今や、全米で一番注目されるバーテンダー
ジム・ミーハン(Jim Meehan)という名前を聞いて、ピンと来た貴方は相当なマニアックな「カクテル通」だ。現在確か46歳。ニューヨークの名立たるバーで修業して人気を得て、その後2007年に、禁酒法時代の“もぐり酒場”を彷彿とさせる、自らのバー「PDT」を立ち上げた。「PDT」とは「Please Don‘t Tell(誰にも言わないで)」の略で、まさに「秘密の酒場空間」にふさわしい店名だった。
「PDT」は2011年の世界のベストバー・ランキングで第1位に輝き、同年には、その店名を冠したカクテルブック「The PDT Cocktail Book」(以下、「PDT」と略)なる著書も出版。ミーハン氏はその才能と技術の高さで、名実ともに、全米で最も注目されるバーテンダーとなった。
そして2017年には、自らの生き様の集大成とも言える「ミーハンズ・バーテンダー・マニュアル(Meehan’s Bartender Manual)」を世に送った。この本は、単なるカクテルブックではない。バーテンディングや道具の扱いなどの実務からバー開業・経営のノウハウまで、ミーハン氏はその幅広い知識や見識を惜し気もなく披露している。嬉しいことに、昨年(2022年)12月、この「バーテンダー・マニュアル」の日本語版(楽工社・刊)が出版された。せっかくなので、前著の「PDT」とともに、この近著の内容を少し紹介してみたい。
「古典」に深い造詣、起源や初出文献にもこだわる
2011年に出版された「PDT」は、ミーハン氏自身が「サヴォイ・カクテルブックの精神にのっとって、カクテルの歴史が変わる瞬間として多くの人の記憶に残したいものを切り取ってまとめた」と書いているように、レシピ中心の本である。305種類のカクテルを独特のイラストで彩りながら紹介している。このうち、105がいわゆるクラシック・カクテルで、59はミーハン氏自身のオリジナルや共作カクテル、残り141がミーハン氏と同時代第三者のオリジナルである。
奇しくも、ミーハン氏がこの「PDT」を著す少し前の2000年代後半から、欧米の大都市のバーでは、クラシック・カクテルを現代に再評価するブームが起こりつつあった。ミーハン氏もおそらくはそのようなブームを意識したことは間違いないだろう。元々、クラシック・カクテルへの興味を人一倍持ち、2000年代初頭から、絶版となっている様々な古い文献(カクテルブック)を探しては、「過去」に学んでいた。
「PDT」の中でミーハン氏は、自らが選んだ「クラシック」について、初出文献や出版年を丁寧に触れている。面白いのは、ビジュー・カクテル、クローバー・クラブ、メアリー・ピックフォード、モンキー・グランド、サウスサイド、ヴュ・カレ等々、日本ではほとんど注目されることのないような、「忘れられたクラシック」を数多く選んでいることだ。私は、ミーハン氏ほど、クラシック・カクテルへの関心を隠さず、なおかつその出典や起源にこだわるバーテンダーを知らない。
バーテンダーの仕事全般に焦点を当てた近著
今回日本語版が出版された「ミーハンズ・バーテンダー・マニュアル」は、約500ページに及ぶ大著である。「PDT」から6年の歳月を経て、この本を著した動機について、彼は前書きで、「多層構造であるバーテンダーの仕事そのもの」に焦点を当てたかったと綴る。収録カクテルの数は99点で、前著に比べてかなり少ないが、うち69はクラシック・カクテルだ(残り30はミーハンのオリジナルまたは共作)。オリジナル以外のカクテルについては、そのすべてで「出典や起源、由来」に触れており、ヒストリアン(歴史研究者)としてのミーハン氏のこだわりが目立つ。
例えば、これまで定説のなかった「コスモポリタン」の起源については、「トビ―・チェッキーニが1988年にニューヨークのジ・オデオンで創作した」というあまり知られていない事実に光を当て、「ピスコ・サワー」については1903年にペルーで作られたパンフレットにその原型が登場することを紹介するなど、その誕生にまつわるストーリーについても詳しく触れている。
ちなみに、「クラシック」として収録した69のカクテルのうち約7割は「PDT」でも取り上げたもので、ミーハン氏がとくに「大切」と考えるものなのだろう。私が感心するのは、コープス・リバイバー、ハンキー・パンキー、ラスト・ワードなど日本のバーではあまり馴染みのないカクテルと、日本も含め世界中のバーで人気のダイキリ、ジン・トニック、ギムレット、ジャック・ローズ、マイタイ、マルガリータ、モヒートなどのカクテルがバランスよく選ばれていることだ(なかには、アブサン・ドリップ、ジャパニーズ・カクテル、シェリー・コブラーなどというマニアックなものもある)。
「クラシック」を未来へ継承するために
ミーハン氏は以前、あるインタビューで「21世紀の食材と技術を用いて、古典的レシピや失われたレシピを現代に定義し、未来へ橋渡ししていくのが私の責務だと思う」と語っていた。確かに、同じお酒や材料がない現代で、完全に昔と同じクラシック・カクテルの再現は不可能だ。それ故、自著で「クラシック」のレシピを紹介する際、時には、ミーハン流の「提案」を加えている。
彼は近著の中でこうも言う。「バーの中で伝えられることは概ね口移しと伝聞に過ぎない。レシピもしょせんは藪の中の話だ。だからこそ、バーテンダーや現代のカクテル史家は、これからの世代のために、フーミュラ(公式)や実践技術をもっとオープンにして、商売敵に勝つために秘密にするのではなく、文字にして記録して、みんなで共有できるようにすべきだ」と。
私もまったく同感だ。現代のカクテルも、何十年か経てば、“クラシック(スタンダード)”扱いされるかもしれない。その時のためにも、レシピや誕生にまつわる情報は文字として残しておくべきだ。ミーハン氏もおそらく、それが自らの「使命」だと考えているのだろうと信じる。
2019年にバー「PDT」を離れたミーハン氏は、オレゴン州ポートランドへ転居。現在はバー・コンサルタントやラム・メーカーの顧問として活躍しながら、現地の和風バー&レストランで、バー部門の責任者として、新たな挑戦を続けている。今回の大著はおそらく、彼にとっては「通過点」の一つだろうが、間違いなくカクテル史に残る1冊になるだろう。ミーハン氏のようなバーテンダーが同時代にいることを、私は本当に嬉しく思う。