世界にはまだまだ僕らの知らないお酒がある。
インターネットを駆使すれば、今は容易にその情報に辿り着くことは可能だ。だが、まずはその物自体を知るというきっかけがなければ、検索もできないし、出会う事もない。
今日はイタリアのアドリア海対岸にあるクロアチアのニガヨモギ酒【Pelinkovac ペリンコバック】を紹介したい。
ニガヨモギにより造られた酒
クロアチア語である【Pelinkovac】の意味は、Pelin(ニガヨモギ)+kovac(〜により)、つまり『ニガヨモギにより造られた酒』ということだ。
残念ながら、このお酒は日本には正規輸入されていない。時折メルカリなんかに出品をされているのを見受ける程度だ。
バルカン半島へ渡航した日本人旅行者が現地でお土産として買ったペリンコバックを、帰国後に持て余して出品しているのだ。
クロアチアの酒屋に行けば様々なペリンコバックが売っており、その種類の豊富さに驚く。はたまた昼下がりのカフェに伺えば、必ずメニューに記載されており、注文すればショットグラスに注がれ提供される。
クロアチア人は、これを食前又は食後にストレートで一気に飲み干す。ニガヨモギの苦味が胃を刺激するのだ。はたまたコーヒーに垂らして、味に深みをもたらす事もできる。
僕はこのペリンコバックがたまらなく好きだ。僕が店主を務めるBar BenFiddichでも常備しており、カクテル使用にもいかんなくこの味わいは発揮される。
アブサンとペリンコバックの違い
ペリンコバックはニガヨモギ酒であるが、アブサンのそれとは味わいが大きく違う。
アブサンというのはアニス、フェンネルの甘い味わいがあり、そこにニガヨモギが入る事によって初めて三位一体のバランスとなる酒。
ペリンコバックはというと、ニガヨモギの苦味を主体とし、そこに
- スパイス類(クローブ、シナモン、コリアンダーシード等)
- シトラス系の柑橘のピール類(オレンジの皮、レモンの皮等)
- ハーブ類(ミント、レモンバーベナ、ローズマリー等)
を高純度の中性スピリッツに浸漬し、加水と加糖で仕上げたものだ。
ペリンコバックとアマーロ
では、どんな味わいなのか?
例えばイタリアの代表的リキュールであり、薬草苦味酒の【Amaroアマーロ】のそれと近い。ペリンコバックの苦味はニガヨモギによってもたらされるが、アマーロの苦味はリンドウ属のゲンチアナの根、トニックウォーターの苦味でお馴染みのキナ皮、もちろんニガヨモギも使用される。
アマーロを構成する苦味は多様なのに対し、ペリンコバックはニガヨモギの苦味のみなのだ。その苦味に対して様々な草根木皮を配合し、完成するのがペリンコバック。
この草根木皮の集合体のペリンコバックは、クロアチア産まれながら近隣諸国であるセルビア、スロベニア、マケドニア、モンテネグロなどの旧ユーゴスラビア諸国でも定番の商品になっている。
ペリンコバックの起源
では、いつからペリンコバックは存在するのか?
ニガヨモギをアルコールに浸漬するという行為は、紀元前から存在する。当時は医療目的が始まりであり、近現代では嗜好品として変化し様々な酒類に分派している。ペリンコバックはもとより、アブサンやベルモットなどがそれだ。
ペリンコバックという名称自体は19世紀後期から嗜好品の商標として存在し、現在に至る。
ただ、このペリンコバックがいきなりどこからか湧いてきたのではない。当時から地域に根ざした伝統的療法があり、何某かの効能を期待し、アルコールにニガヨモギ含め様々な草根木皮を漬け込み、それが脈々と受け継がれ、クロアチアではいつしかそれを【Pelinkovacペリンコバック】と呼ぶようになったのだ。
何かの効能を期待したお酒ならば、せっかくだから身体にも良く味も美味しいものが良いだろうという流れは自然の摂理。
自家製のペリンコバック造りの名人
ペリンコバックは現代でも酒類メーカーが造っているだけではない。日本でも梅酒造りの名人のおばぁちゃんがいるように、ここクロアチアでも自家製のペリンコバック造りの名人のおばぁちゃんが存在するのだ。
数年前にクロアチアへ渡航した際にその自家製のペリンコバックを味わいたかったのだが、時間が足りなく断念した。次回は是非とも味わいたい。
世界は広い。
僕の中では【美味いもの】より【知らないもの】の方がヒエラルキーは高いのだ。
歳を重ね経験値が重ねられると、着地点が想像できてしまう事に残念感を覚える時がある。
その点、知らないものは本当に知らないともうワクワクしてしまう。
そのものの歴史的背景、文化的背景、地理的要因を調べ点と点が線になり、だからこの味になるのかなと想像する。
まだまだ知られていないお酒がこの世にはたくさんある。 ワクワク感を忘れなければ、より嗜好品は楽しめるのだ。