科学は錬金術から生まれ、生化学は発酵と主に育ったと言われています。
19世紀後半から20世紀前半にかけて、生化学では発酵に関する多くの発見や業績がありました。また、18世紀から19世紀にかけての産業革命は、ビール産業に数多くのテクニカル ブレイクスルーをもたらし、それ以前とその後では全く違う飲み物と言っていいほどになりました。実際、現在世界で生産される全てのビールはどんなに小規模な醸造であっても18世紀以降のテクノロージー無しでは造る事が出来ません。
そしてパッケージングのテクノロジーに関しても19世紀末、革新的な発明がなされます。炭酸飲料の瓶詰は1880年代から一般的になっていましたが、当初、ビール瓶の栓の主流はコルクでした。
1891年アメリカ、メリーランド州ボルチモアの発明家ウィリアム ペインターによって「Crown cork(クラウンコルク)」(日本ではクラウンを直訳して「王冠」)が発明されます。これはガラス瓶をコルクの円盤をつけた金属でふたをするという画期的なアイデアで、瓶詰めビールの量産にとって非常に重要なテクノロジーとなります。
1892年2月2日ペインターは「Crown cork」の特許を取得。1894年2月6日には「Bottle Cap Lifter」つまり「栓抜き」の特許を取得します。缶切りの発明が缶詰の発明から50年近くかかった事にくらべれば、王冠は発明当初から完成度の高いシステムだったと言えます。
ペインターは「Crown Cork and Seal Company」という会社を創設、王冠普及のため、ビール瓶の口のサイズ、形状の統一化を進めてゆきます。今では、世界中のどこのビール瓶でも王冠で栓をするビール瓶の口の大きさは、知る限り2種類しかありません。この会社は、いまでも王冠をはじめ、飲料缶、缶詰、スプレー缶など、いろいろなパッケージ製品を生産する業界大手です。
日本での最初の採用は1900年で東京麦酒(東京麹町の桜田麦酒を引き継いだ保土ケ谷の醸造所、後に大日本麦酒が買収)が輸入王冠を使用し始めます。国産王冠は1908年に製造が開始され、大日本麦酒(大阪の旭ビール、札幌ビール、東京の恵比寿ビールが合併した巨大会社でその後アサヒとサッポロ(ヱビス)に分かれる)で採用されます。
発明当初と今の王冠の違いは、ギザギザの数が24から21に減った事とライナーと呼ばれるシール剤の材質です。最初はコルクの円盤でしたが、1910年代に細かいコルクを固めたものになり、1960年代以降プラスチックになります。
現在では脱酸素剤が入った物もあり、瓶内にわずかに残った酸素や、外から侵入する酸素を捕まえるようになっています。