運営:酒育の会

LIQULはより良いお酒ライフをサポートする団体「酒育の会」のWEBメディアです

コラムカクテルコラムカクテル・ヒストリア第23...

カクテル・ヒストリア第23回『なぜマルガリータの「作り話」が生き続けるのか』

米国では見向きもされない「流れ弾説」

マルガリータは現代においても、変わらぬ人気を誇るスタンダード・カクテル。テキーラ・ベースで、ホワイト・キュラソー、ライム・ジュース(+グラスを塩でスノースタイル)というシンプルなレシピ。

今も変わらぬ人気を誇るカクテル「マルガリータ(Margarita)」

しかし、その誕生の経緯・由来については現在まで、確かな説や裏付け資料が伝わってないにも関わらず、日本ではいまだに、「1949年、ジャン・デュレッサーというバーテンダーが、全米カクテルコンテストで3位になった自分のカクテルに、かつてハンティング中の流れ弾に当たって亡くなった悲運の恋人の名をつけた」という説が、国内のカクテルブックなどで事実のように紹介されている。

なぜかよく分からないが、日本国内で発行されるカクテルブックでは、ほとんどがこの根拠の不確かな「流れ弾説」をさも定説のように紹介している(非常に残念ながら、最も権威と信頼性があるはずの『NBAオフィシャル・カクテルブック』の最新版(2016年、あの「食の専門出版社」の柴田書店が刊行)を始め、Wikipedia日本語版、大手ウイスキー会社のHPでさえも!)。結果として、日本のバーの現場では、ほとんどのバーテンダーがこの根拠のない「流れ弾説」を信じ、拡散し続けている。

この「流れ弾説」は、欧米の専門サイトや文献ではまったく取り上げられていない。2008年に出版された「カクテル ホントのうんちく話」の著者・石垣憲一氏の綿密な調査によれば、(日本人による)後世の作り話である可能性がきわめて強いことが判明している。

「デイジー」という古典的カクテルから発展か

石垣氏によれば、1949年当時、全米カクテルコンクールが開かれたという記録はなく、「流れ弾説」は、その前提自体が疑わしいのである。ジョン・ダーレッサー(綴りは「John Durlesser」なので、私は「ジャン・デュレッサー」でなく、より原音に近いこの表記を選ぶ)は、当時ロサンゼルスでバーテンダーをしていた実在の人物だが、彼とマルガリータの創作を結びつける証拠資料やダーレッサー自身のコメントもまったく伝わっていない(出典:欧米のWeb専門サイト)。

そもそも「流れ弾説」は、欧米ではほとんど知られておらず、この説を紹介しているWEB専門サイトやカクテルブックは、私の知る限りほぼ皆無である。Wikipedia英語版には、「このフィクションは日本人のほとんどに信じられている。バーテンダーを主人公にしたドラマがさらに、そのフィクションを事実のように取り上げている」という批判的な書き込みもあったくらいだ。第二次大戦後に、日本人の誰がこのような、手の込んだ「作り話」を考えつき、拡散させたのか……。本当に罪作りと言うしかない。

マルガリータの起源については、不確かな諸説が入り乱れていて、真実は不明だ。しかし、専門家による最新の研究によれば、おそらく、禁酒法時代(1920~33)以前から存在していた「デイジー(Daisy)」というドリンクが原型だろうということではほぼ一致している。「デイジー」はスピリッツをベースに、柑橘系のジュースやシロップを加えシェイクした後、氷を入れたコブレットで味わう古典的なカクテルだ。

誕生の起源を巡り、諸説入れ乱れるが…

テキーラが米国中西部やメキシコ側の国境地域で普及するにつれて、「テキーラ・デイジー」というカクテルに発展し、それが「デイジー」の原意(「ひな菊」)を意味するスペイン語の「マルガリータ」と呼ばれるようになったというのだ(出典:2021年刊の「The Cocktail Work Shop」=Steven Grasse & Adam Erace共著ほか米国の専門サイト)。

ご参考までに紹介すると、欧米では少し調べただけでも以下のような、数多くの諸説が伝わっている(出典:WiKIpedia英語版や米国の複数の専門サイト<drinkmagazine、thewinetimes、vinepairほか>)。

