ケンタッキー州で予定していた最後の蒸留所見学を終えた後、たまたま1時間ほどの距離にあるライムストーン・ブランチ蒸溜所にてクラフトディスティラリーのイベントが開催されているのを知りました。
営業時間ギリギリでしたがダメ元で向かったところ、他の蒸留所の出店者はすでに撤収していましたが、ライムストーン・ブランチ蒸溜所のメンバーが飲みながら片付け中でした。日本のお土産を片手に訪問すると、ありがたいことに温かく迎えいれてくださり、マンツーマンの蒸留所見学に加え、ある蒸留一族の末裔をご紹介頂きました。
蒸留家一族・ビーム家とダント家の血脈
ご紹介頂いたのは、ライムストーン・ブランチ蒸溜所の社長であるスティーブ・ビーム氏です。かの苗字から皆様が連想されるのは、バーボン販売量世界一のジム・ビームですが、先祖を辿ると同じドイツ移民であるジェイコブ・ボーム(のちにビームに改名)に行き着きます。スティーブ氏の父方の祖先である初代ジェイコブ・ビームには多くの子や孫がいる中で、3人の孫(3代目)が蒸留業を継承しました。その3人の子孫が関わったことのある蒸留所を一部列記しますと、以下の通りとなります。
【長男系の子孫】
・オールドクロウ
・オールドグランドダッド
・バートン
・ステッツェル
・ヘブンヒル
・フォアローゼス
・メーカーズ・マーク
【末子系の子孫】
・アーリー・タイムズ
【間の子系の子孫】
・ジム・ビーム
・ヘブンヒル(パーカーズ・ヘリテージで有名な故パーカー・ビームの血脈)
・ライムストーン・ブランチ
このように、主要なウイスキー蒸留所にはビーム家の血を継ぐ人が携わっていたことになります。
また、スティーブ氏の母方の血脈は、アメリカの国立公園から名前を冠した“Yellow Stone”を製造していた名門蒸留一家であるダント家になります(当初はD.H.Taylor社が販売するも、J.B.ダントが事業継承)。なお、“Yellow Stone”のブランドは、禁酒法においてブラウン・フォーマン社傘下で薬用として残り、その後の第二次世界大戦後のバーボンブームの盛衰を経て、今はLuxco社に移っています。
ビーム家とダント家の血筋を受継ぐスティーブ・ビーム氏は、まさに蒸留業におけるサラブレッドと言えるでしょう。
ライムストーン・ブランチ蒸溜所の歴史
スティーブ・ビーム氏の父方の曽祖父は、マイナー・ケース・ビーム(1857-1934)といい、叔父のアーリー・タイムズ蒸溜所からキャリアを始め、その後蒸留所を買収して自身の名前を冠したそうです。そして母方のJ.B.ダントに友好的に買収され、ダント家の蒸留所と共に、二蒸留所体制で”Yellow Stone”を造っていました。しかし、マイナー・ケース・ビームは1920年の禁酒法によって蒸留業を絶たれ、1933年の禁酒法終了後の翌年に亡くなられています。その時使用されていた銅製のイースト貯蔵用タンクは、一緒にウイスキーを製造していた息子(=スティーブ氏の祖父)によって有名なオスカー・ゲッツ博物館に寄贈されています。
その後、スティーブ氏の父も様々な蒸留所で働きました。そしてダント家の血を継ぐ母も一時期蒸留所で働き、スティーブと弟ポールが幼かった頃に今は無くなったダント家の蒸立業跡に連れて行ったそうです。ただ、兄弟共に蒸留業を継がず、兄は20年以上造園業、弟はレストラン経営等をしていました。一方で、その間に一族の歴史について勉強し続け、両親が老いていく中で、
『ジェイコブ・ビームから7代にして初の蒸留業を継承しない者となっていいのか?』
と、葛藤の末に一念発起したそうです。そして父方のビーム家の伝統の継承、母方のダント家の蒸留業の回帰を図るべく、2010年に兄弟で初代ジェイコブ・ビーム氏が設立した蒸留所の近くに、ライムストーン・ブランチ蒸溜所を設立しました。50年以上のキャリアがあり、バーボン産業の厳しさを体験してきた父も当初は反対だったそうですが、その熱意に押されて息子達に力を貸し、2012年に蒸留所をオープンすることができました。
そこで、蒸留業を途中で断たれた曽祖父の無念を晴らすべく、“Minor Case Revenge(マイナー・ケースの逆襲)”というムーンシャイン(昔の密造酒を思わせる、主にトウモロコシが主原料として造られるスピリッツ)をリリースして復活の狼煙をあげました。
その後、ライムストーン・ブランチ蒸溜所の取引先であったLuxco社から資本参加の打診があり、2015年に傘下となった際に、母方及び父方の祖先が造っていたバーボンである“Yellow Stone”のブランド権を取り戻しています。そして、今ではLuxco社が持つ原酒と自社原酒をブレンドした新生“Yellow Stone Select”をバーボンの主力製品としてリリースしています。
