米国の禁酒法は1920年に施行され、33年に廃止されるまで、約13年間も続いた。同法は、飲用目的での0.5%以上のアルコール分を含む酒の製造・販売、運搬・配達、輸出入、所有を禁止対象としたが、家庭内で個人が飲むためのアルコールの消費(飲酒)や、医師が医薬品として処方する酒までは禁じなかった。薬局で「治療薬」として販売されるバーボンには、「Medical Purpose Only(医療用限定)」というシールが貼られた。
いくら法律で禁止しても飲酒への欲求を抑え込むことは不可能だった。経済的に余裕のある富裕層の多くは、施行前に酒を大量に買い占めて自宅に保管した。バーボンを手に入れる処方箋ために、医師にワイロが渡された。高級なレストラン・クラブ、バーでは、違法と知りつつも、大量のボトルをストックした。
一方、都市部では「Speak Easy」と呼ばれる非合法の“もぐり酒場”が数多く誕生した。このため、禁酒法時代は取締り当局の目をごまかすために、別の意味でカクテル文化が発展した。お酒にフルーツ・ジュースやシロップ、リキュールを混ぜて、アルコールでるあることをごまかす工夫がはやったのもこの時期だった。
禁酒法時代の米国で生まれたとして、現代にも伝わっている代表的なカクテルには、例えば以下のようなものがある。
アヴィエーション(Aviation)、バカルディ・カクテル(Bacardi Cocktail)、ブラッディー・サム(Bloody Sam)、ブロンクス(Bronx)、シカゴ(Chicago)、クローバー・クラブ(Clover Club)、フロリダ(Florida)、ロング・アイランド・アイスティー(Long Island Iced Tea)、オレンジ・ブロッサム(Orange Blossom)。 バーで、もしこうしたカクテルを飲む機会があれば、ぜひ、約100年前の“もぐり酒場”に想いを馳せながら、じっくり味わってみてほしい。