
『Beer Street』と『Gin Lane』とタイトルだけ言われてピンとくる人は少ないかもしれないが、版画そのものは一度目にしたことがあるのではないだろうか。
英国風刺版画家の父
日本では「ビール通り」と「ジン横丁」といった訳が当てられているが、英国風刺版画家の父と呼ばれたウィリアム・ホガースの作品だ。日本でも中野京子氏のベストセラー「怖い絵」シリーズをベースにした同名の展示会が数年前に開かれ、ホガースのこれらの作品が出展されたことでも有名になった。
ロンドンの東部地区であるイースト・エンドを描いたとされるこの作品は、Beer Streetが朗らかで建設的とも言えるような街の様子を描いているのとは対照的に、Gin Laneがおどろおどろしく退廃的な街の様子を描写しており、見る者の興味を惹きつける。
二つの作品を個々に愉しむのも良いかもしれないが、やはり同時に見比べあってこそホガースらしい強烈な風刺が際立つだろう。1750年から1751年にかけて発表されたこの一対の作品は、当時ロンドンの貧困街を中心に人為的な疫病とも言われた「Gin Craze」に対するホガース流の警鐘だった。
「Gin Craze」は日本語に訳せば「ジン流行」といったところだろうが、社会に対するインパクトを鑑みればむしろ「ジン禍」と呼ぶのがふさわしい。
ジンの原型
17世紀、イングランドに流通する蒸留酒といえばフランス産のブランデーが一般的。産業革命以前の英国は国内経済が盤石ではなかったため、国内で生産できる大麦ベースの蒸留酒(現在のウィスキーよりもむしろ、大麦を原材料とした「焼酎」のようなもの)を奨励し、ひいては大麦自体の生産量向上を意図して、輸入酒であるブランデーやワインに対して高い関税を課しており、所得が低い庶民としては容易に手にすることが出来なかった。
一方、大麦ベースのスピリッツはブランデーと比べると格段に品質が劣っており、およそ「嗜む」といった類とは程遠かった。ところが、これにハーブ等を用いて薫りや味わいを補った蒸留酒「Geneverジュネヴァ」がオランダからもたらされると、その手頃さと飲みやすさから瞬く間に庶民に普及していった。
これがジンの原型だ。そもそも大麦ベースの蒸留酒はブランデーとは比べ物にならないほど刺激が強く荒々しかったが、ジンの登場により更に粗悪な製品であってもジンにしてしまえばわからなくなってしまうため、以前にもまして質よりも利益を追い求める悪徳蒸留業者が増え、低価格・低品質のジンが市場に出回ることになった。
これは米国で粗悪バーボンを集めて再蒸留の上、再販する”Rectifier”と呼ばれた蒸留業者の隆盛とほとんど同じ構図だ。 同じ大麦由来の酒でも幅広い階級で嗜まれ、政府も比較的高い税を課すことができたエール業界とは対象的だった。
このことは更にジンが低所得者向けの酒という位置づけを強めてしまう。結果的に貧困層を中心にジンによる社会問題がまさに疫病のように広がりをみせることになる。
困った政府は1735年、いわゆる「ジン法」と呼ばれる法律を導入して、ジンの小売に対する課税を通してジンの消費を抑制しようと試みたが、ジンの関連業者はあらゆる法の抜け道や脱法・違法行為を駆使してほとんど同法を骨抜にしてしまう。
『 Gin Lane』に見る阿鼻叫喚の光景
そんな世相を憂いたホガースが描いたのが『Beer Street』と『Gin Lane』なのだ。『 Gin Lane』にはまさに阿鼻叫喚と言える光景が広がっている。

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詳しい説明は他に譲るが、中央には手すりから転げ落ちる乳児を尻目に、嗅ぎたばこに手をのばす梅毒患者の女性が描かれ、その脇にはすでに死んだと思われる骨と皮ばかりの男性が、ジン反対のビラが入ったバスケットを持っている。
奥に目をやれば子供をやりに突き刺し、フイゴで自分の頭を叩いて歩く男性や、赤子に手に入れたばかりのジンを含ませようとする女性。身なりを気にしなくなった街で職を失って首をくくった理髪師、犬と骨を奪い合う男性などが描かれている。
活況を呈する職といえば質屋と葬儀屋、そしてジン販売商だけというあり様だ。
一方の『Beer Street』では恰幅の良い人々が笑顔で描かれている。一方、この街の質屋は商売が芳しくないらしく、質屋を示す看板は傾き建物はボロボロという状況だ。
Beer Streetでジンの広告看板を描く
ホガースらしい皮肉として、左端で看板を描く画家がある。その衣服は痛み放題で他の人物とはおよそ似つかわしくないが、描こうとしている内容をよく見るとそれ蒸留器がだというのがわかる。つまり彼はBeer Streetでジンの広告看板を描いているわけだ。
当時の世相を表す記述は少なくないが、やはり百聞は一見にしかず。ホガースが残したこれら一対の版画は当時の世相を何よりも強烈に伝えてくれる。
それを見る我々がなにやら不思議な感覚に襲われるのが、これらの対比が決して当時特有のものではなく、現代にも当てはまる普遍的なものだからかもしれない。