック」と評価されるこの本には、1920年代末までに誕生したスタンダード・カクテルやクラドックのオリジナルなど約900ものドリンクが収録されている。</p>



<p>英国生まれのクラドックは、1897年、「新大陸アメリカで一旗揚げよう」と22歳でリバプールから外航客船テュートニック号で旅立った。そして、クリーブランド、シカゴ、ニューヨークとバーテンダー修業を積み、求められると、大都市だけでなくリゾート地のホテルにも赴いた。1908年、33歳の時には、英領バハマ諸島（当時）の中心都市、ナッソーのコロニアル・ホテルに移り、ここで4年間働いた。</p>



<p>仕立て屋と織物職人の両親を持つ彼が、なぜ、バーの仕事を選んだのかはよく分からない。おそらく、そう裕福でもなく米国にやって来たクラドックにとっては、まず、日銭を稼げる身近な職が飲食の現場だったのだろう。とにもかくにも、彼はホテルで職を求めた。そして毎日変化がある職場に、働く喜びを感じたのだろう。それから約23年間、米国を離れるまで、場所は変わっても飲食の場で働き続けたのだから、真面目な性格で忍耐力も強い人間だったに違いない。</p>



<p>私は時々想像する。歴史に「たら・れば」はないが、「もし」を考えるのは面白い。以前、私は、「もし禁酒法が成立しなければ、クラドックはずっと米国にいるつもりだったのだろうか？」と考えたことがあった。そして、素顔の彼はどんな人物だったのか、私生活ではどんな日常を送っていたのか、妻や子どもはいたのか。誰しもが興味を抱くそんな部分について知りたいと思っていた。</p>



<p>この連載でも以前に紹介した、2013年に刊行された『The DEANS Of DRINK』（Anistatia Miller &amp; Jared Brown共著　※ハリー・ジョンソン、ハリー・クラドックというカクテル界の２人の巨人の伝記）は、これまで謎だった彼のプライベートな部分について、初めて少し光を当ててくれた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">米国籍も取得し、第一次世界大戦では米軍に志願</h2>



<p>1916年９月、42歳のクラドックは米国籍も申請し、認められた（英国籍も持ったままの、いわゆる「二重国籍者」となったが、欧米では珍しいことではなかった）。そして、翌年、第一次世界大戦への参戦を米国が表明した際には、徴兵に自ら志願した。この事実を持ってしても、クラドックはもはや英国に帰るつもりはなく、米国に永住するつもりだったことが分かる。</p>



<p>翌1917年６月には、アイルランド出身の未亡人、アニー・フィッツジェラルドと結婚する。アニーには死別した前夫との間にルイーズ・エミリーという13歳の娘がいた。結婚当時はアイルランドの姉の家に預けられていたが、３年後、クラドックらと一緒にマンハッタンで生活し始めた。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large"><img loading="lazy" decoding="async" width="1024" height="602" src="https://liqul.com/upimg/2024/03/ハリーと妻のアニー、アニーの娘ルイーズ・エミリー。一緒に訪米するためのパスポート申請用に撮られた写真という（『The-Dean-Of-Drink』より）-1024x602.jpg" alt="" class="wp-image-6786" srcset="https://liqul.com/upimg/2024/03/ハリーと妻のアニー、アニーの娘ルイーズ・エミリー。一緒に訪米するためのパスポート申請用に撮られた写真という（『The-Dean-Of-Drink』より）-1024x602.jpg 1024w, https://liqul.com/upimg/2024/03/ハリーと妻のアニー、アニーの娘ルイーズ・エミリー。一緒に訪米するためのパスポート申請用に撮られた写真という（『The-Dean-Of-Drink』より）-300x176.jpg 300w, https://liqul.com/upimg/2024/03/ハリーと妻のアニー、アニーの娘ルイーズ・エミリー。一緒に訪米するためのパスポート申請用に撮られた写真という（『The-Dean-Of-Drink』より）-768x452.jpg 768w, https://liqul.com/upimg/2024/03/ハリーと妻のアニー、アニーの娘ルイーズ・エミリー。一緒に訪米するためのパスポート申請用に撮られた写真という（『The-Dean-Of-Drink』より）-696x409.jpg 696w, https://liqul.com/upimg/2024/03/ハリーと妻のアニー、アニーの娘ルイーズ・エミリー。一緒に訪米するためのパスポート申請用に撮られた写真という（『The-Dean-Of-Drink』より）-1068x628.jpg 1068w, https://liqul.com/upimg/2024/03/ハリーと妻のアニー、アニーの娘ルイーズ・エミリー。一緒に訪米するためのパスポート申請用に撮られた写真という（『The-Dean-Of-Drink』より）-714x420.jpg 714w, https://liqul.com/upimg/2024/03/ハリーと妻のアニー、アニーの娘ルイーズ・エミリー。一緒に訪米するためのパスポート申請用に撮られた写真という（『The-Dean-Of-Drink』より）.jpg 1280w" sizes="auto, (max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /><figcaption class="wp-element-caption">ハリーと妻のアニー、アニーの娘ルイーズ・エミリー。一緒に訪米するためのパスポート申請用に撮られた写真という（『The Dean Of Drink』より）</figcaption></figure>
</div>


<p>しかし、家族３人で暮らし始めたのもつかの間、1920年、米国に禁酒法が施行されてしまう。働く場を失ったクラドック。しかし、違法な社交クラブや“もぐり酒場”で働くことは彼のプライドが許さない。選択肢は「英国へ戻る」ことしかなかっただろう。</p>



