「チェリー・ブロッサム」は、世界的にも知られるクラシック・カクテルで、かの歴史的名著『サヴォイ・カクテルブック(The Savoy Cocktail Book)』(ハリー・クラドック<Harry Craddock>著、1930年刊)にも収録されている。

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「日本生まれのカクテル」と信じられてきたが…
標準的なレシピ(単位はml)は、いくつか知られているが、NBA(日本バーテンダー協会)のオフィシャルブックでは、ブランデー(30)、チェリー・ブランデー(30)、コアントロー2dash、グレナディン・シロップ2dash、レモン・ジュース2dashと紹介されている。考案者については、田尾多三郎氏という日本人だと伝えられ、日本国内だけでなく、国外でも一部ではそう信じられてきた。
田尾氏は元々、1920年代まで貿易会社のブエノスアイレス(アルゼンチンの首都)駐在員だった。絹の輸出を担当しながらお酒のことも勉強し、帰国後の1923年(大正12年)、横浜・伊勢佐木町にバー「カフェ・ド・パリ」(現在は関内に移転し、バー「パリ」と改名)を開いた(出典:geocities.jp/legend_bar/cocktail.htmlほか)。
開業翌年の1924年、田尾氏は、日本を代表する花・サクラをイメージして、カクテル「チェリー・ブロッサム」を考案。それが当時横浜港を拠点にして世界と行き来した外国航路の客船を通じて、欧米へ伝わったと言われてきた。『サヴォイ…』に収録されている「チェリー・ブロッサム」も、長く田尾氏考案のレシピがルーツだと信じられてきた(しかし、著者のクラドックはなぜか、由来については一切言及していない。他の欧米のカクテルブックにも、「田尾氏が考案者」「日本生まれ」と紹介するものはほとんどない)。
田尾氏が残した直筆のレシピカードは、現在でもバー「パリ」に残されていると伝わるが、過去に幅広く公開されたことはない。
「考案者」のレシピ、実はウイスキー・ベースだった
ところが2020年5月、私も懇意にして頂いている横浜のバーテンダー、北條智之氏(バー「ネマニャ」オーナー)がご自身のブログ上で、独自の取材&調査研究に基づいて、現在一般的に知られている「チェリー・ブロッサムの田尾氏考案説」に疑問を投げかける記事を執筆された(北條氏は、カクテル史の研究にも熱心な、素晴らしいバーテンダーである)。
北條氏のブログを要約すれば、以下のようになる。
・北條氏自身が、バー「パリ」で田尾氏の奥様=現在は故人=から聞いた話によると、「多三郎氏は当時、カナディアン・クラブ(ウイスキー)のキャンペーンをきっかけに創作した。レシピは、カナディアン・クラブをベースに、チェリー・ブランデー(銘柄はピーター・ヒーリング)、スイート・ベルモット(同チンザノ・ロッソ)などを加え、チェリーを沈めたカクテルだった」という
(※実際、ネット上では、北條氏の見解を補強するかのように、「店(バー・パリ)のオーナーの女性から、田尾氏の手書きレシピを見せてもらった。ウイスキー・ベースだった」という訪店者の証言もいくつか紹介されている)。
・世界的に知られるブランデー・ベースのレシピは、一般的には、『サヴォイ…』が初出で、著者のクラドックが独自にアレンジしたと考えられてきた(※クラドックが1920年代後半、田尾氏のレシピを知ったうえで変えたのかどうかは分からない)。

・しかし、古い文献を調べていたら、1900年にパリで出版された『American Bar』(Frank Newman著)というカクテルブックに、現代とほぼ同じブランデー・ベースの「チェリー・ブロッサム」が収録されていた。
1900年と言えば、田尾氏(1893年生まれ)はまだ7歳。「カフェ・ド・パリ」開業の23年前で、田尾氏がブランデー・ベースの「チェリー・ブロッサム」の考案者ではあり得ない。


カクテル史を書き換えざるを得ない新事実
以上のことから、私たちは、「カクテル史を書き換えなければならない2つの新事実」にたどり着く。
一つには、誰の考案かは不明だが、1900年頃(あるいは1890年代に?)現在のブランデー・ベースの「チェリー・ブロッサム」は欧米ではすでに誕生していたということ。
もう一点は、田尾氏が1924年当時、ブランデー・ベースの「チェリー・ブロッサム」を知っていたかどうかは知る由もないが、求められてウイスキー・ベースで、同じ名前のカクテルを考案した。
しかし、そのレシピが “門外秘出”だったため、国内の文献で紹介されることもなかった。
そしてその後、日本に伝わったブランデー・ベースの「チェリー・ブロッサム」が、何かの理由で「田尾氏のオリジナル」と誤解されて国外へ伝わり、「サクラの花」という名の好イメージも加わって、逆に世界での普及に貢献することになったということ。
当然と言えば当然だが、『サヴォイ…』以外の、1930~40年代の欧米のカクテルブックを見てみると、ほとんどがブランデー・ベースである(『World Drinks and How To Mix Them』=William Boothby著、1934年刊、『Mr Boston Official Bartender’s Guide』=1935年初版刊、『Trader Vic’s Bartender’s Guide』=Victor Bergeron著、1947年刊、『The Official Mixer’s Manual』=Patrick G. Duffy著、1948年刊=等々)。
その後も、ブランデー・ベースの「チェリー・ブロッサム」が「スタンダード」として定着することになる。
バー「パリ」は田尾氏亡き後、奥様の幸子さんが継いでいたが、奥様が他界された後、店は一度閉じられた。
しかし2004年、田尾ご夫妻の息子さんの奥様が店を再開、現在は息子さん自身が営まれているという(出典:tabelog.com/kanagawa/A1401ほか)。
それでも揺るがない普及への「功績」
ブランデー・ベースの「チェリー・ブロッサム」の起源をめぐる従来の「定説」=田尾氏考案説、横浜生まれ説は、今後見直されるべきだろう。多くの国内のカクテルブックも間違った記述を修正せざるを得ないだろう。
しかし、私はそれでも、田尾氏が日本のカクテル発展に果たした功績は計り知れないし、田尾氏の貢献がなければ「チェリー・ブロッサム」というカクテルがこれほど世界的に普及することはなかったはずだと信じている。そして、田尾氏考案の「カナディアン・ウイスキー・ベースのチェリー・ブロッサム」も、もっと広く知られるようになることを願う。

なお、田尾氏のオリジナルと思われるカナディアン・ウイスキー・ベースの「チェリー・ブロッサム」が唯一、1933年(昭和8年)、日米で同時に出版された『Odell’s Book of Cocktails and Fancy Drinks』というカクテルブックで「Mr. Tao’s Formula」として紹介されているが、田尾氏のご子孫によれば、「これは正確なレシピではない」という。

ブランデー・ベースの「チェリー・ブロッサム」は1930年代には日本にも伝わっていたはずだが、初めて活字で紹介されたのは、戦後出版された『世界コクテール飲物辞典』(佐藤紅霞著、1954年刊)が初めてである。
【感謝】この記事の執筆にあたっては、本文中にも紹介したバー・ネマニャの北條智之氏から貴重な情報提供、ご助言を頂戴いたしました。この場を借りて、心から御礼を申し上げます。

