Tasting Vocabulary 101
砂糖
日本で砂糖と言えば上白糖か三温糖が一般的。
ウィスキーに甘みを感じとっても、「砂糖」の表現にはあまりピンとこないかも。
それはこれらが高度に精製され、香りがほとんど存在しないからだ。
いわば工業製品。
一方、大英帝国に莫大な富をもたらした砂糖は植民地産業の象徴としてイギリス人の「記憶」に未だ息づいている。
その昔、インド洋からイギリスに送られたのは砕いたサトウキビを煮詰めただけのいわば糖蜜だった。あるものはそのままラムやジンの原材料となり、あるものはロンドンやグラスゴーでようやく粗糖と廃蜜に分離されて世に出回った。粗糖に濾過を繰り返した白い精製糖はまだまだ先の話。これが現在もイギリスではデメララ糖やモスコバド糖などの含蜜糖や廃蜜であるモラサスが一般的な理由。
日本で言えばデメララは赤ザラメ、モスコバドは黒糖、そしてモラサスは糖蜜。これらをぜひ味わって、スコッチで表現されるサトウキビの奥深い薫りを覚えて欲しい。
High Gravity
LHBS
現在、様々なホップが世に存在する。
あるものは苦味の抽出を主体としたもの、あるものは南国系フルーツを思い起こさせるもの。ラッキーなことにアメリカではそのほとんどが個人でも容易に入手可能だ。でもホームブリューイングのスピリッツにたち返れば、ホップも自分で栽培したいもの。
実際、ホップの栽培は比較的簡単だが、年に一回のイベントと言っていい。アメリカでは4月中旬ぐらいになると栽培用ホップの予約が始まり、5月頃に発送されるというのが一般的。届くのは人差し指大の枝のようなもの。土まみれなのはこれがリゾームと呼ばれる根茎だからだ。つまりホップは種ではなく、株分けによってそのクローンを増やしているわけだ。
これを土中10cm程度に埋めれば数日で新しい茎と葉が出てくる。重要なのは日照時間。6〜8時間は欲しいところ。うまく行けば一日で数センチ、場合によっては10センチ以上という勢いで伸びてくる。ツル植物なので背の高い支柱が欲しいところ。一年目はさほど収穫がないが、2年目以降は結構な量のフレッシュホップが手に入れられるはずだ。
時代の証人
George Washington
アメリカ大統領と酒の結びつきはなかなか強く、そして興味深い。
現在のクラフトビールの種を蒔いたジミー・カーター、禁酒法阻止に失敗し米国のアルコール文化を破滅に追い込んだウッドロー・ウィルソン、ウィスキーに法的定義を求め現代の北米ウィスキーの基礎を作ったウィリアム・タフト。しかしなんと言っても面白いのはアメリカ初代大統領ジョージ・ワシントンだろう。独立戦争の戦費返済のためのウィスキー課税に農民は反旗を翻し、結果的に軍事的抵抗に。鎮圧に動員した兵士の数は独立戦争とほぼ同数に及んだ。これがウィスキー叛乱だ。この出来事はやがて現在のケンタッキー州でのバーボン・ウィスキー勃興の引き金となる。
しかし、ワシントンと酒の最大の結びつきは実は彼が全米最大のウィスキー蒸溜業者だったという点だ。D.C.にほど近いヴァージニア州マウントヴァーノンの農園経営者だったワシントンは大統領退任直後の1797年、農園の縮小を兼ねて当時商業化が進みつつあった蒸留業に乗り出す。
当時、同州には五千近い蒸溜者がいたとされるが、多くは単なる農家の副業だった。蒸溜酒は穀物そのものや醸造酒に比べ保存や移動が容易で、なにより高い付加価値をつけることができた。彼らにとって蒸溜とは年一回・一ヶ月程度の季節行事であり、必要な蒸溜器も小ぶりで、二個もあれば十分だった。それに比べ、ワシントンが使用した蒸溜器のサイズは約三倍、数も五器、総容量は2,340リットルと群を抜いて大規模だった。しかも稼働期間は通年。蒸溜開始からニ年後の1799年には四万リットル以上を生産し、現代の額で1200万円以上の価値を生み出したという。これは平均的な蒸溜業者の十五倍以上にもなる額だ。
皮肉なのはこれらの数字。なぜ200年以上も前の一蒸溜業者のデータが詳細に残っているかと言えば、そもそも件のウィスキー課税のおかげ。徴税に必要な情報としてこれらが集められ、きちんと保管されていたからに他ならない。しかし評判の悪かったこの税法は1803年には撤廃されてしまう。