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カクテル・ヒストリア第33回『「ブラッドセルという天才バーテンダーがいた』

「スタンダード・カクテル」という言葉を聞けば、半世紀以上前に誕生して、長い歳月を飲み継がれてきたドリンクというイメージがある。しかし近年は1970年代以降に考案されたカクテルの中にでも、「スタンダード」として定着し、そうしたカクテルの中には「モダン・クラシック」と呼ばれる逸品もある。

「モダン・クラシック」の革命児とも

長年、クラシック・カクテルの発展の歴史を研究してきた私は、そうした「モダン・クラシック」を知るうち、ディック・ブラッドセル(Dick Bradsell、1959~2016<本名は、リチャード・アーサー・ブラッドセル。しかし愛称の「ディック」の方が定着した>)というバーテンダーの名をよく目にするようになった。

「モダン・クラシック」をテーマにしたカクテルブックには、ブラッドセルの名と彼が考案したカクテルが、必ずと言ってよいほど登場する。2016年に彼が亡くなった際、多くのメディアは、ブラッドセルについて、「1980~90年代のロンドンのカクテルシーンを変えた革命児」「モダン・クラシックの先駆者」という賛辞を贈っている。

「モダン・クラシック革命児」と呼ばれたディック・ブラッドセル(Dick Bradsell 1959~2016)

不動の人気を得た「エスプレッソ・マティーニ」

1980~90年代を通じて数多くの「モダン・クラシック」を生み出したブラッドセルだが、その人気と評価を一番高めたのは、何と言っても、「エスプレッソ・マティーニ(Espresso Martini) 」だろう。

ブラッドセルの名を不朽にした「エスプレッソ・マティーニ(Espresso Martini)

1983年に考案されたこのカクテルは、ウオッカをベースに、エスプレッソ・コーヒー、コーヒー・リキュール、シロップを加えてシェイク。カクテルグラスに注いだ後、表面にコーヒー豆2~3粒を浮かべるというもの。お酒とコーヒーを融合させるという、当時としてはとても斬新なアイデアだった。

ブラッドセルは、当時ロンドン「ソーホー・ブラッセリ―(Soho Brasserie)」に勤めていたが、当初は、裏メニューとして「ウオッカ・エスプレッソ」の名前で提供されていただけだった。

しかし、90年代末、彼が移籍した「マッチ(Match)」というバーで初めて「エスプレッソ・マティーニ」の名でオン・メニューとなり、客の人気を集め、幅広く知られるようになった。近年では、世界的な人気カクテル・ランキングで常に上位にランキングされるようになり、日本の大都市のカクテル・バーでも、よく注文される光景を見かける。

学校生活には馴染めず中退

ブラッドセルは、英国イングランド南部にあるワイト島で生まれ育った。しかし学校生活には馴染めず高校を中退。1977年、18歳の時に家を出て、翌年、叔父の紹介で、ロンドンのピカデリー・サーカス近くにある「将校クラブ」で給仕として働き始めた。

彼は当初、フロアや調理の補助のような仕事をしていたが、やがてお酒をつくり、提供する仕事の方に興味が沸き、バー部門で働くようになる。しかし、頼りにした叔父が独立するため将校クラブを離れたのを機に、ブラッドセルも友人の紹介でロンドン市内のバー「ザンジバール・クラブ(Zanzibar Club)」へ移ることになった。

◆数多くの「モダン・クラシック」を生み出す

まもなく彼は、独創的なカクテルづくりに才能を発揮し始める。1980年代半ばに考案した「ブランブル(Bramble)」という彼のオリジナルも、今や「モダン・クラシック」の定番となっている。

ジンをベースにして、レモンジュース、シロップ、ブラックベリー・リキュール(クレーム・ド・ミュール)をシェイクして、クラッシュド・アイスを入れたロック・グラスで提供する。1980年代半ば、ブラッドセルが、故郷・ワイト島の香ばしいブラックベリー畑にインスピレーションを得て考案し、客の人気を集め、ロンドンのバー・シーンで広がったと伝わる。

今も世界各地で愛されるオリジナル・カクテル「ブランブル(Bramble)

この頃、ブラッドセルは、前妻のヴィッキーと出会い結婚。一女(Bea)を授かるなど私生活でも充実していた時期だった(しかし、2000年に離婚)。

1986~87年頃に生み出した「ロシアン・スプリング・パンチ(Russian Spring Punch)」 は、ブラッドセルが、当時バーテンダーとして働いていた「ザンジバー(Zanzibar)」で友人のために考案した「モダン・クラシック」の一つで、多くのカクテルブックで紹介されている。

ウオッカをベースに、クレーム・ド・フランボワーズ、カシス・リキュール、レモンジュース、シロップ、生ラズベリー6~7個。シェイクした後、氷を入れたタンブラーに注ぎ、シャンパンで満たす。華やかな味わいのカクテルだ。

奇をてらわず、「再現性」を重視

ブラッドセルは、残念ながら2016年、脳腫瘍のため、57歳の若さで亡くなった。彼は様々なバーを渡り歩き、その生涯のほとんどを後進の育成に捧げた。公の場に出てくることはあまり好まず、「半ば隠者のような」後半生を送った。

彼が生み出した「モダン・クラシック」には、奇をてらったものは少ない。どちらかと言えば、それまでのスタンダードなクラシック・カクテルを再評価し、再解釈して考案したものが多い。材料も多くても4種類程度にとどめ、入手が難しいものは使わず、他のバーテンダーによる「再現性」を重視した。

彼が残したと伝わる代表的なオリジナルも、その多くが「スタンダードの良さを生かして、アレンジしたもの」が多い。ブラッドセルの名前とその功績は、現代のバーテンダーが忘れてはならないものだと思う。

現代のバー・シーンで毎年生み出されるオリジナル・カクテルは、星の数ほどあるが、10年後、20年後ですら生き残っているのは稀だ。近年のコンペを目指すバーテンダーは、その時限りの創作には力を注ぐが、自分の創作カクテルが末永く飲み継がれていくことにはあまり興味を示さない人が多い。個人的には、ブラッドセルのように、次世代へ残す情熱を持ち、カクテルを生み出す才能が出てきてほしいと強く願う。

残された膨大な資料からブラッドセルの生涯と創作の裏側に迫った伝記「Dicktales」

この記事を書いた人

荒川 英二
荒川 英二https://plaza.rakuten.co.jp/pianobarez/
1954年生まれ。大阪・北新地のバーUK・オーナーバーテンダー、バー・エッセイスト。新聞社在職中から全国のバーを巡りながら、2004年以来、バー文化について自身のブログで発信。クラシック・カクテルの研究もライフワークとしてきた。2014年 の定年退職と同時に、長年の夢であった自らのバーをオープン。切り絵作家の故・成田一徹氏没後に出版されたバー切り絵作品集『NARITA ITTETSU to the BAR』では編者をつとめた。
荒川 英二
荒川 英二https://plaza.rakuten.co.jp/pianobarez/
1954年生まれ。大阪・北新地のバーUK・オーナーバーテンダー、バー・エッセイスト。新聞社在職中から全国のバーを巡りながら、2004年以来、バー文化について自身のブログで発信。クラシック・カクテルの研究もライフワークとしてきた。2014年 の定年退職と同時に、長年の夢であった自らのバーをオープン。切り絵作家の故・成田一徹氏没後に出版されたバー切り絵作品集『NARITA ITTETSU to the BAR』では編者をつとめた。