根拠が崩れた有名な逸話
「カクテルの女王」の異名をもつマンハッタン(Manhattan)。考案者が誰かは分かっておらず、誕生の由来にも諸説がある。しかしながら、1870年代半ばから1884年までの間にニューヨークの社交クラブ「マンハッタン・クラブ」で考案され、マンハッタン島もしくはそのクラブ名にちなみ「マンハッタン」と名付けられ、世界中へ広まっていったのは間違いないということでは、専門家の意見はほぼ一致している。
諸説の中で一番よく紹介されるのが、「ニューヨークの銀行家令嬢だったジェニー・ジェローム=後の英国首相ウィンストン・チャーチルの母=が、1874年の大統領選の時、マンハッタン・クラブで候補者支援パーティーを開き、そのとき考案された」という説だ。
しかし、この連載の第4回でも触れたが、チャーチル自身が後年の自伝で、「母はその当時フランスにいて、妊娠もしていたので、その支援パーティーの場にはいなかった」と記している(出典:Wikipedia英語版ほか)。ジェローム自身も生前、このカクテルの誕生に自分が関わったという発言を一切残していないことから、後世のつくり話の可能性が高いことはほぼ間違いない。
初出資料は1884年、従来説より3年遡る
ところで、欧米のカクテルブックでマンハッタンが初めて活字になったのは、従来は1887年、「カクテルの父」の異名も持つジェリー・トーマス(Jerry Thomas 1830~1885)のカクテルブック「How To Mix Drinks」の改訂版(※トーマス死去の2年後に出版)であると言われてきた。
しかし近年の研究で、1884年に米国で出版された2冊のカクテルブック、「The Modern Bartenders’ guide」(バイロン<O. H. Byron>名義=末尾【注1】ご参照)、「How To Mix Drinks:Bar Keepers’ Handbook」(ジョージ・ウインター<George Winter>著)が初出資料であることが有力になってきた。
バイロンやウインターの本はその存在は知られていたが、近年まで絶版になっており、研究の対象として人目に触れる機会はほとんどなかった。しかし2000年以降に復刻版が刊行され、米国の著名なバーテンダー&カクテル研究者のデイル・デグロフ氏や、「The Manhattan:The Story of the First Modern Cocktail」(2016年刊)の著者フィリップ・グリーン氏によって、「トーマスの著書よりも3年早く」マンハッタンが紹介されていることが確認された。
バイロンの本では、以下の2種類のレシピで収録されている(ウインターの本では1種類で、レシピはバイロンとほぼ同じだが、ベルモットの種類についての言及はない)。
マンハッタンNo.1=ウイスキー2分の1Pony(約30ml。【末尾注2】ご参照)、フレンチ(ドライ)ベルモット1pony、アンゴスチュラ・ビターズ3~4dash、ガムシロップ3dash/同No.2=ウイスキー2分の1Wineglass(容量は約60ml)、イタリアン(スイート)ベルモット2分の1Wineglass、アンゴスチュラ・ビターズ2dash、キュラソー2dash
当初はドライ・ベルモットを使うレシピが優勢だった?
興味深いのは、バイロン本ではドライ・ベルモットを使うマンハッタンの方が、現代標準レシピのスイート・ベルモットを使うものより先に掲載されていることで、マンハッタン成立の過程がうかがえる貴重なレシピとも言える。米国内で欧州産のドライ・ベルモットが普及し始めたのは、スイート・ベルモットよりも後なので、なぜドライの方が「No.1」の位置づけなのか、これは少し謎である。
その後、米国内で出版されたカクテルブックで「マンハッタン」のレシピがどのように変化していったのかを、少し見ていくとーー。
トーマス本では「ライ・ウイスキー1pony(約30ml)、スイート・ベルモット1Glass(約60ml)、キュラソー(またはマラスキーノ)2dash、ビターズ3dash」となっているのに対して、その後出版された「American Bartender」(1891年)、「Modern American Drinks」(1895年)、「Dary’s Bartenders’ Encyclopedia」(1903年)、「Bartenders Guide: How To Mix Drinks」(1912年)という4冊では、判で押したように、「ウイスキーとスイート・ベルモット各2分の1ずつ、ビターズ1dash」というレシピになっている。
ウイスキーの割合が多くなる、すなわち辛口のマンハッタンが登場するのは、ハリー・マッケルホーンの名著「ABC of Mixing Cocktails」(1919年刊)が初めてである(レシピは、「ライ・ウイスキー3分の2、スイート・ベルモット3分の1、アンゴスチュラ・ビターズ1dash)。そして1930年代以降は、徐々にウイスキーの割合が多くなる「ドライ化」が進んでいく。
日本にも外国人居留地で19世紀末には提供か
日本では、1907年(明治40年)出版の文献に初めて「マンハッタン」の名が見られる。遅くとも1890年代末までには、横浜や神戸の外国人居留地のホテルのバー等では普通に提供されていたことだろう。
なお、1957年(昭和32年)に出版されたカクテルブック「洋酒」(佐藤紅霞著)では、「マンハッタン・コクテール」として「ライ・ウイスキー2分の1、ドライ・ベルモット2分の1、アンゴスチュラ・ビターズ、クレーム・ド・ノワヨー(アーモンド風味のリキュール)各2dash」とあり、なぜかドライ・ベルモットを指定している。スイート・ベルモットを使うのは「スイート・マンハッタン」とわざわざ区別していることから、日本では1950年代でもなお「マンハッタン」のレシピ(定義)は揺れていたようだ。
マンハッタンはマティーニ同様、レシピはシンプルだが、「バー(バーテンダー)の数だけバリエーションがある」というカクテル。辛口志向、ライト志向の昨今、少し敬遠されているのかもしれないが、難しいことはあまり考えず、貴方もたまには「マンハッタン」を味わってみてはいかがだろうか?
【確認できる日本初出資料】
「洋酒調合法」(高野新太郎編、1907年刊 ※欧米料理法全書の附録としての小冊子)。そのレシピは、「ウイスキーWineglass2分の1、スイート・ベルモット2分の1、オレンジ・ビターズ1~2dash、アブサン1dash、ガムシロップ1dash」となっている。
【注1】
著者のバイロンについて、復刻版の編者であるブライアン・レア氏は前書きで「O.H.バイロンという作家、研究者、バーテンダーが同時代に存在した歴史的資料は見当たらず、おそらくはこの本(原著)の出版社の編集者自身のペンネームか、あるいは(編集者が考えた)架空の人物ではないか」と記すが、だからと言って、この本の歴史的価値が下がることは一切ない。 【注2】19世紀によく使われた液量単位で、1ponyは1オンス(ounce)=約30ml=にほぼ同じ。