現代的absintheを体系付け、いまもabsintheが地域住民に根付いてる文化圏がある。
時は1798年、初のabsinthe企業が産声をあげる。デュビェ公爵により、『Dubied pere et Fils』蒸留所が建立されたのだ。そこはフランスとの国境線にある、スイス ヌーシャテル州ヴァル=ド=トラヴェール 地方だ。この地域に自生するabsintheの主原料ともなるWormwood(ニガヨモギ)を使った地域伝統の薬草酒と、南方からの文化であるアニス、フェンネルが交差して出来上がったのが今の『現代的absinthe』の始まりだ。
そしてデュビェ公爵の娘婿として招き入れられたのが、酒類総合メーカーとして世界第二位に君臨する現ペルノ・リカール社の創始者アンリ・ルイ・ペルノだ。1805年、彼はデュビェ公爵と仲違いをし、スイスの『Dubied pere et Fils』蒸留所を去り、フランスのポンタルリエの地で『Pernod et Fils』蒸留所を建立し、後のabsinthe隆盛期の立役者になる。日本のウィスキー業界の立役者である鳥井信治郎と竹鶴政孝の世界観が、ここスイス ヴァル=ド=トラヴェール 地方にもあったのだ。私は毎年この地に赴く。
absintheは1900年代初頭から2000年代初頭の100年間、当時のワイン業者、禁酒団体の謀略により製造を禁止された。スイス国内においても1910年~2005年まで法律で製造を禁止される。しかし、absinthe発祥の地ヴァル=ド=トラヴェール 地方では禁制中も、脈々とabsintheは作り続けられていた。
基本的なabsintheは淡い緑色なのに対し、この地域のabsintheは無色透明である。これは禁制中に緑色であるとabsintheだとバレてしまう為で、absintheの仕上げ工程である緑色系ハーブ(小ニガヨモギ、ヒソップ、レモンバーム、ミント等)を浸け込まないのだ。
この無色透明のabsintheが、時を経てこの地域の伝統的absintheのスタイルとなった。そう、長年に渡り密造が脈々と受け継がれていた2005年、スイス国内においてabsinthe解禁後、ヴァル=ド=トラヴェール 地方の地元住民はこぞってライセンスを取得した。
皆が皆、100ℓ~200ℓの小型蒸留機で小規模でabsintheを作り出す。彼らはプライドが高い。absinthe発祥がスイスならば、absintheを発展させたのはフランスだ。フランスのabsintheの蒸留所は比較的大きな規模で商業的な部分もある。それに対して彼らは『あんなのはアルチザンではない』と言う。本当のアルチザンは小規模で作るものであると彼らは自負していて、フランス側に対して対抗心があるようだ。そんなのは日本人の僕にとっては関係ないが……。
昨年、同地に赴いた時に訪問したherboriste蒸留所のピエールさんという方がいる。彼は大学の先生をしながら、absintheを密造していた。そして定年で退職し、2014年にライセンスを取得し、正式にabsintheを作り出した。御年68歳だ。今まで頑張ったから引退後はゆっくりabsintheを作りながら余生を過ごすんだと語った。日本人で言えば蕎麦好きが高じて脱サラして蕎麦屋を始める感覚である。ここのabsintheはスイス国内しか出回らない。彼の所には定期的に海外からインポーターが訪れ、輸出の話しを持ちかけられるが断っているらしい。
私が通訳を通じて『もったいなくないですか?』と聞くと、『別に金持ちになりたいわけじゃないから』と答えた。
彼らの言うところのアルチザンの意味がわかった。