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蒸溜所を通して見る世界: ヒーロー達が復興させた「#WEAREISLAY」を体現するブルックラディ蒸溜所

ウイスキーを飲み始めた頃、ブルックラディ蒸溜所復興にまつわるストーリーを『ウイスキードリーム』で読みました。そして、いつかアイラへ行き、登場する人達に会ってみたいと思いました。2013年夏に蒸留所見学が叶った時、幸運にもお会いすることができたのが、蒸留所復興のキーマンの一人である元蒸留所長のダンカン・マクギブレー氏でした。
※本稿においては、親しみと敬意を込めて『ダンカンさん』と記載しております。

ブルックラディの歴史

ブルックラディ蒸溜所は、ブレンデッドウイスキー・ブームの1881年、蒸留業の名門であるハーベイ家の兄弟によって、当時の最新鋭設備を導入してオープンされました。

ウイスキーブームの陰りが見え始めた1974年、ダンカンさんは22歳の時に見習いスチルマンとして蒸留所で働き始めます。その後蒸留所は、ウイスキー低迷期においても、インバーハウス社の傘下でブレンデッドウイスキー用原酒をほそぼそと供給し続けました。1993年、ジム・ビーム社傘下のホワイト&マッカイ社に買収され、翌年には原酒の需給調整のため閉鎖されました。それに伴いダンカンさんは解雇され、新たな職を求めるためアイラを離れざるを得なくなりました。

その後、ブルックラディのウイスキーに惚れ込んだロンドンのワイン商、マーク・レイニエ氏とサイモン・コフリン氏達が、ジム・ビーム社に対し粘り強く交渉して蒸留所を買収できたのが2000年のことです。その際にマスター・ディスティラーとして招聘されたのが、一介の樽職人見習いからブレンダーを経てボウモア蒸溜所長にまで上り詰めた『伝説』のジム・マッキュワン氏です。

蒸留所を再稼働させるにあたり、ジム・マッキュワン氏が白羽の矢を立てたのが、かのダンカンさんでした。ダンカンさんも、もう一度ブルックラディでウイスキー造りができると知った時、喜び勇んでアイラに戻ったそうです。ただ、6年ぶりの蒸留所は潮風によって朽ち果てかけており、そして限られた修繕予算を聞いて、とんでもない仕事を引き受けてしまったと思ったとか……

そこでダンカンさんを中心に総出で工事にあたり、再稼働したのが2001年です。なお、初めて蒸留したのは、ブルックラディ・スタイルのノンピート麦芽ではなく、ポートエレン製麦所の40ppmヘビーピーテッド麦芽を使用したウイスキーです。

現在は2012年に行われた友好的買収により、仏レミーコアントロー社の傘下となっていますが、後述のウイスキー造りのこだわりは継承、そしてより進化していきます。その際、コフリン氏は蒸留所に残り、現在レミーコアントロー社ウイスキー部門の責任者となってブルックラディのウイスキー造りをさらに進化させています。一方、レイニエ氏はブルックラディ蒸溜所を去り、2016年にアイルランドでウォーターフォード蒸溜所を立ち上げています。

ブルックラディ蒸留所外観

ブルックラディのこだわり テロワール

アイラウイスキーの定義は、アイラで蒸留すること以外に特に大きな縛りはなく、そのため大麦の産地、水、熟成場所、ボトリング等は本土でも可となっています。しかしブルックラディでは、“What makes an Islay Whisky?(何がアイラウイスキーを造り出すのか?)”という命題のもと、できる限りアイラ産にこだわっています。レイニエ氏とコフリン氏の二人のバックグラウンドであるワイン同様にテロワールの概念をとりいれ、アイラ島の農家に大麦の生育を依頼してまわりました。

アイラは過酷な潮風や島に住む鳥たちにより、大麦の生育が難しい環境です。スコットランド本土では1エイカーあたり2~3t収穫できるのに対し、アイラ島では1~2tしかとれません。そのため、農家から大麦の栽培について難色を示されましたが、彼らが少量作っていた大麦を蒸留し、実際にできたニューメイクを飲んでもらうことでテロワールについて体感してもらいながら、少しずつ説得していきました。その結果、今ではアイラ島だけで19箇所の大麦契約栽培を行い、半数近くをアイラ島産(残りはスコットランド産)の大麦でウイスキーを造っています。また、ザ・クラシック・ラディはどこの原酒を使って造っているかも分かるようになっており、テロワールを重視する姿勢が伝わってきます。

