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アブサンはなぜ禁止になったのか

1915年アブサンが禁止になった事を告げる風刺画

アブサンを構成する主なボタニカルはニガヨモギ、アニス、フェンネルであり、この三位一体のバランスからなる。

このニガヨモギに含まれるツヨンという苦味を帯びた精油成分が幻覚作用を引き起こす、又は健康被害を及ぼすという噂が19世紀末期に過剰に流布し、最終的にアブサン生産国で製造禁止となった。

ただ、実はそんなことはない。

自然界の植物というのは、良薬になるものも過剰に摂取すれば毒になる。このニガヨモギに含まれるツヨンも同様である。ではなぜこんな事態になったのか?

19世紀末期、確かにアブサンによる健康被害は拡大した。これは当時、下級層に出回っていた下級アブサンによるものである。安物のアブサンであり、水でカサ増しするとアルコール感が薄くなり白濁してしまうので、工業用アルコールでカサ増ししたのだ。日本の戦後の闇市で出回っていたバクダンと同じ理屈での健康被害である。

また、伝統的にアブサンの原料用アルコールはグレープスピリッツだったが、需要の拡大とともに安価な穀物原料のアルコールに切り替えたことがワイン業界との確執を生み、ワイン業界によるアブサンの健康被害のプロパガンダが始まった。時代も悪い。19世紀末から20世紀初頭にかけて、欧米諸国では社会改善運動の一環で禁酒運動が盛り上がりを見せていた時代でもある。

多角的な理由で矢面に立たされ、20世紀初頭にアブサンは各国で順次製造禁止となった。アブサンにより多額の税収を見込めるフランスでも、最後まで禁止に対する抵抗勢力があったが、第一次世界大戦勃発による文化転換期と嗜好品排他の流れで、1915年に正式に禁止が可決される。  あれから100年、アブサンは解禁となり、伝統はもう一度紡がれている。

この記事を書いた人

鹿山 博康
鹿山 博康https://ameblo.jp/kayama0927/
1983年生まれ。20歳の時にバーテンダーを志す。2013年7月独立し、アブサン・ジン など薬草酒を中心としたバー、Bar BenFiddichを開業する。自身の畑を外秩父の麓・ときがわ町に所有し、そこで採取したボタニカルをカクテルに使う。2015年ボタニスト・ジン・フォリッジ・カクテルコンペティション 優勝。2016年『drink nternational』より、「AsiaBest Bar 50」にて21位に選出される。
鹿山 博康
鹿山 博康https://ameblo.jp/kayama0927/
1983年生まれ。20歳の時にバーテンダーを志す。2013年7月独立し、アブサン・ジン など薬草酒を中心としたバー、Bar BenFiddichを開業する。自身の畑を外秩父の麓・ときがわ町に所有し、そこで採取したボタニカルをカクテルに使う。2015年ボタニスト・ジン・フォリッジ・カクテルコンペティション 優勝。2016年『drink nternational』より、「AsiaBest Bar 50」にて21位に選出される。