2019年6月、若鶴酒造の三郎丸蒸留所において世界初の鋳造による蒸留器の除幕式が行われました。
そこで
『500年以上あるウィスキーの歴史の中で、なぜ三郎丸蒸留所だけがこのアイディアを思い浮かぶことができたのだろう?』
という疑問が思い浮かび、居ても立っても居られず、翌月7月に蒸留所へ見学に行きました。
銅器製造の中心地である高岡の歴史
見学に先立ち、蒸留所のある富山県、そして銅器製造の中心地である高岡の歴史を知るべく郷土資料館へ向かいました。
高岡銅器は1609年、加賀藩二代目藩主である前田利長が高岡城築城の際に、関ヶ原合戦後に残る緊張感ゆえの城の防御と産業振興のため、1611年に礪波郡西部金屋村(現・高岡市戸出西金屋)から7人の鋳造師を招聘したことにより始まります。
当初は日用品や農具の製造が主体でしたが、生活・文化が向上した江戸中期には仏具を、明治期の廃刀令の際には工芸品を、大戦時にはアルミニウム製品を、と時代にあわせて技術を活かしてきました。現在は、1976年に鋳造師7人の生地に設立された銅器団地に移転しており、全国の銅器95%を占める生産量を誇ります。
歴史を学んでから街を歩くと、高岡大仏の近くには豪華絢爛な仏具を販売する店が並び、普通の民家にも立派な銅器が飾られているのが目に入ってきます。そのような街で、若鶴酒造の5代目で三郎丸蒸留所のウィスキー製造の責任者である稲垣貴彦氏が育ったと知りました。
世界初の蒸留器とのご対面
蒸留所をご案内頂くと、祖業の日本酒の設備を流用した発酵槽や手作りのラック等、クラフト蒸留所らしい工夫が見受けられます。しかし、蒸留所の看板や最新鋭のマッシュタンの表面に銅板を使用するなど随所に高岡銅器のこだわりが見え、木造の建物と相まって和の風格を醸し出しています。
そして、世界初の蒸留器とのご対面です。
蒸留器の落ち着いた色合い、そして老子製作所の屋号である『次右衛門』からとった”ZEMON”と銘打たれたマンホールはもはや芸術品です。
また従来の蒸留器と異なり、古来より酒をまろやかにするという錫を一部使用した銅合金で製造されており、これは日本酒の蔵元ならではの発想だと思いました。その蒸留器から作られたニューポットは、蒸留所伝統のヘビリーピーテッドであるにも関わらず優しく懐の深い味わいで、そのクオリティの高さに驚愕せずにはいられませんでした。
梵鐘製造日本一の老子製作所へ
興奮冷めやらぬまま、稲垣氏の取り計らいにより老子製作所へ。
老子製作所は高岡銅器を起こした鋳造師7人のうちの1人の高弟によって創業され、梵鐘製造において日本一の実績を誇ります。また、毎年8月6日に広島平和記念公園での黙祷とともに鳴らす平和の鐘を製造したことでも有名です。
見学時には、様々な宗派の梵鐘や高僧の像の製造をしていました。また、外には自社で製造したカリヨンや自由の女神が飾られており、老子製作所の技術力だけでなく柔軟な発想も見てとれました。稲垣氏も、その技術力のために前代未聞の蒸留器製造の相談をしたとのことです。
そうして、世界初の鋳造蒸留器を製造した、同社の取締役製造部長の老子祥平氏は稲垣氏とともに、権威あるThe Whisky Magazineの表紙を飾るという栄誉に浴されています。
なぜこのアイディアを思い浮かぶことができたのだろう?
見学の最後、稲垣氏に最初に思い浮かんだ質問をしてみました。
そうしたら稲垣氏からは逆に
「なぜ誰も蒸留器を鋳造でつくらないのか」
とのこと。
世界初の鋳造蒸留器は、高岡のDNAと匠のなせる業なのかもしれません。