<h2 class="wp-block-heading">マンハッタンの賃貸住宅契約を残したまま帰国</h2>



<p>この年の４月、クラドックは家族と一緒に帰英する。しかしこの頃、彼はそれでも「いずれ再び米国へ戻る」ことを考えていたことを示す事実がある。ロンドンに住む兄宅に一時身を寄せたが、米国大使館に届け出た住所はニューヨークのまま。マンハッタンの賃貸住宅の契約も５年分を残したまま、解約せず米国を離れている。「禁酒法などそう長く続かない。近い将来廃止となれば、またニューヨークへ戻りたい」と考えていたことは明らかだろう。</p>



<p>クラドックは帰国翌年の1921年９月、サヴォイ・ホテルでバーテンダーの職を得た。ニューヨークの賃貸住宅には後に、娘のルイーズ・エミリーが再び帰米し、住むことになった。禁酒法はクラドックの予想に反して13年も続いた。その間に彼はサヴォイのチーフ・バーテンダーに昇格した（1925年）。</p>



<p>1927年にはかのマダム・タッソーろう人形館にクラドックの人形が登場するなど、英国でのクラドックの人気と評価は確かなものになっていた。そして、1929年には米ウォール街での株暴落に端を発したあの「大恐慌」が始まり、経済情勢は最悪となる。</p>



<p>以前、私は「クラドックは1920年に帰英した後、二度と米国の地は踏まなかった」と書いたことがあった。しかし『The DEANS……』を読むと、実は1930年12月に一度だけ、米国の現状視察と称してニューヨークなどに戻っていたことが分かる。だが、この訪問も、「クラドックのカクテルを求めるサヴォイの顧客の要望に負けて」短期間で切り上げることを余儀なくされた。</p>



<p>禁酒法はようやく1933年に廃止され、米国の酒場も復活し始める。クラドックは早速、米国内の複数の一流ホテルからバーテンダー復帰の申し出を受ける。しかし、「大恐慌」の後遺症はなお残り、米国経済はまだ苦しんでいた。一方で、クラドックはすでに英国で確固たる地位も名誉も築いていた。なお米国籍を持ち、米国に未練もあったクラドックだが、自分の年齢（58歳）も考えて、熟慮の末に断ったのは当然かもしれない。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-medium"><img loading="lazy" decoding="async" width="300" height="300" src="https://liqul.com/upimg/2024/03/1920年代のハリー・クラドック（Harry-Craddock）＝The-Savoy-HotelのAmerican-Barのカウンターで-300x300.jpg" alt="" class="wp-image-6784" srcset="https://liqul.com/upimg/2024/03/1920年代のハリー・クラドック（Harry-Craddock）＝The-Savoy-HotelのAmerican-Barのカウンターで-300x300.jpg 300w, https://liqul.com/upimg/2024/03/1920年代のハリー・クラドック（Harry-Craddock）＝The-Savoy-HotelのAmerican-Barのカウンターで-150x150.jpg 150w, https://liqul.com/upimg/2024/03/1920年代のハリー・クラドック（Harry-Craddock）＝The-Savoy-HotelのAmerican-Barのカウンターで-420x420.jpg 420w, https://liqul.com/upimg/2024/03/1920年代のハリー・クラドック（Harry-Craddock）＝The-Savoy-HotelのAmerican-Barのカウンターで.jpg 500w" sizes="auto, (max-width: 300px) 100vw, 300px" /><figcaption class="wp-element-caption">1920年代のハリー・クラドック（Harry Craddock）＝The Savoy HotelのAmerican Barのカウンターで</figcaption></figure>
</div>


<h2 class="wp-block-heading">米禁酒法施行がなければ、あの名著も生まれなかった</h2>



<p>歴史に「もし」はないだろうが、もし禁酒法が施行されなければ、クラドックは間違いなく米国に永住していただろうし、あの名著『サヴォイ・カクテルブック』も生まれなかったことは間違いない。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img loading="lazy" decoding="async" width="398" height="578" src="https://liqul.com/upimg/2024/03/歴史的名著の誉れ高い『The-Savoy-Cocktail-Book』（1930年刊）.jpg" alt="" class="wp-image-6787" srcset="https://liqul.com/upimg/2024/03/歴史的名著の誉れ高い『The-Savoy-Cocktail-Book』（1930年刊）.jpg 398w, https://liqul.com/upimg/2024/03/歴史的名著の誉れ高い『The-Savoy-Cocktail-Book』（1930年刊）-207x300.jpg 207w, https://liqul.com/upimg/2024/03/歴史的名著の誉れ高い『The-Savoy-Cocktail-Book』（1930年刊）-289x420.jpg 289w" sizes="auto, (max-width: 398px) 100vw, 398px" /><figcaption class="wp-element-caption">歴史的名著の誉れ高い『The Savoy Cocktail Book』（1930年刊）</figcaption></figure>
</div>


<p>1939年、64歳のクラドックはサヴォイを退職。と同時に、同じロンドンの５つ星ホテル、「ドーチェスター・ホテル」のバーのチーフ・バーテンダーに招かれ、新たなキャリアをスタートさせた。この頃、余暇には、川でフライ・フィッシングに興じることも楽しんだ（ただし釣り道具だけでなく、必ず酒とカクテルを作る道具も持参したという）。</p>



<p>クラドックはその後、1951年には76歳でブラウンズ・ホテルのバーに移り、55年まで働き、80歳で引退した。まさに生涯をバーテンダーという仕事に捧げたような生き様。自分の輝かしい経歴についてほとんどメディアには語らなかったクラドックだが、1960年、85歳の誕生日に際して、唯一（？）、記者のインタビューに応じた。1930年代、バッキンガム宮殿に招かれ、（当時の）国王ジョージ５世、６世らにカクテルを作った思い出などを誇らしげに話している。</p>