麦畑

ブルックラディのこだわり 使用する樽

レイニエ氏とコフリン氏によって確立されたもう一つの大きな特徴が樽使いです。

蒸留所買収時に引き取った樽の中には長期熟成されたものがあったものの、ブレンデッド用目的ということもあって長期熟成による良さが十分に発揮されていなかったそうです。そこでレイニエ氏とコフリン氏は、ワイン商として培ったネットワークによって様々なワイン・酒精強化ワイン・ブランデーなどの樽を確保し、それら原酒を詰め替えました。

マッキュワン氏にとっても、ワイン樽へのリカスクは初めての試みでしたが、移し替えて熟成させた原酒を飲んだ時に、これはイケる! と思ったそうです。その後、様々なフィニッシュをかけたリリースを出していきます。ある著名なウイスキー評論家が、なぜそんなにリリースするのかをレイニエ氏とコフリン氏達に質問したところ……

『できるからさ。そして何より自分達は楽しんでいるからさ!』

その遊び心は時を経ることで、より革新的になっています。

熟成庫

ブルックラディのこだわり 3種類のウイスキー

ブルックラディ蒸溜所では60年代からノンピート麦芽をメインとしていますが、『アイラらしくない』と言われたことを受け、『世界一スモーキーなウイスキーを造る』というチャレンジを行っています。ポートエレン製麦所ではスモールバッチでの麦の製麦ができなかったことから、スコットランド本土のベアード社と契約し、通常のピーテッド麦芽より4倍長い約80時間低温で燻す特殊な手法で大麦麦芽を仕込んでいます。その結果、驚異的な80ppm以上(これまでの最大値は309ppm)の大麦麦芽を造ることができました。

それらの大麦麦芽を使って2002年に蒸留したウイスキーが、蒸留所の水源がある農場から命名されたオクトモアです。そしてノンピート麦芽とオクトモア用麦芽を混ぜて40ppmに調整したのが、近くの村にかつてあった蒸留所から命名されたポートシャーロットです。

ブルックラディのこだわり アイラに住む人達

2001年に蒸留所を復興させた際、職を求めてきた地元の若者を採用しました。そんな彼らをマッキュワン氏やダンカンさんが手塩にかけて育てていきます。2014年にダンカンさんが引退した時に製造部門マネージャーを引き継いだのは、マッキュワン氏が監督を務めた少年サッカークラブでプレーしていたアラン・ローガン氏でした。そして2015年にマッキュワン氏が蒸留所を去った時に引き継いだのが、本土の大学を経てアイラに戻り、ツアーガイドとして就職した現ヘッド・ディスティラーのアダム・ハネット氏です。なお、ローガン氏はディスティラリー・マネージャーを、ハネット氏はマスター・ディスティラーを名乗っていないのは、マッキュワン氏やダンカンさんに対する敬意だそうです。

今では、アイラ島のウイスキー蒸留所勤務者が約200名といわれる中、100人近くとアイラ島一の従業員数を誇ります。そんな彼らが、世界に対して自身の仕事に誇りをもってもらえるようにと、ポスターや蒸留所限定ボトルのラベルに従業員の写真を載せています。

そんな、彼らの誇りを表現したのが「#WEAREISLAY」のハッシュタグです。心を共にするブルックラディファンの方がSNSでアップされる際は、ぜひこのハッシュタグを使ってくださいとのことです。

WEAREISLAY

蒸留所見学

2013年に念願叶って初めて蒸留所で見学をさせて頂いた時、ガイドさんが蒸留所の歴史とともにご自身が経験した蒸留所の思い出を誇らしげに説明してくれました。蒸留所がいかに、スタッフの人生に根付いているかを知りました。

最初の見学行程は大麦の粉砕室です。使用しているモルトミルは、創業時から使われているボビー・ミル社製です。この様な古い設備もダンカンさんらが修理したことで、今でも現役で稼働しています。また粉砕室では3製品用の麦を試食させてくれます。大麦の甘さと、ピートレベルによって焚き火の灰の要素が増してきて、大きな違いがあると実感します。このピートレベルの違いを大麦の段階から楽しめるのは蒸留所見学ならではの経験です。

ミル

仕込みは1回あたり約7tの麦を使用し、今となっては旧式な糖化漕で糖化を行います。最新式のロイター式と異なり、レイキ式であるためとても時間がかかり、糖化の効率も良くないですが、その分穀物感溢れる懸濁麦汁が採取されます。4回の採取のうち、最初の2回が発酵に回され、残りは次の糖化の際の仕込み水として使われます。

