電車で、乗り過ごした。読み始めたばかりのノンフィクションが面白くて、ふと気づいたら、ドアが閉まったところだった。
一つ先で降りた。反対側のホームから一駅戻る手もあったが、改札を出た。せっかくだから、散歩しながら戻ろうと思ったのだ。
通りに出る手前に、いい雰囲気の居酒屋があった。散歩ついでだ、寄り道してみよう。打ち水がされた敷石を踏み、格子戸をガラガラと開ける。6席のカウンターの両端に、常連らしき中年男性2人組とアベックが座っていた。奥のテーブルにも1組。
カウンターの真ん中に案内された。常連の、私に近い男性がたばこを手にしているのが見えた。さりげなく、カップルに近い方の席に座った。
生ビールは、金属製のタンブラーで出てきた。お通しはトウモロコシのすり流しと酢の物。気がきいている。調理場には、タオルを額に巻いたご主人。目が合えば挨拶を、と思ったが、黙々と目を伏せて作業している。
お品書きに「おすすめ」とある地鶏の炭火焼と蒸しアワビを頼んだ。ご主人が炭火のコーナーに移動して作業をするのを、なんとなく眺める。
おき火になった炭にアルコールか何かを吹きかけ、炎が上がったところで、ご主人が地鶏を網に乗せた。が、地鶏は既に焼かれたものだ。
あっという間に、正確には2分ほどで、温めた炭火焼が出てきた。蒸しアワビも、冷蔵庫から出てきた。テーブルの2人組がおむすびを注文した。お品書きには「炊きたてを握りますので30分ほどお時間をいただきます」とある。
と、ご主人は使い捨ての手袋をはめ、炊飯ジャーを開けて炊きたてじゃないご飯を取り出し、手早くおむすびを作った。所要時間3分。
私は生ぬるい地鶏をビールで流し込み、ぼけたアワビを黙々と食べた。
お勘定はテーブルでお願いします。カウンターに済んだ食器を乗せないでください。
「注文の多い料理店」だな。こういう日もあるさ。
20分で店を出た。「刺身のツマには栄養があるんだってな。おれ昔料理人やってたけど知らなかったよ」と、常連客が酔った口調でくり返している。