<p>1963年1月23日、ハリー・クラドックは脳溢血のため、ロンドン郊外の老人ホームで87年の生涯を閉じた。妻アニーとの夫婦関係や結婚後の暮らしぶりについては、なぜか記録や証言がほとんど残っていないためか、『The DEANS……』では一切触れられていない（クラドック自身も、あまり私生活を語る人ではなかった）。アニーとの間に子はなく、連れ子の娘ルイーズ・エミリーは結婚後、アイルランドのコークで暮らし、1993年、89歳で亡くなったという。</p><p>The post <a href="https://liqul.com/entry/6782">カクテル・ヒストリア第28回『もし、クラドックが米国に居続けていたら……』</a> first appeared on <a href="https://liqul.com">LIQUL - リカル -</a>.</p>]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>カクテル・ヒストリア第27回『「知られざる」カクテルを知る愉しみ』</title>
		<link>https://liqul.com/entry/6717</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[荒川 英二]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 28 Oct 2023 02:37:47 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[カクテルコラム]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://liqul.com/?p=6717</guid>

					<description><![CDATA[<p>「日本ではあまり見かけない」カクテルに人気が…… この連載の第19回で、私は「日本と世界、人気カクテルはなぜ違う」というテーマで執筆した。記事は、日本のバーでの人気カクテル・ランキングには、この40～50年ほど、ほとんど [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://liqul.com/entry/6717">カクテル・ヒストリア第27回『「知られざる」カクテルを知る愉しみ』</a> first appeared on <a href="https://liqul.com">LIQUL - リカル -</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2 class="wp-block-heading">「日本ではあまり見かけない」カクテルに人気が……</h2>



<p>この連載の第19回で、私は「<a href="https://liqul.com/entry/5900">日本と世界、人気カクテルはなぜ違う</a>」というテーマで執筆した。記事は、日本のバーでの人気カクテル・ランキングには、この40～50年ほど、ほとんど変化がないのに対して、欧米の人気ランキングは2000年以降、その顔ぶれがかなり変わってきていること、その理由・背景は何かを解説したものだった。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" decoding="async" width="703" height="1024" src="https://liqul.com/upimg/2023/10/欧米のカクテル専門WEBサイトでの人気ランキング調査（2019～22年分）。ベスト50には、日本で馴染みのないものが多い。-703x1024.jpg" alt="" class="wp-image-6721" srcset="https://liqul.com/upimg/2023/10/欧米のカクテル専門WEBサイトでの人気ランキング調査（2019～22年分）。ベスト50には、日本で馴染みのないものが多い。-703x1024.jpg 703w, https://liqul.com/upimg/2023/10/欧米のカクテル専門WEBサイトでの人気ランキング調査（2019～22年分）。ベスト50には、日本で馴染みのないものが多い。-206x300.jpg 206w, https://liqul.com/upimg/2023/10/欧米のカクテル専門WEBサイトでの人気ランキング調査（2019～22年分）。ベスト50には、日本で馴染みのないものが多い。-768x1118.jpg 768w, https://liqul.com/upimg/2023/10/欧米のカクテル専門WEBサイトでの人気ランキング調査（2019～22年分）。ベスト50には、日本で馴染みのないものが多い。-696x1014.jpg 696w, https://liqul.com/upimg/2023/10/欧米のカクテル専門WEBサイトでの人気ランキング調査（2019～22年分）。ベスト50には、日本で馴染みのないものが多い。-288x420.jpg 288w, https://liqul.com/upimg/2023/10/欧米のカクテル専門WEBサイトでの人気ランキング調査（2019～22年分）。ベスト50には、日本で馴染みのないものが多い。-577x840.jpg 577w, https://liqul.com/upimg/2023/10/欧米のカクテル専門WEBサイトでの人気ランキング調査（2019～22年分）。ベスト50には、日本で馴染みのないものが多い。.jpg 879w" sizes="auto, (max-width: 703px) 100vw, 703px" /><figcaption> 欧米のカクテル専門WEBサイトでの人気ランキング調査（2019～22年分）。ベスト50には、日本で馴染みのないものが多い </figcaption></figure>



<p>その記事の中でも触れたが、海外では2000年以降、なぜか「クラシック・カクテル」に再び光が当てられ、再評価されるようになっている。欧米の大都市のカクテルバーでは、クラシック・カクテルを発掘し、21世紀のアレンジ（ツイスト）を少し加えて、蘇らせる試みが盛んだ。</p>



<p>この傾向は、欧米の人気カクテル・ランキングでも同様で、近年では、日本のバーでは注文されることが少ないネグローニ、オールド・ファッションド、サゼラックなどというクラシック・カクテルが上位に目立つという現象が続いている。とくに興味を惹かれるのは、日本のバーではほとんど提供されない、聞いたこともないようなカクテルがランクインしていることだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「斬新さ」「複雑さ」を競い合うことへのアンチテーゼ？</h2>



<p>なぜ、欧米で「クラシック・カクテル」が再評価されるようになったのか。一つには近年、材料や手法が斬新な「モダン・カクテル」が増えて、味わいが複雑になりすぎたことへの「アンチテーゼ」とも言われている。欧米では現在、100年ほど前に出版された古いカクテルブックの復刻版刊行が盛んだ。古い文献の中から「現代に生かせるヒント」を探そうというバーテンダーが増えているのかもしれない。</p>