糖化槽

発酵室においては、36,000ℓの麦汁をオレゴンパイン製の46,000ℓの木桶発酵槽(6基)に移し、二つ酵母(即効性・遅効性)を使って発酵させます。発酵具合を確認しながら判断するため、70~100時間と長い時間をかけて約8%の醪を造ります。

発酵槽

蒸留はストレート型で6mと背が高く、ラインアームの細い蒸留器(初留釜17,275ℓ/張込み量12,000ℓ・再留釜12,000ℓ/同7,200ℓ、各2基)で蒸留を行います。なお蒸留においては、Trickle(滴る)Distillation と称するほどゆっくり行い、蒸留初期からミドルカット(約76〜64%)を行います。そのおかげで、とても綺麗な酒質となります。なお、オクトモアに至ってはミドルカットをかなり短くし、本当に良いハートの部分のみを取り出しています。ピートのフレーバーが最も感じられつつも雑味が少なく、エレガントなのは首の長いスチルとこのミドルカットのためです。

蒸留器

それらのニューメイクを、復興当初の樽不足という事情から『水を熟成させるのは勿体ない』と一般的な63.5%での樽詰めではなく68.9%で詰めていたのを今でも踏襲しています。そして詰める樽も、今では一般的なバーボン樽が多くを占めています。シェリー樽もありますが、復興当初からの伝統である様々なワインやブランデーの樽でも熟成させており、原酒の多様性を確保しています。

このようにブルックラディ蒸溜所のウイスキー造りには、復興させたレイニエ氏、コフリン氏、マッキュワン氏、そしてダンカンさんの業績が引き継がれていることを見学して改めて実感しました。

“You are my Hero!”

蒸留所見学が終わると、ウイスキーの試飲です。ブルックラディの大麦と潮、ワイニーなニュアンスやポートシャーロットの綺麗なスモーク感を堪能できます。また、アイラ島のボタニカルで造られているザ・ボタニスト・ジンも試飲させて頂くことができました。そしてその時です。身長の高い老紳士が、私の前を通り過ぎました。何度も写真で見ていたため、間違える訳はないのですが、

「マクギブレーさんではないでしょうか?」

と声をかけさせて頂いたところ、ちょっと驚いた顔をされていました。

試飲カウンターにいたガイドさんが、『なぜダンカンさんのことを知っているのだろう?』と怪訝そうな顔をしているのを尻目に、本で読んだことなどいろいろな想いを語ってしまいました。とても気さくに応じて頂き、ボトルにサインを頂いたのは大切な思い出です。

2019年に蒸留所を再訪した際には、もうダンカンさんは引退されていましたが、多くのスタッフが楽しそうに蒸留所で働いていました。ダンカンさん達が復興させ、革新的なウイスキー造りを行ってきたDNAが確実に引き継がれているのを実感しました。
なお、惜しくもダンカンさんは2020年3月に亡くなられています。

2020年には、ヨーロッパのウイスキー&スピリッツ蒸留所として初のBコープ認証(ガバナンス、従業員、コミュニティ、環境、カスタマーの観点で「公益」の会社に与えられる認証)されています。そして2023年頃に向けて、自社で製麦をする設備(ベアード社サラディンボックス式の小型版)や麦の生育実験を行うための農地確保など、さらにアイラらしさを追求していくそうです。

そんなアイラで生きる人がアイラで造り、アイラから日本の我が家にやってくるウイスキーが美味しくない訳がありません。この記事を書き終えた今、改めてダンカンさんへの想いがこみ上げてきます。

“You are my Hero!”

本稿作成にあたり、レミー コアントロー ジャパン株式会社およびウイスキー愛好家である西村貴志氏に多大なるご協力を頂きました。この場を借りて、御礼申し上げます。

この記事を書いた人

Tatsuya Ishihara
Tatsuya Ishihara
サラリーマン業の傍ら、『なぜウィスキーが好きなのか?』という命題のもと、5大(+α)ウィスキー、テキーラ、ジン、焼酎等100箇所以上の蒸留所を見学。またその命題をみんなに問いかけた写真作品展「Why do you like Whisk(e)y?」を仲間とともに開催。
Tatsuya Ishihara
Tatsuya Ishihara
サラリーマン業の傍ら、『なぜウィスキーが好きなのか?』という命題のもと、5大(+α)ウィスキー、テキーラ、ジン、焼酎等100箇所以上の蒸留所を見学。またその命題をみんなに問いかけた写真作品展「Why do you like Whisk(e)y?」を仲間とともに開催。