そのように自らの出自に関わるブランドを70年近くの歳月を経て取り戻したことで、祖先の無念を張らせたと考えたのか、“Minor Case Revenge”という製品は廃止しています。その代わりに、マイナー・ケース・ビームが昔どのようなウイスキーを製造していたかをイメージした“Minor Case”というシェリーカスクでフィニッシュさせたライ・ウイスキーをリリースしています。
ライムストーン・ブランチ蒸溜所のバーボン造り
案内してくださったのは、リード・ディスティラーのエリック・ダウンズ氏です。トヨタで9年働いた後、家族も蒸留業に携わっており、その血脈のためかライムストーン・ブランチ蒸溜所に転職しています。
ビーム家の血脈ということで、大がかりな生産をイメージされるかも知れませんが、製造からボトリングにかかる全ての設備が一つの建屋に収まる程のコンパクトさです。5名2交代制によって7日24時間で行っているそうですが、そのようなコンパクトな蒸留所であるため、月間生産量が約40丁だそうです。最大手のジム・ビーム蒸溜所が数十万丁と言われていることから、極めて少量生産であることがわかります。
ただ、そこには両家の伝統が継承されていました。マッシュのレシピは一般的な黄色のデント・コーンではなく、軽やかな味わいとなるトウモロコシ品種の“White Heirloom corn”を75%、ライを13%、大麦麦芽を12%と一般的なバーボンとは少し異なります。なお、それらの製造方法については、やはりマイナー・ケース・ビームのウイスキー造りのメモに基づいているそうです。
そして肝心要となるイーストです。今の蒸留所の製造責任者は、マスターディスティラーと呼ばれることが多いですが、昔はイースト・メーカーと言われる程、イーストが大切でした。かつての蒸留業においては、一族間で融通を効かせることが多かったそうですが、今の産業化された時代において、イーストは秘伝のものとなっていました。
そこでスティーブ氏達は、博物館に寄贈した曽祖父のマイナー・ケース・ビームが使用していた銅製のイースト貯蔵用タンクをもらい受け、内部に残っていたイーストのDNAを抽出し、復活させたものを使用しています。マイナー・ケース・ビームが使用していたイーストならば100年近くが経過しており、また同氏も先祖代々使ってきたと推測されることから、かなり由緒正しいビーム家のイーストが使われていることになります。
そのイーストを4基の約2,300ℓのステンレス製発酵槽に加えて72時間かけて発酵させ、8~10%の醪を造ります。その醪を小さな単式蒸留器二基(初留:約2,300ℓ、再留:約600ℓ)で蒸留しています。また、スティーブ氏の造園業の経験を活かしたボタニカルによるジンもリリースを開始しました。
それらは、通常サイズ(約200ℓ)のレベル3チャーの穏やかな樽感を求めた新樽に充填されます。様々なマッシュ・レシピの仕上がりを早く検証すべく、熟成が早い約100ℓの小さな樽でも熟成させています。主力製品である“Yellowstone Select”を作る際には、今時点では調達した原酒と自社原酒の4年物と7年物をブレンドしてリリースしていますが、2021年頃には自社原酒の6年物をリリースする計画があるそうです。なお、今でも小さな樽で熟成させた自社原酒100%のウイスキーは蒸留所の限定品として販売されています。
飲ませて頂いたフラグシップ“Yellowstone Select”は、そのWhite Heirloom Cornの原料由来のためか、軽やかな酸味とバランスの良いキャラメル感のする、スイスイ飲めてしまうバーボンでした。また、蒸留所限定品はクランベリーやヒノキを思わせるフレッシュな味わいのバーボンでした。改めて、バーボン造りの多様性と奥深さを感じさせてくれました。
紡がれていくバーボン蒸留一家の血脈
このように蒸留所としては歴史が浅いものの、由緒あるビーム家とダント家の末裔が運営する蒸留所を見学し、実際に一族の方にお会いできたことは本当に幸運でした。またビーム家については、ビーム・リユニオンという団体があり、ビーム家一族の繋がりを強化するための団体でもあるそうです。
このようにして、ビーム家は更に歴史を紡いでいくことでしょう。また、案内してくださったダウンズ氏も蒸留業の血脈であることから、将来再訪した際には新世代のビーム家やダウンズ家にお会いするかもしれません。
この様な世界観があるのはバーボンならではと思い、その奥の深さにますます魅了されました。