<p>先日のこと。私は、ある日本人バーテンダーの方から、「海外のバーでよく注文されるカクテル、あるいは近年注目されているカクテルで、日本のバーの現場でも知っておいた方がいいものは何ですか？」という質問を受けた。そこで、長年カクテル史を研究してきた立場もあり、僭越ながら、「（日本での）知名度は低いけれども、プロとして知っておくべきカクテル」を、独自？の視点で選んでみた。</p>



<p>選考するにあたって重視したのは、最近の欧米でのトレンドである。近年の人気カクテル・ランキング調査だけでなく、WEBのカクテル専門サイト、有名バーでの提供メニュー、近年のカクテルブックでの収録内容等々、可能な限りのデータを丁寧に集めてみた。なかには、「エスプレッソ・マティーニ」のように、1980年代以降に登場して人気が定着し、「モダン・クラシック」としての地位を確立したものも少なくない。</p>



<div class="wp-block-image"><figure class="aligncenter size-large is-resized"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://liqul.com/upimg/2023/10/1980年代に誕生した「エスプレッソ・マティーニ（Espresso-Martini）」は、今や「モダン・クラシック」の代表作の一つ。.jpg" alt="" class="wp-image-6722" width="384" height="512" srcset="https://liqul.com/upimg/2023/10/1980年代に誕生した「エスプレッソ・マティーニ（Espresso-Martini）」は、今や「モダン・クラシック」の代表作の一つ。.jpg 768w, https://liqul.com/upimg/2023/10/1980年代に誕生した「エスプレッソ・マティーニ（Espresso-Martini）」は、今や「モダン・クラシック」の代表作の一つ。-225x300.jpg 225w, https://liqul.com/upimg/2023/10/1980年代に誕生した「エスプレッソ・マティーニ（Espresso-Martini）」は、今や「モダン・クラシック」の代表作の一つ。-696x928.jpg 696w, https://liqul.com/upimg/2023/10/1980年代に誕生した「エスプレッソ・マティーニ（Espresso-Martini）」は、今や「モダン・クラシック」の代表作の一つ。-315x420.jpg 315w, https://liqul.com/upimg/2023/10/1980年代に誕生した「エスプレッソ・マティーニ（Espresso-Martini）」は、今や「モダン・クラシック」の代表作の一つ。-630x840.jpg 630w" sizes="auto, (max-width: 384px) 100vw, 384px" /><figcaption> 1980年代に誕生した「エスプレッソ・マティーニ（Espresso-Martini）」は、今や「モダン・クラシック」の代表作の一つ </figcaption></figure></div>



<h2 class="wp-block-heading">「とくに覚えておいてほしい」12のカクテル</h2>



<p>選んだ約70個のカクテルは、日本のバーではほとんど注文されることがないものが多く、バーテンダーでも知らない人が多いかもしれない。すべてのレシピをここで紹介することは出来ないが、この中で、近年欧米のバー・シーンに頻繁に登場する「（私が）とくに覚えておいてほしいと思う12のカクテル」を、標準的なレシピとともに、以下に紹介しておきたい。（）内は誕生年または年代。</p>



<p><strong>１．ブランデー・クラスタ（Brandy Crusta）</strong>（1850年代）＝<strong>ブランデー 30ml、コアントロー 10ml、マラスキーノ10ml、レモンジュース20ml、アンゴスチュラ・ビターズ2dash、シロップ少々（シェイク）、オレンジ＆レモン・ツイスト</strong></p>



<p><strong>２．ラモス・ジン・フィズ（Ramos Gin Fizz）&nbsp;</strong>（1888年）＝<strong>オールドトム・ジン
60ml、レモンジュース15ml、ライムジュース15ml、シロップ23ml、生クリーム23ml、卵白（シェイク）。ソーダで満たす。</strong></p>



<p><strong>３．アペロール・スプリッツ（Aperol Spritz）</strong>&nbsp;（1920年代）＝<strong>アペロール60ml、スパークリング・ワイン60ml、オレンジ・スライス（ビルド）</strong></p>



<p><strong>４．コープス・リバイバー＃２
（Corpse Reviver #2）　</strong>（1920年代)＝<strong>ドライ・ジン、コアントロー、リレ・ブラン、レモンジュース各15ml、シロップ5ml、アブサン2dash（シェイク）</strong></p>



<p><strong>５．ブールヴァルディエ（Boulevaldier）　</strong>（1927年）＝<strong>バーボン・ウイスキー 40ml、カンパリ25ml、スイート・ベルモット25ml（シェイク）</strong></p>



<p><strong>６．ヴュ・カレ（Vieux Carre）&nbsp;</strong>（1937年）＝<strong>ブランデー、ライ・ウイスキー、スイート・ベルモット各20ml、ベネディクティン1tsp、ビターズ3dash、レモン・ピール（ステアまたはシェイク）</strong></p>



<p><strong>７. ペイン・キラー（Pain Killer）</strong>&nbsp;（1970年代初め)＝<strong>ダーク・ラム（パッサーズ・ネイビー・ラム） 30ml、パイナップルジュース60ml、オレンジジュース15ml、ココナッツミルク（またはココナッツ・リキュール）15ml、クラッシュド・アイス、ナツメグ・パウダー（シェイク）</strong></p>



<p><strong>８. アマレット・サワー（Amaretto Sour）</strong>&nbsp;（1974年)＝<strong>アマレット45ml、レモンジュース23ml、シロップ1tsp、卵白（シェイク）、レモン・ツイスト、マラスキーノチェリー</strong></p>



