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カクテル・ヒストリア第1回『著者印税ゼロだった名著』

クラシック・カクテルの歴史について調べ続けて四半世紀以上になる。「カクテルについての連載を」と紙幅を与えられたが、短い連載で書けることは限られる。あれこれ考えた末、まずは、あるバーテンダーのことを取り上げたい。

1876年8月29日、英国で一人の男児が誕生する。父は仕立て職人、母は織物職人だった。14歳で働き始めた彼は、新大陸への移民ブームに刺激され、1897年、21歳で大西洋を渡った。

そして、ニューヨークやシカゴの有名ホテルでバーテンダーとして頭角を現したが、そんな彼を見舞った悲劇が禁酒法(1920~33)だった。「米国に居場所はない」と考えた彼は1920年、44歳にして再び英国へ戻り、ロンドンのサヴォイ・ホテルで仕事を得る。

その10年後、歴史に残る名著を世に送り出す。『サヴォイ・カクテルブック(The Savoy Cocktail Book)』。彼の名はハリー・クラドック(Harry Craddock)。本は現在でも「バーテンダーのバイブル」と称されるが、彼が本の印税を一切受け取らなかったことは、ほとんど知られていない。

サヴォイを63歳で退職後、クラドックはさらに2つのホテルでバーを立ち上げ、80歳近くまで現役を貫いた。1963年、87歳で死去。その訃報は新聞でも報じられた。それから半世紀余。クラドックはサヴォイのHPでも歴代チーフバーテンダーの一人として名をとどめる程度で、その埋葬場所も不明だった。

しかし2013年、「クラドックの墓が確認された」というニュースが突然届いた。サヴォイ・ホテルの関係者らが墓前に集まり、「没後50年記念の集い」を開催した。ホワイトレディなど数々のカクテルを考案したクラドック。その彼のカクテル文化への貢献が、ようやく公式に認められた瞬間でもあった。 技巧を凝らした派手なカクテルが日々誕生している現代。しかしクラドックのような先人の努力と貢献、言い換えれば「過去の積み重ね」があって、今のカクテル文化の繁栄がある。そのことを、常に忘れずにいたいと思う。

この記事を書いた人

荒川 英二
荒川 英二https://plaza.rakuten.co.jp/pianobarez/
1954年生まれ。大阪・北新地のバーUK・オーナーバーテンダー、バー・エッセイスト。新聞社在職中から全国のバーを巡りながら、2004年以来、バー文化について自身のブログで発信。クラシック・カクテルの研究もライフワークとしてきた。2014年 の定年退職と同時に、長年の夢であった自らのバーをオープン。切り絵作家の故・成田一徹氏没後に出版されたバー切り絵作品集『NARITA ITTETSU to the BAR』では編者をつとめた。
荒川 英二
荒川 英二https://plaza.rakuten.co.jp/pianobarez/
1954年生まれ。大阪・北新地のバーUK・オーナーバーテンダー、バー・エッセイスト。新聞社在職中から全国のバーを巡りながら、2004年以来、バー文化について自身のブログで発信。クラシック・カクテルの研究もライフワークとしてきた。2014年 の定年退職と同時に、長年の夢であった自らのバーをオープン。切り絵作家の故・成田一徹氏没後に出版されたバー切り絵作品集『NARITA ITTETSU to the BAR』では編者をつとめた。