(1)元々は1930~40年代にメキシコ・アカプルコで誕生し、その後1948年頃に、アカプルコで別荘を持っていた米テキサス州在住のマーガレット・セイムズ(Margaret Sames)なる女性が、別荘で開いたパーティーなどを通じて米国内に広めたといい、カクテル名は自分の名前をスペイン語風に変えて『マルガリータ』と呼んだ」という。

(2)1936年、メキシコ南部、プエルバにあるホテルの支配人、ダニー・ネグレーテ(Danny Negrete)がマルガリータという名の彼のガールフレンドのために考案した。

(3)1938~39年頃、メキシコ国境に近いカリフォルニア州ロサリートにあるバーのバーテンダー、カルロス・エラーラ(Carlos Herrara)がマリオーリ・キングという名の女優のために考案した。

(4)1940年代、ハリウッド在住のバーテンダー、エンリケ・グティエーレス(Enrique Gutierrez)が顧客の一人であった、女優リタ・ヘイワーズのために考案した。ヘイワーズの本名「マルガリータ・カンシーノ」にちなんでマルガリータと名付けたという。

(5)1941年、メキシコ西海岸エンセナーダ在住のバーテンダー、ドン・カルロス・オロスコ(Don Carlos Orozco)がドイツ大使の娘、マルガリータ・ヘンケルのために考案した。

(6)テキーラ・メーカーの「ホセ・クエルボ社」が1945年に自社のテキーラの販促キャンペーンのために考案した。

(7)1948年、テキサス州ガルベストンに住むバーテンダー、サントス・クルーズがマーガレットのミドルネームをもつ歌手のペギー・リーのために考案した。

「作り話」を拡散させる業界団体や出版社

欧米のカクテルブックで、マルガリータが初めて登場するのは、現時点で確認できた限りでは、1947年に出版された「Trader Vic’s Bartender’s Guide」(Victor Bergeron著)。レシピは「テキーラ1oz(オンス)、トリプルセック(オレンジ・キュラソー)0.5oz、ライム・ジュース半個分、シェイクして縁を塩でリムしたグラスに注ぐ」(1oz=ounce=は約30ml)となっていて、現代のレシピとそう大きく変わらない。少なくとも1940年代半ばの米国では、マルガリータはある程度認知されていたことが分かる。

マルガリータが初めて活字になったカクテルブック「Trader Vic’s Bartender’s Guide」(1947年刊)

マルガリータは、日本にもおそらくは1950年代後半には伝わっていたのだろうが、日本語の文献に初めて登場したのは1967年(『カクテル小事典』=今井清&福西英三著)で、街場のバーで一般的に知られるようになったのは70年代以降。その後は、トロピカルカクテル・ブームなどの効果もあって、幅広く浸透するようになった。

1960年代のマルガリータのレシピを伝える古い絵

いずれにしても世界中で、今なお日本のバー業界団体、日本人バーテンダー、出版業界だけが、ほぼ作り話に間違いない「流れ弾説」を信じて拡散するのは、そろそろ止めるべきではないだろうか?「分からないものは分からない」で、いいではないか。少なくとも業界最大の団体として『NBAカクテルブック』を監修している日本バーテンダー協会と、柴田書店を含む数多くの出版社やメーカーは、その責務を考えるべき時期だろう。

「マルガリータの日(Margarita Day)=2月22日」のポスター。近年は日本でも記念のイベントが開かれるようになった

この記事を書いた人

荒川 英二
荒川 英二https://plaza.rakuten.co.jp/pianobarez/
1954年生まれ。大阪・北新地のバーUK・オーナーバーテンダー、バー・エッセイスト。新聞社在職中から全国のバーを巡りながら、2004年以来、バー文化について自身のブログで発信。クラシック・カクテルの研究もライフワークとしてきた。2014年 の定年退職と同時に、長年の夢であった自らのバーをオープン。切り絵作家の故・成田一徹氏没後に出版されたバー切り絵作品集『NARITA ITTETSU to the BAR』では編者をつとめた。
荒川 英二
荒川 英二https://plaza.rakuten.co.jp/pianobarez/
1954年生まれ。大阪・北新地のバーUK・オーナーバーテンダー、バー・エッセイスト。新聞社在職中から全国のバーを巡りながら、2004年以来、バー文化について自身のブログで発信。クラシック・カクテルの研究もライフワークとしてきた。2014年 の定年退職と同時に、長年の夢であった自らのバーをオープン。切り絵作家の故・成田一徹氏没後に出版されたバー切り絵作品集『NARITA ITTETSU to the BAR』では編者をつとめた。