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蒸溜所を通して見る世界:DSP-KY-50に込められた一族の想い・ケンタッキー・ピアレス蒸留所

ケンタッキー州の中心地ルイビルにある、バーボンの初リリースで話題になっているケンタッキー・ピアレス蒸留所へ行ってきました。この蒸留所の目印といえば、壁に大きく書かれている”DSP-KY-50”です。

蒸留所外観

アメリカでは蒸留所設立の際に、Distilled Spirits Plant Noという番号が割り振られます。DSP-KY-1がヘブンヒル、世界一の販売量を誇るジム・ビームは230、そして新興のクラフト蒸留所は2万番台となっています。その中で、2015年設立にも関わらず-50を掲げているのがピアレス蒸留所です。そのレガシーについて、蒸留所のオーナーであるコーキー・テイラー氏の説明からツアーが始まりました。

蒸留機

オーナーの曾祖父であるヘンリー・クレーバー氏はポーランド移民で、1878年19歳の時にニューヨークからリバーボートで西に向かい、旅費が尽きたところがケンタッキー州ヘンダーソン郡。クレーバー氏はそこで銀行業、煙草会社等で成り上がり、1897年に譲渡されたのが、DSP-KY-50登録で1881年創業のヘンダーソン蒸留所でした。クレーバー氏は、国勢調査の際に、『蒸留業』と回答するほどウィスキーに入れ込んで最新設備を導入し、当初は年間製造量が300丁程度でしたが、1913年には年間1万丁を超えました。また、ノベルティを活用するマーケティングも相まって、1907年に改名した蒸留所名の通り、”Peerless”(無比)となっていきます。しかし、1919年禁酒法制定時には、チャンスをくれた祖国への想いからか、法令を遵守して生産停止しました(残った原酒は、品質ゆえに禁酒法時の『薬品』に)。クレーバー氏は1938年に逝去し、子供達は軍人等として血脈を残します(第二次世界大戦の名将パットン将軍の副官を輩出)。

4世代目となる現オーナー、コーキー・テイラー氏は『蒸留業』が祖業だったと知り、息子とともに蒸留所を再び開くことを決意します。60代半ばでの決心です。最初に行ったのが、レガシーともいうべきDSP-KY-50を再び掲げることであり、政府を1年半かけて説得し、特例として認められました。また曾祖父に倣い、無比の存在となるべく行ったのがスウィート・マッシュ製法です。

一般的なサワー・マッシュ製法では、蒸留時の残留液を次の醪に一部を混ぜることでpH値を酸性寄りにして、雑菌の抑制と酵母の活性化、味の一貫性を図ります。しかし、蒸留時に酸味が濃縮されるため蒸留度数を高くする必要があり、かつ樽詰め時に多くの加水が必要となります。一方のスウィート・マッシュ製法は、雑菌等の管理は難しいものの、低めでの蒸留が可能であり、かつ加水量も抑えられるため、原料の風味をより活かせる製法です。この製法を可能にしたのが、曾祖父に倣って導入した最新設備です。

ツアーの最後に、スモールバッチのバーボンとライ、蒸留所限定シングルバレルのライ2種のテイスティングがあります。当然若さはあるものの、酸味は穏やかで、現時点でも十分に濃厚なフルーツ感があり、将来性に溢れていると思いました。なお、スモールバッチのライはすでに名だたる賞を受賞しており、バーボンも発売後即完売となる等、再び無比の存在になりつつあります。

そんなプレミアム化必須の最初の樽は、KYP-DSP-50を無比の存在として育んだ、天使ならぬ曾祖父への分け前として大切に保管しています。

曾祖父への敬意と愛に心打たれます。アメリカの歴史と世界観、そして一族の想いを垣間見ることができるこの蒸留所は、まさしく”Peerless”でした。

この記事を書いた人

Tatsuya Ishihara
Tatsuya Ishihara
サラリーマン業の傍ら、『なぜウィスキーが好きなのか?』という命題のもと、5大(+α)ウィスキー、テキーラ、ジン、焼酎等100箇所以上の蒸留所を見学。またその命題をみんなに問いかけた写真作品展「Why do you like Whisk(e)y?」を仲間とともに開催。
Tatsuya Ishihara
Tatsuya Ishihara
サラリーマン業の傍ら、『なぜウィスキーが好きなのか?』という命題のもと、5大(+α)ウィスキー、テキーラ、ジン、焼酎等100箇所以上の蒸留所を見学。またその命題をみんなに問いかけた写真作品展「Why do you like Whisk(e)y?」を仲間とともに開催。