<p><strong>９. エスプレッソ・マティーニ（Espresso Martini）</strong>&nbsp;（1983年)＝<strong>ウオッカ40ml、エスプレッソ・コーヒー20ml、コーヒー・リキュール10ml、シロップ1tsp（シェイク）、コーヒー豆２～３粒を浮かべる</strong></p>



<p><strong>10. </strong><strong>ブランブル（Bramble）</strong>&nbsp;（1980年代半ば)＝<strong>ジン40ml、レモンジュース15ml、シロップ10ml、ブラックベリー・リキュール10ml（シェイク）、クラッシュド・アイスを入れたロック・グラスに注ぐ。レモン・スライス</strong></p>



<p><strong>11</strong><strong>．
ペニシリン（Penicillin）</strong>&nbsp;（2005年)＝<strong>ウイスキー 50ml、レモンジュース15ml、ハチミツ10ml、ジンジャー・シロップ1tsp、アイラ・シングルモルト1tsp（シェイク）</strong></p>



<p><strong>12. メスカル・ミュール（Mescal Mule）</strong> （2008年)＝<strong>メスカル45ml、ジンジャー・ビア30ml、ライムジュース23ml、パッションフルーツ・ピュレ23ml、アガヴェ・シロップ15ml（シェイク）。キュウリのスライス、砂糖漬けの生姜</strong></p>



<div class="wp-block-columns is-layout-flex wp-container-core-columns-is-layout-9d6595d7 wp-block-columns-is-layout-flex">
<div class="wp-block-column is-layout-flow wp-block-column-is-layout-flow">
<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" decoding="async" width="768" height="1024" src="https://liqul.com/upimg/2023/10/欧米で今なお人気の「ラモス・ジンフィズ（Ramos-Gin-Fizz）」。19世紀末に誕生したが、生クリームと卵白を使う面倒くさいカクテルなので、日本のバーではあまり扱われない。.jpg" alt="" class="wp-image-6720" srcset="https://liqul.com/upimg/2023/10/欧米で今なお人気の「ラモス・ジンフィズ（Ramos-Gin-Fizz）」。19世紀末に誕生したが、生クリームと卵白を使う面倒くさいカクテルなので、日本のバーではあまり扱われない。.jpg 768w, https://liqul.com/upimg/2023/10/欧米で今なお人気の「ラモス・ジンフィズ（Ramos-Gin-Fizz）」。19世紀末に誕生したが、生クリームと卵白を使う面倒くさいカクテルなので、日本のバーではあまり扱われない。-225x300.jpg 225w, https://liqul.com/upimg/2023/10/欧米で今なお人気の「ラモス・ジンフィズ（Ramos-Gin-Fizz）」。19世紀末に誕生したが、生クリームと卵白を使う面倒くさいカクテルなので、日本のバーではあまり扱われない。-696x928.jpg 696w, https://liqul.com/upimg/2023/10/欧米で今なお人気の「ラモス・ジンフィズ（Ramos-Gin-Fizz）」。19世紀末に誕生したが、生クリームと卵白を使う面倒くさいカクテルなので、日本のバーではあまり扱われない。-315x420.jpg 315w, https://liqul.com/upimg/2023/10/欧米で今なお人気の「ラモス・ジンフィズ（Ramos-Gin-Fizz）」。19世紀末に誕生したが、生クリームと卵白を使う面倒くさいカクテルなので、日本のバーではあまり扱われない。-630x840.jpg 630w" sizes="auto, (max-width: 768px) 100vw, 768px" /><figcaption> 欧米で今なお人気の「ラモス・ジンフィズ（Ramos-Gin-Fizz）」。19世紀末に誕生したが、生クリームと卵白を使う面倒くさいカクテルなので、日本のバーではあまり扱われない </figcaption></figure>
</div>



<div class="wp-block-column is-layout-flow wp-block-column-is-layout-flow">
<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" decoding="async" width="768" height="1024" src="https://liqul.com/upimg/2023/10/欧米では根強い人気を誇る「ヴュ・カレ（Vieux-Carré）」。1937年にニューオーリンズで誕生した、渋い味わいの名作。.jpg" alt="" class="wp-image-6719" srcset="https://liqul.com/upimg/2023/10/欧米では根強い人気を誇る「ヴュ・カレ（Vieux-Carré）」。1937年にニューオーリンズで誕生した、渋い味わいの名作。.jpg 768w, https://liqul.com/upimg/2023/10/欧米では根強い人気を誇る「ヴュ・カレ（Vieux-Carré）」。1937年にニューオーリンズで誕生した、渋い味わいの名作。-225x300.jpg 225w, https://liqul.com/upimg/2023/10/欧米では根強い人気を誇る「ヴュ・カレ（Vieux-Carré）」。1937年にニューオーリンズで誕生した、渋い味わいの名作。-696x928.jpg 696w, https://liqul.com/upimg/2023/10/欧米では根強い人気を誇る「ヴュ・カレ（Vieux-Carré）」。1937年にニューオーリンズで誕生した、渋い味わいの名作。-315x420.jpg 315w, https://liqul.com/upimg/2023/10/欧米では根強い人気を誇る「ヴュ・カレ（Vieux-Carré）」。1937年にニューオーリンズで誕生した、渋い味わいの名作。-630x840.jpg 630w" sizes="auto, (max-width: 768px) 100vw, 768px" /><figcaption> 欧米では根強い人気を誇る「ヴュ・カレ（Vieux-Carré）」。1937年にニューオーリンズで誕生した、渋い味わいの名作 </figcaption></figure>
</div>
</div>



