2020年2月末日、世に自粛ムードが滲みはじめていた頃。私は初めて、北千住のバー『HONESTY』のドアを開けた。
マスターの田頭さんは酒育の会設立当初からの顔見知り。いつかお伺いしたいと思いながら、2年以上経ってしまっていた。
緊張気味にそっと覗く。開店直後。私がひとり目だ。マスターは私を覚えているだろうか。
「あら、今日でしたか。」 驚きの見えない反応に、却ってほっとした。
ずらり並んだボトルを眺め、山崎とアランが好きなんです、オススメはありませんか、と投げかけた。マスターはてきぱきとボトルを探り始める。
私はこの、バーテンダーさんがモルトを探すときの横顔がたまらなく好き。
知識と感性をフルに動員してゲストを楽しませようという、バーテンダーとしての矜持、しかしその実、ひとりのひととしての意地に近いものを感じる。
あぁ、このカウンターに立てるひとはきっと、弛まぬ好奇心を持ち続けられるひとなんだろうなぁ。
しかしどんな渋いマスターも、ボトルに手をかける瞬間は、目の奥に少年の光を灯す気がする。見つけてやったぜ! という、少しいたずらな達成感を含んだ、無邪気なきらめき。その光が、特に好き。
そしてその好奇心のきらめきを灯した瞳とプライドの落ち着いた輝きを背負った佇まい(この表現がセクハラにならないことを願うが……笑)は、男女共にたまらなくセクシーだ。
一瞬のときめきを味わっているうちに差し出されたのは、シグナトリーのグレンバーギー21年。私がテイスティングノートに窮していると、ジガーを鼻にかざし、「ん~~。ちょっと和菓子感ありません? もちもち系のやつ」。
和菓子といえばね、私が初めて参加したテイスティング会で、あるモルトを桜餅って評した方がいらして。ウイスキーって自由だなあって……。話に勢いがつく。さすが、 “ネイバーフッド・バー”をコンセプトに掲げるマスター。万年初心者の私にも、決して気後れさせることなく、楽しませてくださるのであった。
都合4杯。グラスの底に残った香りまできっちりいただいてから、席を立った。
しまった、シェイカーも振っていただこうと思ってたのに。
まぁいいや、次の楽しみにしよ。
ふふ、とひとり夜風に笑う。頬があたたかく柔らかくなっていたのは、アルコールだけじゃなかったろう。
《不要不急の外出は避けましょう》《大勢のひとが集まる場所には行かないで》
そんなときでも、愛すべき文化は存続していてほしい……。ひとり、こっそり不要不急の贅沢をしてみた夜は、幸せな夜だった。
この筆を置くまでの期間にも、状況は刻一刻と変わっている。このコラムが読まれる時、世の中はどうなっているだろうか。「こんな時もあったねえ」と思える日が一日も早く訪れることを、願わずにはいられない。