20世紀前半、アメリカに「崇高なる社会実験」と呼ばれた時代があった。1920年から1933年までの13年に及んだ禁酒法の時代だ。
この期間、酒の摂取や一定量の自家醸造は認められていたものの、その製造、販売、そして運搬は禁じられていた。しかし、この社会実験は、人々の酒に対する剥き出しの欲望を顕にし、その密造や密輸を爆発的に増大させるという、およそ当初の目論見とは真逆の結果を生み出す事になった。
結局のところ、人々の欲求に底はなく、それを抑えようとして犯罪が起きるのであれば「規制」よりもむしろ「管理」する方が良い、というところだろうか。それは1980年代以降、足掛30年以上にわたる麻薬撲滅運動の先に、今や大麻の合法化が進められている状況に重なるところがある。
禁酒法の法的根拠
禁酒法が米国にとっていかにとって大きな試みだったのかを理解するには、その法的根拠がどこにあったのかを考えてみるのが一番だ。
禁酒法は条例でもなければ行政令でもない。それどころか単なる連邦法でもない。アメリカ合衆国を合衆国たらしめる最も基本的な法典「合衆国憲法」の一条だ。今でもその条文は合衆国憲法にしっかりと刻まれている。興味があれば現在の合衆国憲法を記した合衆国上院議会のホームページを見てみるといい。現行憲法下においても、今でもしっかりと「禁酒法」が記述されている。
禁酒法の効力
無論、だからといって禁酒法が現在でも効力を持っているわけではない。
合衆国憲法の一条として今日まで禁酒法が記されているのは、合衆国憲法が元の条文を削除し上書きする「改正」を許さず、原文を残しつつ新たな条文を追加することによってその効力を改変する「修正」による変更のみが認められているからだ。
1788年に施行された米国合衆国憲法は、現在5つの条文と27に及ぶ修正項によって成り立っている。修正項の最初の10項は、憲法批准直後の第一回連邦議会で加えられることが決まった「権利章典」と呼ばれる基本的人権に関する条項であり、合衆国憲法の基本的な精神を成している。このことから権利章典は修正と名が付けられてはいるものの、現実的には合衆国憲法の根幹の一部とみなしていい。
異色の存在ともいえる禁酒法
残りの17の修正項はその時代時代を反映した内容になっているが、その多くは時代とともに認められていった公民権に関するものや、大統領の任期・承継に関わる変更事項だ。
2020年の大統領選挙で話題となった選挙人制度に関する修正は修正第12条、リンカーンによる有名な奴隷制の撤廃は修正第13条、女性参政権は修正第19条、ジョン F. ケネディ大統領暗殺を受けて明確化された大統領欠員時の承継規定は修正第25条といった具合だ。
その意味で1919年に制定された修正第18条、いわゆる「禁酒法」は飛び抜けて異色の存在と言える。
国民の活動を制約する内容はこれ以外で言えば奴隷の禁止(修正第13条)しかない。人が人をモノとして扱う奴隷が制限されるのは当然としても、酒という嗜好品、しかもそれまで至極当たり前に流通していた物品の製造や販売、移動を憲法が制限するというのは国家権力の制約や国民の自由・権利を保証する近代憲法にはおよそ相容れない。しかもそれが制限するのは酒(条項では「酩酊を催す酒類」)という非常に限定された物品についてのみというのは異例中の異例だろう。
また、それまで一般的に流通していた物品の製造や販売を規制することから準備期間を設ける必要があった結果、「本条項が施行した1年後から……」というかなり具体的なタイムラインまで示されている。
更に異質なのは同条文が後の修正第21条によって撤回されていることだ。1933年に制定された修正第21条は第18条を撤回するためだけに設けられた条項であり、このような修正は現在に至るまで後にも先にも存在しない。
つまりアメリカ合衆国憲法は、国民の酒に対する接し方をその内の2条を使って決めているという、世界でも類を見ない憲法と言える。
冒頭の写真
“US Constitution” (https://flic.kr/p/L2Y9f) by Jonathan Thorn: CC BY-NC 2.0