<div class="wp-block-image"><figure class="aligncenter size-large is-resized"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://liqul.com/upimg/2023/10/欧米では近年、「モダン・クラシック」に焦点を当てたカクテルブックも目立つ。これはそうした中の1冊、『MODERN-CLASSIC-COCKTAILS』（Robert-Simonson著、2022年刊）。.jpg" alt="" class="wp-image-6718" width="358" height="502" srcset="https://liqul.com/upimg/2023/10/欧米では近年、「モダン・クラシック」に焦点を当てたカクテルブックも目立つ。これはそうした中の1冊、『MODERN-CLASSIC-COCKTAILS』（Robert-Simonson著、2022年刊）。.jpg 715w, https://liqul.com/upimg/2023/10/欧米では近年、「モダン・クラシック」に焦点を当てたカクテルブックも目立つ。これはそうした中の1冊、『MODERN-CLASSIC-COCKTAILS』（Robert-Simonson著、2022年刊）。-214x300.jpg 214w, https://liqul.com/upimg/2023/10/欧米では近年、「モダン・クラシック」に焦点を当てたカクテルブックも目立つ。これはそうした中の1冊、『MODERN-CLASSIC-COCKTAILS』（Robert-Simonson著、2022年刊）。-696x976.jpg 696w, https://liqul.com/upimg/2023/10/欧米では近年、「モダン・クラシック」に焦点を当てたカクテルブックも目立つ。これはそうした中の1冊、『MODERN-CLASSIC-COCKTAILS』（Robert-Simonson著、2022年刊）。-299x420.jpg 299w, https://liqul.com/upimg/2023/10/欧米では近年、「モダン・クラシック」に焦点を当てたカクテルブックも目立つ。これはそうした中の1冊、『MODERN-CLASSIC-COCKTAILS』（Robert-Simonson著、2022年刊）。-599x840.jpg 599w" sizes="auto, (max-width: 358px) 100vw, 358px" /><figcaption> 欧米では近年、「モダン・クラシック」に焦点を当てたカクテルブックも目立つ。これはそうした中の1冊、『MODERN-CLASSIC-COCKTAILS』（Robert-Simonson著、2022年刊） </figcaption></figure></div>



<h2 class="wp-block-heading">日本では無名でも、知っておけば得をする</h2>



<p>以上のカクテルは、日本でのいわゆる「スタンダード100選」や日本発のカクテルブックに、登場することはほとんどなく、従来の日本のバーなら、店側が知らなくてもそう困ることはなかった。</p>



<p>しかし、インバウンドの外国人客が日本のバーにもどんどん姿を見せる昨今、プロのバーテンダーなら、「知っておいて絶対に損はしない」、いや「むしろ得をする」カクテルだと思う。とくに、これから海外のコンペなどに挑戦したい、または海外のバーで働いてみたいというバーテンダーには、この12を含む70のカクテルは、ぜひ知っておいてほしいと強く願う。</p>



<p>※私が選んだ全70個のカクテルは、筆者の個人Blog「酒とピアノとエトセトラ」（Bar UK公式HPも兼ねる）内のページ（<a href="https://plaza.rakuten.co.jp/pianobarez/4010/">https://plaza.rakuten.co.jp/pianobarez/4010/</a>）で、標準的なレシピや考案者や誕生の経緯・由来などを可能な限り紹介しているので、ぜひご覧頂ければ幸いである。</p><p>The post <a href="https://liqul.com/entry/6717">カクテル・ヒストリア第27回『「知られざる」カクテルを知る愉しみ』</a> first appeared on <a href="https://liqul.com">LIQUL - リカル -</a>.</p>]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>カクテル・ヒストリア第26回『今さらながら、サイドカーは誰が考案したのか……』</title>
		<link>https://liqul.com/entry/6535</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[荒川 英二]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 28 Apr 2023 08:58:57 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[カクテルコラム]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://liqul.com/?p=6535</guid>

					<description><![CDATA[<p>「マッケルホーン＝考案者」にこだわる人々 現代のバーで最もよく飲まれる人気カクテルの一つに「サイドカー（Sidecar）」がある。20世紀初めに誕生し、カクテル名は第一次世界大戦で開発された、「オートバイの横に取り付けて [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://liqul.com/entry/6535">カクテル・ヒストリア第26回『今さらながら、サイドカーは誰が考案したのか……』</a> first appeared on <a href="https://liqul.com">LIQUL - リカル -</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2 class="wp-block-heading">「マッケルホーン＝考案者」にこだわる人々</h2>



<p>現代のバーで最もよく飲まれる人気カクテルの一つに「サイドカー（Sidecar）」がある。20世紀初めに誕生し、カクテル名は第一次世界大戦で開発された、「オートバイの横に取り付けて走る乗り物」に由来する。</p>



<div class="wp-block-image"><figure class="aligncenter size-large is-resized"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://liqul.com/upimg/2023/04/誕生して100年余り。今も世界中で愛されるカクテルSidecar.jpg" alt="" class="wp-image-6539" width="576" height="768" srcset="https://liqul.com/upimg/2023/04/誕生して100年余り。今も世界中で愛されるカクテルSidecar.jpg 768w, https://liqul.com/upimg/2023/04/誕生して100年余り。今も世界中で愛されるカクテルSidecar-225x300.jpg 225w, https://liqul.com/upimg/2023/04/誕生して100年余り。今も世界中で愛されるカクテルSidecar-696x928.jpg 696w, https://liqul.com/upimg/2023/04/誕生して100年余り。今も世界中で愛されるカクテルSidecar-315x420.jpg 315w, https://liqul.com/upimg/2023/04/誕生して100年余り。今も世界中で愛されるカクテルSidecar-630x840.jpg 630w" sizes="auto, (max-width: 576px) 100vw, 576px" /><figcaption>誕生して100年余り。今も世界中で愛されるカクテルSidecar</figcaption></figure></div>



