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神秘の島スコットランド・オークニー

イギリスの中のスコットランド

日本では一般にイギリスと言われていますが、英国はユナイテッド・キングダムUKと呼ばれ、イングランド・ウェールズ・北アイルランド・スコットランドの4つの王国からなる連合王国です。ラグビーやサッカーなどではそれぞれ別の国として出場しています。

その北部にスコットランドがあり、スコッチウイスキーの産地として100以上の蒸留所が稼働しています。

オークニーOrkneyとは

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オークニー諸島は、スコットランドの北東部にある約70の島々からなります。人口22000人程度、17の島に人々が住んでいます。

名前の由来は諸説ありますが、オルカOrca、シャチからとも云われています。行政府所在地はメインランド島のカークウォールにあり、町の中心には1137年に建設された聖マグヌス大聖堂が荘厳な佇まいで鎮座しています。

北緯59度と高緯度にありますが、メキシコ湾流(Gulf Steam)の影響で温暖な気候であり、肥沃な土壌で農業・牧畜なども盛んです。漁業もストロムネス港を中心に栄えています。特に英国の朝食メニューの定番、キッパーの材料であるニシン漁が有名です。

オーカディアンOrcadianとしての誇り「海こそがわが友人、此処こそがわが住まい」

8世紀後半から、この地はノルウェー人の流入が盛んとなり、ヴァイキングはスコットランド本土への侵攻の拠点としました。

この流れを受け、875年にノルウェー王はオークニーとシェットランドを王国に併合しました。その後約600年にわたり、ノルウェーの支配下に置かれることになります。1472年、ノルウェー王の娘とスコットランド王ジェームス3世との婚約に際して、オークニー諸島はシェットランドとともにスコットランドに併合されることとなり、現在に至ります。

そのためか、この島民は、「スコッツ(スコットランド人)」である前に「オーカディアン(オークニー人)」としての意識が高く、ヴァイキングの文化を取り入れた独自の文化を築いています。またオークニー諸島旗も、スカンディナヴィア十字を用いており、その様式や色合いはノルウェーやスウェーデンに似たものになっています。

オークニーへのアクセス

オークニーへは、アバディーンやエディンバラなどから飛行機が、またアバディーンや本土最北のジョン・オグオーツやスクラブスターなどからフェリーでも渡ることができます。また、インバネスから1日観光バスツアーもありますので、ぜひ一度この神秘の島々を訪れてみてください。

神秘の島・オークニーの遺跡を巡る

オークニー諸島には数多くの遺跡が発見されていますが、メインランド島の4つの遺跡は1999年に世界文化遺産「オークニー諸島の新石器時代遺跡中心地」として登録されました。今から5000年前の新石器時代の遺跡が素晴らしい状態で残されており、それぞれ間近に体験することができます。

古代の住居跡「スカラ・ブレイ Skara Brae」

今から5000年程度前、紀元前3100年から2500年頃の人々の暮らしの様子がわかる遺跡です。平らな石板を積み上げて造られた壁や暖炉、食器棚、寝台などの調度品もほぼ完全な形で残っており、今でも使えそうな印象です。住居同士を結ぶトンネルや排水施設、トイレなどもみられ、建築技術水準の高さに驚かされます。

この地は1850年までは土に埋もれたままでしたが、その年の冬の大嵐で屋根にあたる部分が吹き飛ばされ、いくつかの建築物が発見されました。まさに5000年もの眠りから目覚めた瞬間です。風雨にさらされることがなかったため、良好な状態で保存されていたわけです。

生活していた当時は当然屋根があったわけで、彼らはもともとあった貝塚の中に住居を構えました。貝の層は、脆くもありますが断熱効果は高く、厳しい北方の生活を乗り切るために好都合でした。

紀元前2500年頃には、人々はこの住居群を捨てて他の地へ移動したようです。気候変動でより寒冷になったためと云われていますが、そのはっきりとした理由はわかっていません。

世界最古の円形墳墓「メイズハウ Maeshowe」

牧草地に小さな丘のように見えるのが「メイズハウ」、高さ7m直径35mほどの円形の墳墓です。紀元前2700年頃に建てられ、エジプトのピラミッドよりも歴史が古いと云われています。

