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カクテル・ヒストリア第22回『エイダからシャノンへ、受け継がれる魂』

スタートはフラワー・ショップ、28歳で抜擢

エイダ・コールマン(Ada Coleman 1875–1966)と聞いて、すぐに誰か分かる方はバー業界でも少ないだろう。ロンドンのサヴォイ・ホテルで23年間バーテンダーを務め、初めてチーフ・バーテンダーに就いた女性である。

The Savoy American Barで女性として初めてチーフ・バーテンダーとなったAda Coleman

1898年、23歳のコールマンは、サヴォイ・グループのあるホテルのフラワー・ショップでそのキャリアをスタートさせた。その後、1900年頃に、系列のクラリッジ・ホテルのバーに移る。そこで酒類やカクテルの知識、バーテンディングの基礎を教わったコールマンは、バーテンダーとしての才能を徐々に開花し始める。

実は、コールマンがバーで働き始めた20世紀初頭、ロンドンのホテルバーで働く人間の半分弱は女性だった。とくに商人や工場労働者等の若い子女が目立っていた。彼女たちは「バーテンダー」ではなく、「バーメイド」と呼ばれた。長時間労働にも関わらず、彼女たちにとっては、バーは「他の仕事よりも単調でなく、収入も良い」職業だった。

一方で当時、女性の職業として「バーの仕事は肉体的、道徳的によくない」という考えもあって、女性を排除する動きもあったが、コールマンのバーテンダーとしての才能を見込んだサヴォイ・ホテルグループのオーナー、ルパート・オイリーは1903年、いきなりサヴォイ・ホテル「アメリカン・バー」のチーフ・バーテンダーに抜擢した。このときコールマンは28歳。バーの顧客には、マーク・トウェイン、マレーネ・ディートリヒ、チャーリー・チャップリンというセレブもいたが、彼女は誰からも厚い信頼を得て、「コーリー」という愛称で呼ばれた。

創業当時のサヴォイホテルの様子を伝える版画=1890年代

現代でも人気を誇る「ハンキー・パンキー」

コールマンが生み出したオリジナル・カクテルで一番有名なのは、ハンキー・パンキー(Hanky Panky)だろう。ハンキー・パンキーはジン、ドライ・ベルモット、フェルネット・ブランカというシンプルな材料でつくられるカクテル。21世紀の現在でも、世界のバーでよく飲まれているカクテルベスト50の常連である(Drinks Internationalの調査ほか)。

Ada Colmanの考案したHanky Pankyは、今もバーのカクテル・メニューに生き続ける

誕生のきっかけは、サヴォイの顧客でもあった、コメディー俳優チャールズ・ホートリーの注文だった。ある時、ホートリーが「コーリー、私は疲れてるんだ。少しパンチのあるものをつくってくれ」と頼んだ。コールマンが提供した新しいカクテルを口にしたホートリーは、こう叫んだという。「これは本当のハンキー・パンキー(当時の英国では「手品」「魔法」との意味の俗語)だ!」。

ちなみに、アメリカン・バーには、コールマンの前にルース・バージェスという女性が働いていた。なのでコールマンは2人目の女性だった。しかし、2人はそう仲は良くなかったようだ。当時の関係者の証言によれば、コールマンはある時、バージェスに人気のある飲み物のレシピを聞かれた際、教えることを断った。このため、2人の女性は互いにほとんど話すことなく、在職中はずっと別々のシフトで働いたという逸話も伝わっている。

米国からの顧客のクレームが遠因で

1925年、サヴォイ・ホテルは突然、コールマンとバージェスのバーからの引退を発表した。引退は本人からの申し出ではなく、顧客からのクレームが遠因である。禁酒法施行に伴い、アルコールに飢えた米国人客が増えたが、女性の社会進出に対して保守的な彼らは「バーは女性が働くにはふさわしくない」とコールマンのカクテルやその存在を敬遠するようになった。そして、そうしたクレームに負けたホテル・オーナーが彼女たちを排除してしまったのだ。

コールマンの後任に座ったのは、米国から帰国し、すでに1921年からアメリカン・バーで働いていた、かのハリー・クラドックだった。クラドックがコールマンに対して、どのような評価や思いを抱いていたのかを伝える記録は残っていない。しかし、その後出版した『サヴォイ・カクテルブック』で「ハンキー・パンキー」を収録したことからも、彼女への敬意は忘れていなかったはずだ。

バーを去ったコールマンのその後は、詳しくは伝わっていない。サヴォイ・ホテルのフラワー・ショップで再び働いていたという話もあるが、それは作り話だという説もある。晩年は別のホテルのクローク・スタッフとして働いていたが、1966年に91歳で亡くなった。

119年ぶり2人目の女性チーフが誕生

2016年、米国のカクテルやお酒の専門サイト「Liquor.com」はコールマンをカクテル史上最も重要な9人のバーテンダーの1人として選んだ。そして、2021年、素晴らしいニュースがサヴォイ・ホテルから届いた。「アメリカン・バー」の第13代目のチーフ・バーテンダーに、シャノン・ティーベイ(Shannon Tebay)という米国人女性を迎えると発表したのだ。女性がチーフになるのは119年ぶり、米国人がチーフになるのはもちろん初めてという。

女性として119年ぶりにチーフ・バーテンダーに就任したShannon Tebay(The Savoy Hotel Official Websiteから)

ニューメキシコ州出身のティーベイは、アートを学ぶために滞在していたニューヨークのバーでカクテルと出合い、そのクリエイティブな面白さを知り、バーテンダーの道を歩むことになった。そして、マンハッタンにある有名店でミクソロジストとしての腕を磨いてきた。

ティーベイは就任に際してのあるメディアとのインタビューで、「もし誰かにカクテルをつくるなら、誰につくってみたいですか?」と尋ねられ、こう答えた。「エイダ・コールマンです。私はたまたま2人目のチーフ・バーテンダーに選ばれただけ。エイダにカクテルをつくれるならとても名誉なことですし、私たちは話したいことがいっぱいあると思う」。ティーベイにとっても、やはりコールマンは特別な存在だったのだろう。多彩な経歴を持つティーベイが、「アメリカン・バー」にどんな歴史を創っていってくれるのか、楽しみで仕方がない。

この記事を書いた人

荒川 英二
荒川 英二https://plaza.rakuten.co.jp/pianobarez/
1954年生まれ。大阪・北新地のバーUK・オーナーバーテンダー、バー・エッセイスト。新聞社在職中から全国のバーを巡りながら、2004年以来、バー文化について自身のブログで発信。クラシック・カクテルの研究もライフワークとしてきた。2014年 の定年退職と同時に、長年の夢であった自らのバーをオープン。切り絵作家の故・成田一徹氏没後に出版されたバー切り絵作品集『NARITA ITTETSU to the BAR』では編者をつとめた。
荒川 英二
荒川 英二https://plaza.rakuten.co.jp/pianobarez/
1954年生まれ。大阪・北新地のバーUK・オーナーバーテンダー、バー・エッセイスト。新聞社在職中から全国のバーを巡りながら、2004年以来、バー文化について自身のブログで発信。クラシック・カクテルの研究もライフワークとしてきた。2014年 の定年退職と同時に、長年の夢であった自らのバーをオープン。切り絵作家の故・成田一徹氏没後に出版されたバー切り絵作品集『NARITA ITTETSU to the BAR』では編者をつとめた。