その部屋には、いつも山崎12年が用意されていた。
首には勝手に私の名刺が掛かけられていて、「おかえり」と言っているようだった。そこに響、フィディック、マッカラン、ダルモアやシーバスミズナラなどが加わり、キュポン、という小気味のいい音を合図に、小さなパーティーが始まる。
他愛もない世間話に始まり、徐々に気分がよくなると、友人はギターを手にして、好き勝手弾き始める。私はそれに合わせて歌った。強いお酒をしこたま飲んでいるのに、不思議と声は枯れない。24時を過ぎても、疲れは感じなかった。
私はその瞬間の自分の歌声が、というよりも自分自身が、一番好きな自分だった。
午前3時を回るころ、彼は力尽きソファに寝転ぶ。私はもう暫くグラスに残った琥珀を味わい、弾けないギターを爪弾いたりして、ブランケットにくるまった。無音。妙に目が冴え、眠れはしない。でも、朝の空が白んでいく気配を感じる時間は、格別に愛おしかった。
3年ほど前の話、よくある男女の友情の終わり方。互いの人生のいくつかの岐路を経て、想い出になった日々である。
遡ると、ウイスキーとの出会いは震災の頃。いくつかの東北支援団体に顔をだしていた中、ある団体の代表が素晴らしいウイスキーコレクターで、「濃密な早期英才教育」を受けた。
残業で疲れた夜。言語化しきれない想いを抱えたとき。バーは自分の内面と向き合う時間をくれた。
それは決して寂しいものではなくて、「孤独とは時に贅沢で優しい過ごし方なのだ」と知った。
最近は、狭い部屋に常時20本以上のボトルが並ぶ。ボトラーズやレアカスクなんかも、少しずつ手を出すように。同年代の友人や同僚と、品評会の真似事をしたりも。定期的に通う「秘密のバー」もできた。職種や所属、年齢を超えた関係性は、仕事のみならず人生をも豊かにしてくれると感じている。
はじめは孤独の酒、いつかは淡い想い出の酒、そしていまや仲間の酒となったウイスキー。それは、心を溶かし、開かせてくれる掛け替えのない媒介だ。
一番美味しかったウイスキー?それはもちろん、手嶌葵を歌いながら舐めた、あの山崎12年。たぶん、これからも。