ケンタッキー バーボンと言えばケンタッキー。この認識があまりに進んでしまったが故に「バーボンと呼べるのはケンタッキーで造られたウイスキーだけ」と間違った理解をしている人も多い。実際、本国である米国でも広く信じられていたりする。
ケンタッキー州の地理的特徴
ということで、今回は日本ではあまり知られていないケンタッキーについて、特に地理的な観点から紹介しよう。
ケンタッキー州はその真下にあるテネシー州と同じ様に、東西に長く、南北に平たい州だ。ニューヨークなどが位置する東海岸からロサンゼルスなどがある西海岸に向かって1/3ぐらいに位置している。南北で言えば、北の五大湖から南のメキシコ湾までのちょうど中間あたり、北のインディアナ州とオハイオ州、南のテネシー州に挟まれた州だ。緯度は日本の東北とほぼ同じくらい。気候は東京とよく似ていて、夏は蒸し暑く、冬は乾燥していて寒い。夏の最高気温・冬の最低気温がもうちょっとハッキリしている感じだろうか。しっかりとした四季があり、花粉症がひどいところも似ている。
人口は約450万人。北海道やスコットランドより70~80万人ほど少なく、面積は両者よりちょっと大きいくらいだ。そういう意味ではウイスキーの名産地はどこも人口も面積も似通っているところが面白い(ちなみにアイルランドも、人口でこそアイルランド共和国と北アイルランドを合わせるとだいぶ大きくなるが、面積は上記三地域とさほど変わらない)。
ケンタッキーは文化・行政地域としては南部に属している。これは純粋に地理的というよりも南北戦争時どちらに与したかということの影響の方が大きい。南北戦争時、ケンタッキーは奴隷制度を維持しつつ北軍に属した、いわばどっちつかずの「境界州」だった。一方、オハイオ川を隔てた北側のインディアナ州・オハイオ州は北軍派の自由州だったために、これ以降オハイオ川の南側が南部となった。
ケンタッキーはいわば南部の北限である。そういう意味では北部的な要素を含みつつも、南部感を満喫できるのがこの州の面白さ。例えば南部なまりの代名詞「Y’all」(「みなさん」といった意味合いの「You all」の短縮形)。僕が住むカリフォルニアでは全くと言っていいほど耳にしないこの言い回しも、ケンタッキーに来れば頻繁に耳にする。面白いもので、テネシー州やより南部に比べればそのなまりの程度はまだまだ軽くて、やっぱりここが南部の北限なんだなということを思い知らされたりもする。
東西方向でいうと、東から1/3ということで、ケンタッキー州の東側半分はニューヨークやボストン、ワシントンDCと同じ米国東部時間帯、西側半分が中部時間帯に属している。つまりケンタッキーは東西においても「東限」の州ということだ。ケンタッキー州東西のほぼ中央に位置する同州最大の都市ルイビルは東部時間帯の端に位置していて、緯度のわりにサマータイムを考慮しても夏は異常に日没が遅い。夏至の頃にはなんと21時過ぎに日が沈む。もちろんその代わり朝は遅い。困ったのは州内で時差があること。
シカゴ経済圏の南端から始まりメキシコ湾までを結ぶ南北の大動脈「I65」という高速道路がルイビルのど真ん中を貫いているが、これを南に向かって走っていると、やがて同じ州内でいつの間にやら時間が変わってしまう。そう、東部時間と中部時間の境目だ。目的地に着いてから一時間ズレていることに気がついて、当初の予定をミスしたなどというのはこの地域ではもはや笑い草だ。僕もこれで何度か失敗した記憶がある。
なぜバーボンの聖地なのか?
現在ケンタッキーがバーボンの聖地とされている理由の一つが、同州東部を占めるアパラチア山脈の存在だ。
北米東海岸を南北に横断すること約2500キロ。日本の本州が約1500キロ程度だから、その大きさもわかるはず。このアパラチア山脈は米国という文化を形成するのに大きな役割をなした。ヨーロッパから入植してきた人たちはまずアパラチア山脈の東側、大西洋岸に街を造り、それが現在のボストンやニューヨーク、フィラデルフィア、ワシントンDCなどになった。
彼らにとってこの山脈は「新天地」とインディアンと呼ばれた原住民が住む「未開の地」を分ける分水嶺。多くの人にとってはあえてここを踏み越える必要もなかったわけだ。 米国のウイスキーの原点は、ヨーロッパからの移民たちが東海岸で祖国の蒸留酒を再現しようとしたことから始まる。特に北部ヨーロッパで一般的なライ麦が新天地でもよく育ったことから、オランダ人入植者を中心にライ麦によるウイスキー造りが始まった。これがライ・ウイスキーこそ米国の母なるウイスキーと呼ばれる理由だ。
やがて手狭になりつつあった東海岸から、より広大で自由な農地を求めて段々と人々が山脈の反対側に入植を始めることになる。アパラチア山脈を超えるとその先は広々とした平野。冷涼な気候を好むライ麦の代わりに、入植者たちはこの地域原産のコーンを育てた。これがバーボンの蒸留へとつながっていく。
輸送手段の乏しい時代、アパラチア山脈は大きな壁で有り続けたために東海岸に直接届けるのは難しかったが、代わりにケンタッキーにはオハイオ川があった。オハイオ川はミシシッピー川へと続き、ミシシッピー川はやがてニューオリンズでメキシコ湾へと流れ込む。バーボンの語源がニューオリンズの歓楽街フレンチクォーターの「バーボン・ストリート」に由来するという説はここにその源流がある。
普通の人にとってケンタッキーはあまり馴染みがない土地かもしれないが、実はケンタッキーと日本の繋がりはそれなりにあったりもする。特にトヨタの存在は絶大だ。貿易摩擦という言葉が日米の間に暗い影を落としていた1980年代、トヨタはケンタッキー州ジョージタウンに国外初となる現地工場を設立している。以来、全米で最も売れた車であるカムリを生産するトヨタ最大の工場の一つとして現地に根付いており、またその関連企業も多く進出していることから、保守的な土地柄でありながら日本に対する印象は全体的にポジティブでもある。