COVID-19の影響により、蒸留所見学が制限されている中、各酒類メーカーがブランドアンバサダーや製造責任者によるオンラインセッションを展開しており、とても有難いです。そんな中、The Master of Malt主催のフェッターケアン蒸溜所のブランドアンバサダーによるセッションがあり、2012年に蒸留所を見学して以来、ずっと抱えていた質問について聞いてきました。
フェッターケアン蒸溜所の歴史
東ハイランドのケアンゴルム山脈の麓にあるフェッターケアン村一帯の領主はラムゼイ家でした。ラムゼイ一族のクレスト(家紋)こそが、ボトルにも描かれているスコットランドの霊獣であるユニコーンです。またクレストに記されたラテン語のモットーは、「Ora Et Labora (祈れ、そして働け)」で、そのモットーの通りに生きた領主と領民の関係は良好であったようです。
1824年、サー・アレクサンダー・ラムゼイ(2代目Balmain準男爵)の時に、1823年の酒税法改正に伴い、山奥に隠れていた密造者を雇って、現所在地であるNethermillの製粉所に本格的な設備を投資し、フェッターケアン蒸溜所として政府の認可を得ています。そのため、同じく領主の後ろ盾があったグレンリベット蒸溜所に次いで2番目となっており、かなり早い段階で公認蒸留所となっています。
ただ、先代のFasque Castle建設によって財政状態が傾き、居城と蒸留所を含めた領土を1829に貿易商に売却しています。その貿易商の4男こそが、大英帝国で4回首相を務めて、ビクトリア朝時代の隆盛をもたらしたウィリアム・グラッドストーンです。別荘としてFasque Castleに住み、そしてオーナー一族としてフェッターケアン蒸溜所を見た経験から、財務大臣在任時にスコッチ産業の発展に必要とされた数々の政策を導入することができたといわれています。代表的な施策としては、庫出し税の導入(=保税倉庫から出した時に酒に税金がかけられるため、天使の分け前に対しては税金が掛からなくなった)が挙げられます。
また、フェッターケアン村といえば、1861年にかのビクトリア女王と夫君のアルバート公が在スコットランド時に、お忍びで出かけて村に泊まったことを記念して、1864年に建てられた門でも有名です。実際はばれてしまったようで、2人が月夜の散歩からホテルに帰って来たときには6人による鼓笛隊がマーチをしたそうです。なお、2人が泊まった宿であるラムゼイアームズホテルは今も営業しています。
その後、蒸留所は100年ほどグラッドストーン家の傘下にあり、火災や閉鎖そして何回かのオーナー変更を経て、現在フィリピン系のエンペラドール社の子会社であるホワイト&マッカイ社の傘下にいます。
そのようなビクトリア時代のエピソードと後述する製造工程に惹かれて寄った蒸留所ですが、妻と一緒にフェッターケアンの村に辿り着いて、かの門をくぐった時は中々感慨深かったです。
フェッターケアン蒸溜所のウイスキー造り
~ニューメイク~
フェッターケアン蒸溜所は製造においても、ビクトリア朝時代との繋がりがあります。それが、現在スコットランドの蒸留所のうち3箇所でしか稼働していないビクトリア朝時代の5tの鋳鉄製糖化槽(マッシュタン)です。最近のトレンドでは、ロイタータンによってあまり波立てないで攪拌することでフルーティな清澄麦汁を得ていますが、この旧式の糖化槽は内部のレイキによって荒々しく攪拌しており、その結果、麦感が溢れる懸濁な麦汁を得ることができます。
発酵は、25,600ℓのオレゴンパインの発酵槽11基で約60時間をかけて行い、酵母による発酵と乳酸菌発酵のバランスが良い8%の醪を作っています。
そして、私がこの蒸留所を見学したかった理由である蒸留についてです。蒸留器の形状は、大型なストレートヘッド2基2セットです。ただ、その最大の特徴は再留釜の兜の上部に水が流れるウォータージャケットが付けられていることです。1950年代に蒸留所長が、より清らかな留液を得るため、再留釜の外部から水で冷却させることで還流を促して、銅とアルコールの接触を増やすべく導入したそうです。
(セッションで教えて頂きましたが、2018年にリニューアルされたボトルデザインは、この蒸留器をかたどっているそうです)
また、1995年からはコンデンサーを珍しいステンレス製から一般的な銅製のシェル&チューブ式のコンデンサーに変更しており、さらに清らかな留液をとれるように改良しています。なお、蒸留器によって熱せられた水は、蒸留器を熱するためのボイラーに送り込むことでエネルギー効率を高めています。
蒸留工程においても、清らかな留液をとるようにしています。上述の特殊な再留釜で7時間とかなり時間をかけて蒸留していますが、開始から約2時間でアルコール度数が70%台後半から60%台後半(平均69.95%)と早めにミドルカットを行うことで、フレッシュで清らかな酒質を造っています。
その一つ一つのこだわりの製造工程から得られるニューメイクは、クリーンでココナッツやパイナップルを思わせるフルーティさがありました。
(なお、セッションで説明がありましたが、蒸留所の個性である清らかさをさらに追求すべく、以前製造していたピーテッド原酒は現在製造中止しています)
フェッターケアン蒸溜所のウイスキー造り
~樽貯蔵・熟成~
使う樽は主にバーボン樽ですが、ホワイト&マッカイ社のコネクションにより、系列の蒸留所同様Gonzales Byass、Vasyma、Tevasa等のボデガや製樽会社で指定した木材でトースト・チャーを施したシェリー樽も使用しています。
(また、セッションで説明がありましたが、その他にもコニャックカスクやポートカスクに加え、スコットランドの樽作りのノウハウ蓄積に貢献すべく地元のスコティッシュオークを使用した新樽もあるそうです)
それらの樽は、ダンネージ式の14の熟成庫に約3万丁保管しています。なお、東ハイランドは乾燥しており、気温も冬は-10~-15℃と寒く、夏も涼しいという冷涼な地であるため、天使の分け前は2%前後と熟成においては時間がかかるそうです。
フェッターケアン蒸溜所に対して抱えていた疑問
一通りの製造工程と熟成庫の見学を終えた後、蒸留所長と雑談しながらビジターセンターに戻っている時にふと思いついて、『なぜ、こんな珍しい蒸留器による製造ができたのか?』と質問しました。それに対して、
『フェッターケアンには、ふんだんなケアンゴルム山脈の雪解け水があるからさ。大雨が降ると雪解け水と合わさって度々洪水が発生するくらいだからね。』
「だから水道代も高くついている」と、ジョークまじりに答えて頂きました。帰って後で検索したら、確かにフェッターケアン村には洪水に関する記事が多くありました。他の蒸留所にはないこの唯一無二の製造方法は、フェッターケアンの地だからこそできたと知り、遠路はるばる訪れた甲斐があったと当時思った覚えがあります。
そんな感慨にふけりながら現行の12年を飲み、オンラインセッションに参加しておりましたが、ついに長年抱えていた質問を聞く機会が訪れました。
『ユニコーンの角には毒された水を清らかにするという伝説があるのですが、この伝説とウォータージャケットがついた蒸留器に何かの因果関係があるのでしょうか?』と聞いたところ、ブランドアンバサダーから、『ロマンチックな発想だけど、そんなことはないよ』と一笑に付されました。
……我ながら、想像力が豊か過ぎて恥ずかしいですが、そう思わせてくれるこの清らかさを追求したクリーンでフルーティなウイスキー、皆様もぜひ飲んでみてください。