High Gravity
ソーダ・ケグ
アメリカでホームブルーイングをしていればまず最初に手を伸ばす樽がソーダ・ケグだろう。元々のメーカー名からコーネリアス・ケグ、より一般的にはコーニー・ケグとも呼ばれている。
「ソーダ」の名にあるように、元々は業務店用の炭酸飲料水の樽だった。その後、米国ではディスペンサー内で箱入り濃縮シロップと炭酸水を混ぜてソーダにする方式に変わったため、余ったソーダ・ケグが大量に市場に出回ることになる。それに目をつけたのがホームブルーワー達だった。業務用ビール樽と違って、上部中央のフタが大きく開くため内部の洗浄がしやすく、さらに容量が5ガロン(19リットル)と一般的なホームブルーイングサイズにピッタリ、しかも安価だったため、現在ではソーダ・ケグといえば自家醸造ビール用の樽と認識されているほどだ。
樽上部には中央のフタ以外にもう二つ小さな栓が付いている。一つはガスの注入用。”Gas In”と書かれていることが多い。もう一つが液体取り出し用。こちらは”Liquid Out”。Liquid側には樽の内側に細い管が付いていてそれが樽の底まで伸びている。こうすることで樽の最後まで液体が取り出せるわけだ。次回はこのソーダケグの弁について話してみよう。
Tasting 101
プラリネ
具体的にプラリネが何を指すのかあまりよくわからないという人も多いかもしれない。厄介なのは地域によって中身が違う点だ。それでも、その違いを理解した上で表現に織り込めば必ずや役に立つテイスティング・ワードだったりもする。
基本はナッツと砂糖。ということで、テイスティング・ノートにプラリネの文字が出てくれば、それが具体的に何を意味しようとナッツっぽさと甘い薫りを想像することから始めれば間違いはない。この言葉の起源となるフランスではプラリネは丸ごとのアーモンドをからめた飴菓子を指す。でもより一般的なのは1912年、有名なベルギーのノイハウス(Neuhaus)が発明したもの。簡単に言えば箱入りベルギー・チョコの中に入っているナッツ香ばしいフィリングのこと。アーモンドだけでなく、ヘーゼルナッツやその他のナッツ類を砕いたりペースト状にして砂糖と和えたもので、鼻に抜けるナッツ感が特徴だ。当然のことながらチョコレートと一緒に口にすることが多いので、ある種の焦げ感やビター感などと組み合わせた表現をするの持ってこいだ。
一方、米国ではペカン・ナッツと砂糖、そしてクリームを練り込んだものをさす。味わいとしては日本のキャラメルをさらに濃厚にして、ナッツを加えたものに近い。有名なのはルイジアナ州ニューオリンズ。「バーボン」の名の由来とも言われる土地柄だけに、バーボンの甘さ・バニラ感を表現するのにぴったり。
時代の証人
高峰譲吉 Part. 1
日本人とウィスキーとの関係を取り上げるとき、高峰譲吉を外す訳にはいかないだろう。高峰は黒船が来航した翌年の1854年、現在の富山県高岡市に生まれている。1880年には英国グラスゴー大学およびアンダーソン・カレッジに国費留学。国産ウィスキーの父とよばれる竹鶴政孝が同地で学ぶ約40年前のことだった。その後、肥料会社や製薬会社、アルミ製造会社などの設立に携わり、明治から大正初期を代表する実業家として大成するが、その本質は化学者としての貪欲さ、培った技術の果敢な応用・権利獲得であり、その生涯はまさに現代の研究開発系ベンチャー起業家の先駆けそのものだった。
彼の功績の頂点は現在も製造・販売が続く「タカ・ジアスターゼ」の発明やノーベル賞級とも呼ばれる「アドレナリン」の単離だったが、その原点は酒造りにあった。母方が造り酒屋だったこともあってか、高峰は英国留学時代にウィスキー造りを学んでいる。ウィスキーやビールの原材料となる大麦はまず麦芽へと「製麦」することで、自身が蓄えたデンプンを発酵可能なブドウ糖等に変える「糖化酵素」生み出す。麦をショベルで鋤き返し続けるフロア・モルティングに代表されるように製麦は手間のかかる作業だが、糖化能力はより短期間で簡単にできる麹に劣っている。しかも麹によって糖化された米が作る日本酒は大麦からできるモロミよりもアルコール度数が高い。高峰は化学者としての視点からウィスキー造りを見つめ、起業家として麹を使ったベンチャー・ビジネスに可能性を見出したのだ。
1883年に帰国後、高峰は期待された化学工業ではなく酒造業に携わることを固辞。パスツールの低温殺菌法(Liqul Vol.14を参照)の日本酒への応用に関する特許などを取得する一方、麹の研究については英国時代から取り掛かっていたようだが、その過程で生まれたのが”Taka-Koji”と呼ばれる元麹の製造法だった。1890年、満を持して彼は渡米、麹を用いた革命的なウィスキー造りに取り掛かることになる。