発酵が酵母という目に見えない微生物の活動の結果だという確固たる証拠を示したのはルイ・パスツールだったが、それよりもはるか以前から醸造家たちは彼らが求める味わいや薫りを生み出す発酵スタイルを選択する方法を体得していた。
例えば、発酵中の酵母は麦汁内に浮遊し糖分を消費しながら分裂を繰り返すが、酵母は活動が進むと互いに凝集して澱となって底に沈殿する性質がある。これをfloculation酵母凝集性というが、酵母の種類によって凝集性が異なることが広く知られている。
凝集性が非常に高いタイプだと早い段階で底の方へと酵母が沈殿してしまい、麦汁の中にまだまだ消費できる糖分があるにもかかわらず発酵が滞ることになる。このような、いわば「早期退職組」の酵母を使ったビールは、アルコール度数が上がりにくく糖度も高い傾向がある。一方で凝集性が低くいつまでも麦汁内を浮遊し続けるタイプの酵母だと、発酵がしっかりと進む反面、出来上がったビールは濁りがちで時には酵母臭が味わいを損ねてしまう。
経験として知っていた醸造家たち
パスツール以前の醸造家たちは、理由はわからないものの発酵の早い段階で液面にできた泡まみれのカスをすくい取ったり、底に溜まった澱を取り出して次の仕込みに利用することを繰り返せば、やがて酵母が高い凝集性を持ち、深い甘味と高い清澄度を特徴としたビールを生み出し、逆に発酵に充分時間をとった後に澱の一番上の方を静かにすくい出して利用し続ければ、凝集性が弱く濁りがちではあるがキレがあるビールができることに気がついていた。
もちろん当時の醸造家たちは自分たちのこのような行動が、特定の酵母を選択することで品種改良を行うという、いわば人為選択を行っているとは知る由もなかったが、このようにして新たな味わいを生み出し、それを次世代へと受け継いでいき、期せずして野生酵母が紛れ込んだときも効果的に除去することができた(野生酵母の多くは凝集性に乏しいため、発酵の早期に澱を取り出していけば除去できる可能性が高い)。
逆に言えば特定のタイミングで特定の位置からカスや澱を取り出していけば、同じ酵母を維持できることを昔の醸造家たちは経験として知っていたわけだ。
酵母の純粋培養法
このような状況を一変させたのがエミール・クリスチャン・ハンセンEmil Christian Hansenの酵母の純粋培養法だ。1842年、デンマークのリーベという街に生まれたハンセンは、1879年にカールスバーグ醸造所の研究部門に部長として就任している。
当時急速に発展した鉄道網や冷蔵技術によって、瓶詰めビールの流通が飛躍的に広がったことからカールスバーグ醸造所はその創業時から研究所を設立し、より安定した品質やより長い品質保持期間を追求していた。
ハンセンが部長に就任したのは研究所が有する二つの部門の一方である生理学研究室だったが、パスツールが発酵の正体が酵母の活動であると結論づけたのが1876年だったことを考えれば、いかにこの業界が素早く最新の知見を取り入れ、科学の目を持ってビール造りに取りかかろうとしていたのかがわかるだろう。
酵母を選り分ける単純かつ大胆な手法
既にパスツールによって異なる種類の酵母をある程度選別することは可能になっていたが、ハンセンは驚くべきほど単純かつ大胆な手法で、たった一つの酵母を選り分けることを可能にした。
その手法とはこうだ。
発酵槽から取り出した酵母が含まれた澱を瓶に入れ攪拌する。それを少量取り出して顕微鏡の上にのせ、酵母の数を数える。この数を基に、1cm3あたり酵母0.5個以下になるよう瓶内の液体を希釈する。それを少量の麦汁が入った数多くの容器に1cm3ずつ加えて静置する。
容器内に酵母がいれば、やがて増殖しコロニーが見えるはずだ。それはおそらく1個の酵母から形成されたと考えられ、仮に2個以上酵母が容器に入っていた場合は複数のコロニーが見えるはずだ。つまり1つのコロニーは1つの酵母から生まれたと考えられるわけだ。
このようにして世界で初めて単一酵母の分離に成功したハンセンは、カールスバーグの醸造酵母が実は2種類からできていることを発見している。これをきっかけに、ハンセンはカールスバーグの醸造家と共に醸造所内の衛生や酵母管理に取り組み、やがて醸造業界を根本から変えるきっかけを生み出した。
現在、酵母専門業社は100近い純粋酵母株を扱い、それを供給することで世界各国で多種多様なビールを生み出すことを可能にしているが、これもハンセンのおかげと言える。