<p>これほど有名なカクテルなのに、誕生の時期や考案者については定説がない。一番有名なのは、パリの「ハリーズ・ニューヨーク・バー」（1923年創業）のオーナーだったハリー・マッケルホーン（Harry McElhone）が、1920年代前半に考案した」という根拠不確かな説。しかし、日本国内では、この説をさも本当であるかのように紹介するカクテルブックが今なお多いという現状は、カクテル史を研究している私としては、非常に不可解で、残念でならない。</p>



<p>サイドカー誕生を巡っては、他にも以下のような様々な説が伝わっている。</p>



<p>（１）第一次世界大戦（1914～18）中、パリのとあるレストラン・バー。コニャックを飲んでいた米軍人の元に、「急いで軍の本部へ戻れ」という指令が来た。度数の強いコニャックを短時間で飲み干さなければならないその軍人が、バーテンダーに「ホワイト・キュラソーとレモン・ジュースで割ってくれ」と頼んだのが始まり。</p>



<p>（２）パリのリッツ・ホテル（Ritz Hotel）内のバーで誕生した。<br>※リッツ・ホテルのチーフ・バーテンダー、コリン・ピーター・フィールドはその著書「The Cocktails of The Ritz Paris」（2003年刊）の中で、「1923年頃、リッツのバーの責任者だったフランク・メイエ（Frank Meier）が考案したと信じている」と書く（ただし、メイエ自身は、1934年に出版した自著『The Artistry of Mixing Drinks』の「Sidecar」の項では、自分のオリジナルかどうか一切言及していない）。</p>



<p>（３）19世紀半ばにニュー・オーリンズで生まれた「ブランデー・クラスタ」（末尾【注１】ご参照）という古典的カクテルが、20世紀初めにシンプルなものに改良され、それがサイドカーの原型となり、その後欧州に伝わった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">信頼できる一次資料こそ最良の「拠り所」</h2>



<p>諸説が入り乱れている場合、私は、信頼できる一次資料（カクテルブックなどの文献）の記述を「拠り所」にするしかないと信じている。私が現時点で一番信頼するに足ると考えているのは、「ロンドンの社交クラブ＜バックス・クラブ（The Buck’s Club）＝1919年創業＞の初代バーテンダー、パット・マクギャリー（Malachy “Pat” McGarry）が、それ以前にフランス国内で人気カクテルだったものにアレンジを加え、現代伝わっている標準的なレシピを確立して、英国内で広め、それがさらに米国など国外へも伝わった」という説である。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" decoding="async" width="376" height="500" src="https://liqul.com/upimg/2023/04/Sidecarが誕生したと伝わるロンドンのBuck’s-Club（1919年創業）.jpg" alt="" class="wp-image-6538" srcset="https://liqul.com/upimg/2023/04/Sidecarが誕生したと伝わるロンドンのBuck’s-Club（1919年創業）.jpg 376w, https://liqul.com/upimg/2023/04/Sidecarが誕生したと伝わるロンドンのBuck’s-Club（1919年創業）-226x300.jpg 226w, https://liqul.com/upimg/2023/04/Sidecarが誕生したと伝わるロンドンのBuck’s-Club（1919年創業）-316x420.jpg 316w" sizes="auto, (max-width: 376px) 100vw, 376px" /><figcaption>Sidecarが誕生したと伝わるロンドンのBuck’s Club（1919年創業）</figcaption></figure>



<p>「サイドカー」のレシピが最初に活字になったのは、1919年に英国で出版されたハリー・マッケルホーンのカクテルブック『Harry’s ABC of Mixing Cocktails』の1922年改訂版である（レシピは「Brandy 3分の1、Cointreau　3分の1、Lemon Juice　3分の1」）。マッケルホーンは、1918年～22年末までの約4年間、ロンドンの「シロ―ズ・クラブ（The Ciro’s Club）」という社交クラブでバーテンダーとして働いていた。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" decoding="async" width="527" height="800" src="https://liqul.com/upimg/2023/04/Sidecarが初めて活字になったカクテルブック「ABC-of-Mixing-Cocktails」（1919年刊）.jpg" alt="" class="wp-image-6537" srcset="https://liqul.com/upimg/2023/04/Sidecarが初めて活字になったカクテルブック「ABC-of-Mixing-Cocktails」（1919年刊）.jpg 527w, https://liqul.com/upimg/2023/04/Sidecarが初めて活字になったカクテルブック「ABC-of-Mixing-Cocktails」（1919年刊）-198x300.jpg 198w, https://liqul.com/upimg/2023/04/Sidecarが初めて活字になったカクテルブック「ABC-of-Mixing-Cocktails」（1919年刊）-277x420.jpg 277w" sizes="auto, (max-width: 527px) 100vw, 527px" /><figcaption>Sidecarが初めて活字になったカクテルブック「ABC of Mixing Cocktails」（1919年刊） </figcaption></figure>



<p>同著改訂版のサイドカーの項には、「このレシピは、ロンドンのバックス・クラブのバーテンダー、パット・マクギャリーによるもの（Recipe by Pat McGarry）」という添え書きがある。「マクギャリーのオリジナル」とは断定していないが、少なくともマッケルホーン自身は「自分のオリジナルではない」ことを示唆している（末尾【注２】ご参照）。</p>



