日本に何度も足を運んだ事があるという宿泊客が、当店の新人君に、
「日本のバーテンダーは本当に凄いんだ!」
「アイスピックを器用に使って丸い氷を作ったり出来るんだ!」
「それだけじゃない……」と熱く語った。
その時、新人君は「タツヤもできるのか?」と訊いてきた。僕は「当たり前、ちなみに朝飯前やし」というと新人君は「じゃ~、なんで教えてくれないんだ」と言い寄ってきた。
僕は「修行」とか「見習い」という響きがなぜか好きだ。僕は新人君に「もし一流の寿司職人になりたくて、それなりの店で働き始めたら最初の一年は寿司なんか握らしてくれへんで!」と言い、そして「日本のバーもまぁ~同じ様なもんやし!」と付け足した。彼は腑に落ちない表情で「寿司を習いに行って、寿司を握らしてくれないなんて馬鹿げている」とコメントした。解らなくもない。
「修行」を英訳すると「Training」や「Practice」 となり(ちなみにPracticeは何回も同じ事を繰り返す練習を意味する)、「見習い」なら「Apprentice」となる。間違ってはいないのだが僕が思う意味合いとは少し違う気がする。漢字で表すこの重みはアルファベットで示すそれとは僕の中では大きく違うのだ。特に「見習い」は字のとおり「見て習う」事で「Apprentice」とはニュアンスが全く別物の様な気がする。今回は世代の違いと文化の違い、もしくはただ個人的な考え方の違いなのかと考えこんでしまった。もはや僕の新人教育もここまでかと思った時だ。テレビで80年代の名作?!「ベスト・キッド」を目にした。ミスター・ミヤギがダニエルに「ワックスオン、ワックスオフ」と言うのを見て「アメリカ人にだってこういう感性があるじゃないか、地道にやるか!」と心の中が一瞬にして晴れ気分に変わった僕であった。