「梅酒、飲んでみるね? 久しぶりに作ったとよ」
実家に帰省した夜、食事の支度ができたところで母が言った。
「飲む、飲む!」
私は冷蔵庫から出しかけていた缶ビールを戻し、代わりにグラスに氷を入れていそいそとついていった。
物置に、梅酒を仕込んだ瓶があった。蓋を開けると、熟成した香りが鼻をくすぐる。淡い琥珀色の液体をお玉じゃくしでそっとすくってグラスに注いだ。底に沈んでいる梅の実も一つ。さて味見だ。
熟成は、とろりとさらりの中間。甘さはほんのり。去年の夏に作って、およそ1年寝かせたところだ。母の梅酒は、梅の香りと風味をまとって、あんばいよく仕上がっていた。
昔、祖母の家の庭に大きな梅の木があった。6月になると祖母は実った梅の実で、せっせと梅酒や梅干しを作った。明治女の気性をそのまま漬け込んだようなしょっぱい梅干しは子どもにはきつかったが、梅酒は甘くておいしそうだった。夏休み……大人が梅酒を飲む横で、早く大人になりたいなあと思っていた。その祖母は亡くなり、私たちも独り立ちし、梅酒はいつしか「買って飲むもの」になっていった。
母は、寝たきり防止の筋トレ教室で知り合った年上の人から、この梅の実をもらったそうだ。「いつ死ぬかわからんのに」としぶると「だからこれを仕込んで来年まで生きていなさい」と言われたという。塩漬けしたり天日干ししたりと手がかかる梅干しに比べて、梅酒はシンプル。洗ってへたを取った青梅の実と氷砂糖、ホワイトリカーを瓶に入れて置いておくだけだ。
「おいしいねえ」と私が言う。「作ってみるもんだねえ。今年も梅の実、もらえるやろうか」と母が言う。父の三回忌を終えて前を向けるようになった母を、私はほっとしながら見ている。