<p>また、同じ1922年、英国でロバート・ヴァーマイヤー（Robert Vermeire）というバーテンダーが出版したカクテルブック『Cocktails：How To Mix Them』にも、サイドカーの項には次のような添え書きがある。「（1922年時点で）サイドカーはフランス国内で非常に人気のカクテルである。バックス・クラブの著名なバーテンダー、パット・マクギャリーによって初めてロンドンに紹介（introduce）された」。ヴァーマイヤーも、「マグギャリーのオリジナル」とは断定せず、フランス国内発祥説をにおわせている。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img loading="lazy" decoding="async" width="619" height="926" src="https://liqul.com/upimg/2023/04/1920年代のフランスでSidecarはすでに人気カクテルだったと伝える「Cocktails：How-To-Mix-Them」（1922年刊）.jpg" alt="" class="wp-image-6540" srcset="https://liqul.com/upimg/2023/04/1920年代のフランスでSidecarはすでに人気カクテルだったと伝える「Cocktails：How-To-Mix-Them」（1922年刊）.jpg 619w, https://liqul.com/upimg/2023/04/1920年代のフランスでSidecarはすでに人気カクテルだったと伝える「Cocktails：How-To-Mix-Them」（1922年刊）-201x300.jpg 201w, https://liqul.com/upimg/2023/04/1920年代のフランスでSidecarはすでに人気カクテルだったと伝える「Cocktails：How-To-Mix-Them」（1922年刊）-281x420.jpg 281w, https://liqul.com/upimg/2023/04/1920年代のフランスでSidecarはすでに人気カクテルだったと伝える「Cocktails：How-To-Mix-Them」（1922年刊）-562x840.jpg 562w" sizes="auto, (max-width: 619px) 100vw, 619px" /><figcaption>1920年代のフランスでSidecarはすでに人気カクテルだったと伝える「Cocktails：How To Mix Them」（1922年刊）</figcaption></figure>



<h2 class="wp-block-heading">レシピ情報共有も当然できた３人のバーテンダー</h2>



<p>著者ヴァーマイヤーは、当時フランス・ニースのカジノのバーで働いていたが、その前にはロンドンの「エンバシー・クラブ（The Embassy Club）」という社交クラブにも勤めていた経験がある。</p>



<p>ほぼ同じ時期に、ロンドンの社交クラブで働いていた経験を持つマッケルホーンとヴァーマイヤー、そしてマクギャリー。３人には当然面識があり、マクギャリーがいた「バックス・クラブ」で人気を集めていたサイドカーのレシピも、他の２人にはすぐに伝わったことだろう。</p>



<p>結論として、同時代の２人の重要な文献で同様な証言がある以上、現在伝わっている「標準的なレシピのサイドカー」の誕生に最も貢献した人物（＝考案者？）は、マッケルホーンではなく、パット・マクギャリーであると考えるのが一番自然であろうと私は思う。そして、もしマグギャリーが考案者ではなかったとしたら、それはパリのバーで働く誰かであったのであろうが、その名前は今となっては探し出すことは難しい。</p>



<p>「マッケルホーン＝考案者」説は、（同じく有名なカクテル「マルガリータ」の「流れ弾に当たった恋人の名前起源」説のように）もはや、根拠のない「後世の作り話」でしかない。日本の出版社やバー業界も、根拠のない説を信じ込み、一般に広めるのはそろそろやめた方がいいと思う。</p>



<p>マッケルホーンは1922年、かつて働いたこともあるパリの「ニューヨーク・バー」が売りに出されたことを知って買収し、翌1923年2月、店の名前を「ハリーズ・ニューヨーク・バー」に変えてリニューアル・オープンした。そして自らのバーを通じて、サイドカーを世界的に広めた。「サイドカー普及の最大の貢献者」がマッケルホーンであることに、異論を挟む人はいないだろう。</p>



<p>「サイドカー」は、日本にも1920年代前半に伝わり、日本初の実用的カクテルブックの一つと言われる「コクテール」（前田米吉著、1924年刊）で初めて紹介された。シンプルな材料のコンビネーションが生み出す奥行きのある味わい、アルコールと酸味と甘味の絶妙のバランス。100年後でも、多くの人々に愛されている理由が分かるような気がする。</p>



<p>【注１】<br>ブランデー・クラスタは、コニャックとキュラソーを混ぜたあとレモンやビターズを加え、砂糖で縁取りしたグラスで飲むのが本来のスタイル。近年は、「ブランデー・クラスタ」のレシピがよりシンプルに改良されサイドカーに発展したという説も、専門家の間でかなり支持を集めている。</p>



<p>【注２】<br>ハリー・マッケルホーンはその著書の改訂版（1922年刊）で「（サイドカーは）パット・マクギャリーによるレシピ」と記したが、その説明文は28年版を最後に消えて、1932年以降に出版された版では「自らが考案した」と説明を変更している。レシピ自体はまったく同じなのになぜ変えたのか、その理由は不明。「サイドカーを有名にしたのは自分であり、ハリーズ・ニューヨーク・バーである」という自負があったのかもしれないが、少々不可解と言うしかない </p><p>The post <a href="https://liqul.com/entry/6535">カクテル・ヒストリア第26回『今さらながら、サイドカーは誰が考案したのか……』</a> first appeared on <a href="https://liqul.com">LIQUL - リカル -</a>.</p>]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
	</channel>
</rss>
