「洋酒調合法」は日本初なのか?
ある方から、「こんなカクテルブックの存在を知ったのですが、日本で一番古いものなのでしょうか?」との質問を受けた。本の現物はその方の手元にないが、国会図書館のデータベースでは読めるという。早速HPで検索して拝見してみた。その本の名は「洋酒調合法」という。「欧米料理法全書」という本の附録という形の小冊子だが、一応、本の形は整えている。出版時期は、1907年(明治40年)、編者は高野新太郎とある。
これまで日本で一番古い時期のカクテルブックは1924年(大正13年)に出版された「カクテル(混合酒調合法)」(秋山徳蔵著)と「コクテール」(前田米吉著)と言われてきたが、もし1907年のこの本が「日本初」ならば、これまでより17年も遡って、日本第一号のカクテルブックになることは間違いないというか、日本のカクテル史を書き換えるような事実である。
私は国会図書館のデータベースからダウンロードして、全ページを印刷して読んでみた。約90ページの小冊子には、209種類のカクテルが収録されている。調べてみると、現代でもその名が知られているスタンダード・カクテルが約20種類も(例えば、ジン・リッキー、トム・コリンズ、マティーニ、マンハッタン、ミント・ジュレップ、オールド・ファッションド、ウイスキー・ハイボール、シャンパン・カクテル、エッグノッグ等々)、前述した秋山徳蔵や前田米吉の本よりも早く紹介されていたのだ。すなわち、「日本における初出文献」が17年早くなることになった。
なぜ、単行本でなく「附録」で出版
それにしても、私には不思議だった。1907年と言えば、街場のバーはまだ登場していなかったが、外国人居留地のホテルのバーはかなり充実してきた頃のはずで、最新カクテルの本にはそれなりに需要はあったはず。なぜ料理本の附録ではなく、単行本として出版しなかったのか。
私は、「洋酒調合法」の中身をさらによく読み込んでみることにした。第一章は、「酒保人(バーテンダーズ)の心得」。そして、第二章に「洋酒の調合法」と題して、「JPCカクテル」に始まり「ウイスキー・ジュレップ」まで209種類のカクテルのレシピが収録されている。さらに、果実ブランデーを造る法、瓶詰めカクテルを造る法、ビターズを造る法、酒を造る法、果実シロップを造る法という項をそれぞれ単独で設けている。附録というには、かなりの充実ぶりである。
「ホフマン」という言葉から分かったこと
読み込んでいるうちに、ふとカクテル名の頭に「ホフマン(Hoffman)」という言葉がついたものがいくつかあることに気づいた。例えば、「ホフマン・ハイボール」。レシピは「スコッチ・ウイスキー1ジガー、ソーダ、氷(大きいグラスでビルド)」というから、普通のウイスキー・ハイボールであるが、あえて「ホフマン」と言うのは何かあるのか。
さらに、「ホフマンハウス・クーラー」(スコッチ<またはライ>・ウイスキー1ジガー、ジンジャーエール適量、オレンジの皮をむいたもの、氷)、「ホフマンハウス・オールドファッションド・カクテル」(ウイスキー1ジガー、オレンジ・スライス、ブッカーズ・ビターズを一振りした角砂糖)、「ホフマンハウス・フィズ」(プリマス・ジン1ジガー、レモンジュース半個分、粉砂糖2分の1 tsp、乳脂<クリーム>1tspをシェイクして、ソーダ水を加える)等々。
これは何かある。「ホフマン」「ホフマン・ハウス」とは何か? 今はWEBで検索すればそう苦労することもなく何かのヒントが得られるのが有難い。すぐに、「ホフマン・ハウス(Hoffman House)」とは、19世紀半ばから20世紀初頭にニューヨークにあったホテル(1864~1915)の名前であり、「ホフマン・ハウス・バーテンダーズ・ガイド」という本が、「洋酒調合法」出版の2年前の1905年に出版されていることが分かった。
カクテルブックの復刻版出版が多い米国
バー文化やカクテルへの認知度、関心度が高い欧米では、古い時代のカクテルブックがかなりの割合で復刻出版されていることが多いが、「ホフマン・ハウス……」も嬉しいことに、2014年に復刻版が出版されていた。早速、米国アマゾンのHPで注文し、届いた本の中身を確認してみた。
著者はこの「ホフマン・ハウス」のバーでチーフ・バーテンダーとして働いていた、チャールズ・マハニー(Charles Mahoney)というバーテンダーである。自らの名前を冠したオリジナル、「マハニー・カクテル」も収録しているが、基本は同時代に普及していた、カクテルを含むミクスト・ドリンクを紹介している。
マハニーの名は、実は後年出版された歴史上有名なカクテルブック「ABC of Mixing Cocktails」(1919年刊、ハリー・マッケルホーン著)にも登場する。この本のなかの「サイドカー(Sidecar)」の項で、著者マッケルホーンが記した「これはチャールズ・マハニーのレシピである」という但し書き。これは、いろんな出版物で間違って紹介される「サイドカー=マッケルホーン考案説」を否定する、有力な証拠にもなっている。
“ネタ本”に頼った「洋酒調合法」ではあるけれど……
調べてみると、さらに驚くべきことが分かった。「洋酒調合法」の内容は、カクテルの登場順など若干の違いはあれ、209のカクテルはすべて「ホフマン・ハウス……」収録の259のカクテルの中から選ばれていた。しかし、前書きなどでこのカクテルブックについての言及は一切なかった。
編者の高野新太郎がどういう人物なのかは、現時点ではよく分からない。しかし、料理編の編者もつとめていることからおそらくは料理畑の人間ではなかったか。カクテルの知識はあまりないので、「ホフマン……」の内容をほぼ頂戴したが、恥ずかしさもあって「知らん顔」を決め込んだのであろう。驚くべきことに、この「欧米料理法全書&洋酒調合法」は当時、米国サンフランシスコを拠点にして日米で同時発売されている(おそらく、現地の日系人社会の需要もあったのであろう)。
「洋酒調合法」はその“出自”や内容からしても、単行本の附録(小冊子)という形からしても、「日本初のカクテルブック」とはとても言えない。しかし、「ホフマン・ハウス……」の出版からわずか2年後の1907年に、当時の欧米の最新のカクテル事情を紹介した功績は限りなく大きい。この本のおかげで、現代でもその名が知られるスタンダード・カクテルが約20近くも日本で初めて紹介された。この小冊子が世に出なければ、街場にバーが登場(初お目見えは3年後の1910年)するのは、もう10年遅れていたに違いない。