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カクテル・ヒストリア第8回『ヘミングウェイが愛した特製ダイキリ』

文豪アーネスト・ヘミングウェイ(1899~1961)は、カクテルの歴史にその名を残す著名人の一人である。カクテルブックがダイキリやモヒートを紹介する際、しばしばその名が一緒に登場する。

ヘミングウェイと言えば、1930年代から亡くなる1961年までキューバを愛し、ハバナを拠点に暮らしたことでも知られている。「わがダイキリはフロリディータにあり、わがモヒートはボデギータにあり」という有名な言葉も伝わっているように、ハバナでは愛飲するカクテルを飲むバーにもこだわりを持っていた。

ダイキリと言えば通常、「ホワイト・ラム、ライム(またはレモン)・ジュース、シロップ」というのが基本レシピだが、ヘミングウェイが大好きだったフローズン・タイプの特製ダイキリは、少し違った。

30年代に誕生したというそのレシピは「ラムはダブル(90ml?)、ライム・ジュース2分の1~4分の1個分、グレープフルーツ・ジュース2分の1個分、マラスキーノ6dashes、クラッシュド・アイス(たっぷりと)、 シェイク」とかなりキツめである。ヘミングウェイは「砂糖抜きで」「ラムはバカルディ・ホワイトで」と指定したという。

この特製ダイキリは当初は「パパ・ドブレ」と呼ばれたが、今日では「パパ・ダイキリ」または「ヘミングウェイ・スペシャル」の名で伝わる。考案したのはフロリディータのオーナー、コンスタンティーノ・リバライグア。スペイン出身のリバライグアは、30年代のスペイン内戦に従軍記者として参加したヘミングウェイとは、心を許し合う仲だった。

ヘミングウェイが、どれほどこのオリジナル・ダイキリを愛していたかは、「彼は店でいつもパパ・ダイキリを12杯くらいは飲んだ。さらに魔法瓶に6~7杯分詰めて持ち帰った」という友人の証言が伝わる。店内と魔法瓶とを合わせるとラムは、ほぼボトル1本分以上。いったいどれだけ酒に強かったのか。

ちなみに、ダイキリ&モヒートのイメージが強いヘミングウェイだが、実はジン・トニック(ジンはゴードン)や、ウイスキーのソーダ割りも好きなドリンクだったという。お気に入りのウイスキーはデュワーズ、ヘイグ、ジョニー・ウォーカーだったと、彼の所有する釣り船の船長が証言を残している(出典:「キューバのヘミングウェイ」シロ・ビアンチ・ロス著、海風書房刊)。

この記事を書いた人

荒川 英二
荒川 英二https://plaza.rakuten.co.jp/pianobarez/
1954年生まれ。大阪・北新地のバーUK・オーナーバーテンダー、バー・エッセイスト。新聞社在職中から全国のバーを巡りながら、2004年以来、バー文化について自身のブログで発信。クラシック・カクテルの研究もライフワークとしてきた。2014年 の定年退職と同時に、長年の夢であった自らのバーをオープン。切り絵作家の故・成田一徹氏没後に出版されたバー切り絵作品集『NARITA ITTETSU to the BAR』では編者をつとめた。
荒川 英二
荒川 英二https://plaza.rakuten.co.jp/pianobarez/
1954年生まれ。大阪・北新地のバーUK・オーナーバーテンダー、バー・エッセイスト。新聞社在職中から全国のバーを巡りながら、2004年以来、バー文化について自身のブログで発信。クラシック・カクテルの研究もライフワークとしてきた。2014年 の定年退職と同時に、長年の夢であった自らのバーをオープン。切り絵作家の故・成田一徹氏没後に出版されたバー切り絵作品集『NARITA ITTETSU to the BAR』では編者をつとめた。