ウイスキーに親しみを感じるようになったのは、いつごろからだろう。
最初の記憶は、おじいちゃんの家の応接間である。
昭和生まれの子どもにとってウィスキーは「ハイカラな舶来もの」の象徴であった。小さな医院を開業していたおじいちゃんの家に行くと、応接間のキャビネットにうやうやしく飾られていた。丸っこいのや、しゅっとしたのや、しゃれた陶器の壺なんかもあって、まるで美術品のようだった。もっとも、興味を抱く以前に、子どもは触ることさえ許されなかったのだが。
「サザエさん」でも、洋行帰りのお土産はきまって「ジョニ黒」だった。無断で飲むとばれるように、飲んだところにマジックで印をつけておく人もいたのだ。
「ウィスキーの語源はウシュクベーハ、生命の水という意味なんだぞ」
そう教えてくれたのは父だった。推理小説が好きで、コナン・ドイルの故郷であるスコットランドにあこがれ、その延長でウィスキーについても詳しかった。
生命の水ねえ。飲めば寿命が延びるってことかしら。酔っ払いの方便でしょう。そんなふうに思っていた私も大人になり、ウィスキーに親しむようになった。
この春、父が旅立った。納棺のとき「お父様が好きだったお酒はありますか」と尋ねられた。父の部屋に、3分の1ほど飲んだアイラモルトがあった。
「これでお口をぬらしてあげてはいかがですか」
もう二度と動くことはない父の唇に、家族が一人ずつ、花びらに乗せたモルトを泣きながら垂らした。
火葬前にもう一度、顔に触れる機会があった。棺のふたを開けた途端、スコッチの香気が立ち上り、控え室を満たした。
生命の水。長い旅に出る父が私たちに遺した、最後のメッセージだった。