アイルランドなどでもみられる羨道墳で、天井がないドーム状の内部にある1m四方ほどの低くて狭い1本の通路・羨道を通って中に入る構造です。内部はスカラ・ブレイ同様、平らな石が積み重ねられ、中央スペースのほかに、いくつかの小部屋もあります。

冬至を挟んだ数週間は、夕日の光が羨道から差し込み内部を照らすように設計されており、これで暦を把握していたとも云われています。その光は思いのほか強く暖かく輝きがあり、何とも言えない神聖な気持ちにさせられます。

中にあった装飾品などは、ヴァイキングによって盗掘されました。彼らは天井に穴をあけ侵入し、墓内の壁に古代北欧風文字であるルーン文字で落書きをしました。壁一面にびっしりと刻まれた文字列やドラゴンのイラストは圧巻で、大変感慨深いものがあります。

巨大な環状列石「リング・オブ・ブロッガー Ring of Brodgar」

環状列石としてはイングランド・ソールズベリのストーンヘンジが有名ですが、時代が古いため、よりシンプルで気高さがあります。

小高い丘に、大きなものでは高さ5m以上の巨大な石が27基、直径104mのきれいな円形状に並んでいる様は、何とも言えない神々しさをも感じます。元々は60基もの巨石が並んでいたと云われており、これらは紀元前2500~2000年に建てられたものと考えられています。

環の中心部はいまだ発掘がなされていないため、正式な年代などの特定もできていません。また、この石の輪の周囲には幅9m深さ3m程度の濠があり、硬い岩盤を古代人が削って作ったとのことです。

このような巨石をどのようにして運んできたのか、誰が何の目的で建てたのか、どうして立っていられるのかなど、まだまだ解明されていない点が多く残されている神秘的な建造物です。

悠久の時の流れ「ストーンズ・オブ・ステネス Standing Stones of Stenness」

広い牧草地の中に4本の巨石が佇んでいます。元々は12本が直径30mの楕円状に並んでおり、リング・オブ・ブロッガー同様その周囲を濠が囲んでいたと云われています。これらは紀元前3100年頃に建てられたもので、中央には石が置かれており、そこでは火が焚かれていた跡があります。

これらの巨石は直接手で触れることもできます。5000年もの前からこの場に立ち続け、上部が苔むしている巨石に手を合わせると、何とも言えない悠久の時の流れを、また無機質であるはずの石から生命力のような尊いものさえも感じることができます。

新たな発見「ネス・オブ・ブロガー Ness of Brodgar」

2002年、2つの巨石建造物の中間で儀式用建造物群が発掘されました。紀元前3200年頃のものと考えられ、巨大な壁に囲まれた場所に100もの建造物が築かれています。その中には神殿もあり、紀元前2300年頃まで神事が行われていたと考えられています。長さ100m高さ6mという巨大な石壁も発見されており、神界と俗世を分ける象徴ではないかとも考えられています。また、この時代には珍しい人型の粘土像も発掘されており、ブロッガー・ボーイと名付けられています。

まだまだ発掘途中ですが、こちらも新たに世界遺産の中に入るものと考えられています。

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神秘の島スコットランド オークニーの蒸留所

この記事を書いた人

谷嶋 元宏
谷嶋 元宏https://shuiku.jp/
1966年京都府生まれ。早稲田大学理工学部在学中よりカクテルや日本酒、モルトウイスキーに興味を持ち、バーや酒屋、蒸留所などを巡る。化粧品メーカー研究員、高校教員を経て、東京・神楽坂にバー「Fingal」を開店。2016年、日本の洋酒文化・バーライフの普及・啓蒙を推進する「酒育の会」を設立、現在に至る。JSA日本ソムリエ協会認定ソムリエ。
谷嶋 元宏
谷嶋 元宏https://shuiku.jp/
1966年京都府生まれ。早稲田大学理工学部在学中よりカクテルや日本酒、モルトウイスキーに興味を持ち、バーや酒屋、蒸留所などを巡る。化粧品メーカー研究員、高校教員を経て、東京・神楽坂にバー「Fingal」を開店。2016年、日本の洋酒文化・バーライフの普及・啓蒙を推進する「酒育の会」を設立、現在に至る。JSA日本ソムリエ協会認定ソムリエ。