女が独りで酒を飲む。今となってはそれほど珍しい風景でもない。
それでも「男は黙って……」というビールの宣伝文句が「女は黙って……」に取って代わることはないだろう。まだ、女が独りで飲んでいるのは「普通」じゃないのである。
私はよく独りで飲む。単独で動き回る商売柄、「飲みたいな」と思うタイミングに同行者がいないことが普通だからだ。
一仕事終えて、アルコールとともに気持ちがほぐれていく感触を独りで楽しみたい、という気持ちもある。SNSで「これから一杯つきあってくれる人?」と呼びかけることもできるけれど、あえてしない。
30年近く前、初めて海外出張に出かけた時のことだ。国際線に独りで乗るのも初めてで、20代半ばの私は落ち着かない気持ちで座っていた。
私は窓際で、隣も独り旅の女性だった。若くはないが「中年」とも呼べない年頃。どこが、というわけではないが旅慣れた印象を受けた。
夕食を終え、機内誌をめくったり映画を観たりしているうちに眠り込んだらしい。目覚めた時には客室の照明が落とされ、機内にはゴーッというエンジン音だけが響いていた。
彼女は読書をしていた。短い章を読み終えたところで文庫本を開いたままテーブルに伏せて置き、コールボタンを押した。本の表紙には「鬼平犯科帳」とあった。
やってきた客室乗務員に彼女は、涼しい声で「ラムコークをください。ラムは少し多めに」と頼んだ。「ピーナツもお持ちしましょうか」「お願いします」
ラム&コークを一口飲むと、彼女は再び読書に集中した。読書灯に照らされて光を反射するグラス、炭酸のはじける音、そして時代小説を読む彼女の横顔を、なぜか私は着陸後の風景よりも強く覚えている。
今の私は、もうあの頃の彼女より年上だろう。